新たな希望(後編)

 翌朝のアロガンさんもめちゃくちゃ元気で、家事に村の仕事に僕の世話にと忙しく動き回っている。

 僕はと言えば背中から足にかけての筋肉痛に襲われ、スプーンを口に運ぶのも一苦労。転生に伴い若い肉体を与えてもらったおかげで次の日に疲労を持ち越さないのだけは素晴らしかったが、どちらかと言えばインドアだった性質はそのままに、決して運動には向いていない身体なのだと改めて実感した。

 そう言えば前世で行った幾度かの登山も、大半気力勝負だったのはいなめない。登り切った先に待つ達成感あってこそだったけど、何事もそういうものだろう。

 今回だって、アンデクスの心配事を解決してあげたい、フィーユ達一家の力になりたい一心で動いた。結果、無事にプースも発見して家に帰すことができ、僕の心は満たされたのだ。多少無理をしても見合うというもの。

 しかしまぁ、この筋肉痛までも含めて達成感と捉えるのは到底無茶な話だし、おかげで食事も進まない。

 行儀が悪いのも承知の上でテーブルに頭を伏せ、手掴みのパンを押し込んだ。


 丁度そこへ、昨日から降り続く雨での影響を調査すべく村内を回っていたアロガンさんが帰宅。食卓に着く。

「遅くなり申し訳ございません。食事は一緒にと言われていたのに…」

 アロガンさんは自分の役目に直接関わりの無いところで怒るような人ではないけれど、真面目に働いている相手にとる態度としては好ましくない。うめきつつ背筋を正し、仕上がりイマイチの笑顔で迎えた。

「忙しいのはわかってるし、気にしないで。まぁ強いて言うなら、食べもせず無理して働いてるんじゃないかって心配なくらいで…」

るべきものはっていますよ?でなければ、どんな種族も健康ではいられませんからね。」

 まさしく言う通りである。しかしそうは言っても、空腹だろうがそうで無かろうが常に飄々ひょうひょうとしている人だから、目の前で食べてもらわないことには疑わしくもあるのだ。

「じゃあほら、食べて。まだ僕も済んでないし、一緒にしっかり食べよう!」

「フフフッ…カルム様は本当にお優しい方ですね。では、いただきます。」

 前世でも、介護の仕事でよくこんな風に言っていたのを思い出し少し懐かしくなった。日々変化の少ない生活で意欲の低下した相手に『僕と一緒に』とき付けては、色んなことを一緒に頑張ったっけ。ささやかな日常だったけど、楽しかったな…


 僕が思い出に浸っている間も、アロガンさんの世話は再開される。食べるのに時間をかけ過ぎ冷えてしまったスープを魔法で温め直し、大きくスライスしていたパンは一口大にカット、コーンサラダもコールスローサラダに変えフォークで食べやすく、筋肉痛でぎこちない動きをしていた僕に気付いての完璧な対応だ。

 一通り動いて席に戻れば静かに食事を進めている。

 どんな環境で育てば、これ程までに気遣いのできる人間になるのか。ひょっとしたら神父になる上で、そういう教育がなされているのかも。教会の仕組みはそのうち聞いてみることとして、僕も食事を進めた。


「ところでアロガンさん。昨日はあんなに歩いて、道中はずっと僕を気にかけサポートしてくれて、あとほら…アルディートとかいうやつのこともさ、大変だったのに。何でそんな元気なの。」

 僕はこんなにも筋肉痛で苦しんでいると言うのに、疲労を残している様子もどこかに痛みを感じている様子もない。いつも通り、いやむしろいつにも増して元気なように見える。

「彼には首の骨を折られるのではと少しばかりあせりはしましたが、この身体はあと五十年は生きる予定ですし。私、体力には自信がありますので!」

 体力どうので平然としていられる域を超えていたのもそうだが、それよりも前半のセリフが聞き捨てならなかった。

 首の骨を折ろうとしていた?もし本当にそうだったのなら、殺そうとしていたってことだ。向こうにどんな理由があったにせよ、一言謝ったくらいで許せるものではない。

 おバカそうに感じたのこそ、あいつの計算だった…?


「あいつ、本気で殺そうとしてたの?」

「カルム様…。その件については謝罪もありましたから、私はあまり気にしておりません。むしろカルム様にヒールを施していただける状況に至ったことを感謝しているくらいで。あれは、…とてもゾクゾクしました。」

 おぉ、今日はまた一段とはげしい。僕がヒールをかける時首に触れたあの瞬間を思い出しているのか、己の身を抱き恍惚とした笑みを浮かべている。

 これさえ無ければ、ただただ有能な人なのに。


 ともかく、たとえ攻撃を受けた本人が許しても、あのような行為に及んだ真意は確かめねばなるまい。それで僕が納得いかなければ攻撃魔法の一発や二発撃ち込んでやるまでだ。

「そんな顔をなさらなくても、彼は人間にとっては有益な存在だと思いますよ?」

 先程からアロガンさんの言い回しに違和感を覚えるのは気のせいだろうか。アルディートについても何か知っている風である。詳しく聞こうと思ったが、確証は無いので本人にその正体を確かめてみてくださいとのこと。

 に落ちないことばかりだし、背中は痛いし。と言って不服を顔に出し拗ねていたって、解決するわけでもない。

 今日もフィーユの元へリジェネレーションとコールネイチャーの補給に向かわなければならないわけで、どうせ薬屋に滞在しているアルディートとは顔を合わせるのだ。

 早いところ話を付けておこうと思い、身体をきしませながら食事を済ませ、身支度を整えた。






 またアルディートが襲いかかって来ても困るから、アロガンさんには自分の仕事に励んでいてもらおうと思ったのに。僕が働いている場にはなるべく付き添いたいと言い、付いて来てしまった。

 ガワは少年でも、中身は四十歳しじゅうのオッサンだというのに。まったく呆れるほどの過保護っぷりだ。

 けれどそれも僕自身にかれてというよりは、僕をこの世界に遣わした神様を崇拝してのこととは理解している。前世と違い明確に神様が存在しているだけあって、狂信的になりがちなのかもな。

 神の代理を務める救世主はまさに神そのもの…か。

 わかってはいても、僕だから協力してくれているわけではないと思うと、ちょっと寂しくなってしまった。


「カルム様?元気ないけど、大丈夫?」

 魔籠石まろうせきに魔法を込める作業を続けながら物思いにふける僕の顔を、フィーユが心配そうに覗き込む。

「ん?何でもないよ。ちょっと考え事をしていて…」

 優しく頭を撫で笑んで返した。


 昨日、フィーユに最初の魔法を施してから間もなく二十四時間が経過する。効果は確実に出ているようで、頬はほんのりと赤く声にも活力が感じられた。

 アナライズで見た数値変動も悪くない。あくまで時間稼ぎのための対処だが、このまま継続すればベッドの上ばかりで過ごす生活も変わってくるに違いない。

 周りの力を借り、僕も力を尽くし、そうやって進んでいけばきっと全て解決する。気持ちを切り替え、今目の前にある作業に専念した。


 先に話しをするつもりだったアルディートはプースと外出中であった。アンデクスもプースが持ち帰った素材を用いて、新たな薬を作るのに忙しい。それを手伝うアロガンさんに代わり、今日はフィーユが僕が込めた魔法の回数を数えてくれている。

 ふと気付くと、リジェネレーションを込めているのに“命譜めいふの書“の対象ページを開く必要が無くなっていた。僕の指示も無かった為か、表紙を閉じた状態で左手の上にある。

 その後に込めたコールネイチャーも昨日から合わせて二百回目に達したところで、名称を発するだけで使えるようになった。

 魔法ごと“命譜めいふの書“を開かなくてもよくなるタイミングと、レベルアップの条件は異なるわけか。レベルもそれぞれ1ずつ上がって効果内容にも少しだけ変化があったようだ。

 リジェネレーションの効果持続時間が十分から十二分に延びたが、それでも二十四時間中必要な回数が八回減るだけ。コールネイチャーは魔力MP回復の効果自体がわずかに上昇したのみで持続時間に変化は無く、時操じそうスキルのレベルが上がって使用できる上限が増えないことには何も変わらない。コールネイチャー使用時の僕の消費魔力MPの低さを考えれば、やはりリジェネレーションを優先して時操じそうで延長すべきだろう。

 いずれにせよ、どうせ明日も同じ作業をするのだから、リジェネレーションの過剰分は予備と考えた方が良さそうだ。




 本日の作業の終わり際、プース達が帰宅した。

 滞在しているアルディートの分の食料調達に出ていたらしく、既に処理済みの大きな肉を抱えている。

「今日は豪勢ごうせいだぞぉフィーユ!アルディートくんが大物を仕留めてくれてな!」

 豪快に笑う後ろで、丈足らずながら幾分まともな服を着たアルディートが僕らに気づき、罰の悪そうな顔で会釈した。

「ぅわぁ…救世主様やっぱ怒ってる。目が笑ってねぇもぉん!」

 何が、もぉん!だ。ふざけた態度が、どうにも演技に見えて仕方がない。

「おぉ!これはカルム様!今夜はカルム様もぜひ我が家で食事を。ハゲウシの肉は大変に柔らかく味も極上!酒も進むというものです。」

 上機嫌で笑いながら台所の方へ向かうプースを見送り、コルネ石の作成を終えてアルディートへ向き直った。

 ハゲウシが何なのか気になるところではあるが、それは後で聞くとして。表情も無く真っ直ぐに見つめる。

 アルディートは僕に何を言われるのかと警戒する素振りを見せた。


 とは言え、フィーユの前で揉めるのは好ましくはないか。

「後でな。」

「ひっ!」

 どう考えたって僕の方が弱いのに、脅すように一言放っただけでビビりまくっている。昨夜の出来事が嘘のようだ。こいつの救世主ってものに対しての知識が不足しているのか、そもそも救世主が持つ権力的なものを僕が知らないだけなのか。

「アルくん、何か悪いことしたの?ダメだよ、悪い子は森の主様につかまって泉の底に引きずり込まれちゃうんだからっ」

 子供のしつけに使うよくある手だろうに、フィーユに脅されても眼を見開き狼狽うろたえている様子だ。

 何だか、アルディートの反応をいちいち気にしているのも疲れてしまった。

 もういっそ、アロガンさんの『人間にとっては有益な存在』って言葉を信じよう。信じて正体を確認した上で、一発入れる。無駄な心労は避け、ひとまずは友好的に。


 気を緩め笑ったのを見るや否や、アルディートが積極的に話しかけてきた。

 空気の変化には敏感なようだが、許されたと感じて早々懐いてくる様はまるで犬。大型犬のイメージがピタリと重なり、そのキャラクターにだけは少し愛着が持てる気がした。

「さっきの見て気になってたんだけど、何で魔法も使ってないフィーユにコールネイチャーなんて必要なんだ?それって魔力MP回復の魔法だろ?」

 ベッドサイドの小さなテーブルに置いた大量の魔籠石まろうせきを指差し不思議そうにしている。

 そうか、フィーユの“終末の物語エンディング“を丸々書き換えた流れだけが伝わっていて、以降も僕が動いている理由までは聞かされていないわけだ。

 わずかな時間でフィーユ達一家からの信頼は勝ち取っているようだし、こいつだって他所よそから来た人間、何か情報を持っている可能性もある。話して損は無いと判断し、これまでの流れを詳しく聞かせてやった。




「フィーユも勇者なのか?」

 話しを聴き終えたアルディートの第一声だった。

 何をどう解釈して勇者となるのかさっぱりわからないが、めちゃくちゃ真面目な顔をしているから意図的にボケているわけでは無さそうだ。

 フィーユも当然、首を傾げるばかりで心当たりは無いようである。

「勇者って、どうしてそう思うんだ?」

 問いに問いで返してしまったが、まずそう思った理由を聞かせて欲しかった。

「自分の生力HP魔力MPに変換するのって勇者の固有スキルで、普通そんなことできないはずなんだ。だから、フィーユも勇者なのかなって…」

 勇者の固有スキル?思わぬ新情報だ。もっと詳しく聴かなければならないと思いつつ、アルディートが二度重ねた言葉が気になった。


『フィーユも勇者なのか』


 も、とはどういう意味だろう。

 アルディートの身近な人間の中に勇者が居て、制御不能とは言えその勇者と似た力をフィーユが有しているから同様の存在と捉えたのか。それとも―――


「ちょっといいか?先に確認しておきたいんだけど。すごく身近に勇者がいたりする?」

「え?いや…。師匠に元勇者はいたけど、俺以外の現役勇者にはまだ会ったことないかなぁ。」

 過去の記憶を辿り、思案顔で答えた。

 完全に予想外の事実だったけど、一瞬にしてアロガンさんが言っていたことの意味を理解する。アルディート自身が勇者であるなら、おそらくこの世界にいても人間の味方であり代表だ。有益であって当然の存在。

 気付いていたなら言って欲しかったと、開いたドアの向こうで作業を続けるアロガンさんに視線を送れば、面白そうに笑っていた。

 確証が持てないからとか言っておいて、本当はちょっと楽しむつもりだったわけだ。まぁ、実際のところは僕のアルディートに対する不信感を利用して、首を絞められたことへの細やかな仕返しを…ってところだろうけど。

「はぁ…そうか。アロガンさんがあぁいう反応なら、間違いないんだろうな。お前が勇者なのは信じるから、それなりに威厳いげんある態度を常日頃からなぁ…」

 ため息混じりに言ってやった。

「えぇ?俺なんで救世主様に説教されてんの?」




 アルディートが勇者だった事実の発覚により、フィーユ達一家は救世主と勇者が同時に目の前にいる現状に湧いた。

 真面目な話は中断。ひとしきりフィーユの質問タイムは続いたが、まだまだ体力不足の小さな身体を休ませる必要もあった為、正午を回ったあたりでアルディートも連れ教会に戻った。


 昼食のサンドイッチがテーブルに並び、三者三様整った容姿がそれを囲む様は、まさに漫画で見たような貴族のお茶会だ。誰も見てはいないわけだし別に気にする必要も無いが、完全に僕ともう一人の中身が伴わないのが残念なところである。

 とりあえず、アルディートには聞かなければならないことが色々とあった。紅茶を飲みつつメモを取り出し、これから話すべきことを箇条書きにする。

 僕の書く文字は日本語だから、こちらの世界では目にする機会も無いのだろう。興味ありげに僕の手元を見つめていた。


「よし。こんなもんかな。こっちの質問に入る前に、まずは互いにちゃんと自己紹介しておこうか。僕はついこないだ別の世界で死んで、こっちに転生してきたばかりの救世主。名前はカルム・オレオル。聞いての通り、寿命の延長もできてしまう特殊な力を持ってるらしいんだけど…。そのせいで自分の身が危険にさらされるのは勘弁して欲しいというか何というか…」

 あぁ、つい僕自身のこれからの生活への懸念けねんが口をいて出てしまった。ただの自己紹介のつもりだったのに。

「ま、まぁ。自分の役目はしっかり果たしていこうとは思ってるから、できれば協力して欲しい。…よろしくお願いします。」

 丁寧に頭を下げる僕にならい、アロガンさんも頭を下げている。どう応えれば良いのかわからず慌てるアルディートのどこまでも素なのだろう態度に、呆れつつも笑ってしまった。


「えっと、俺はアルディート・ポテンザ。ペルペテュエル王国の北西にあるサリュって小さな村出身の勇者だ。つっても、勇者だって王様に認められず終いだから、今のところ自称なんだけど…」

 おっと、本題に入る前からまたとんでもない事を言い出したぞ。自称とはつまり自分で勝手に勇者を名乗っていると言うこと。名乗るだけなら誰にだってできるし、場合によってはこいつの情報にも信憑性しんぴょうせいが無くなる。

「勇者様は確か、王国を追われたのだとか。」

 追い討ちの一言でアルディートに疑いの眼差しを向けるも、アロガンさんが顔を見せないように彼方あちらを向いたのに気付き一旦落ち着く。

 これはまたアロガンさんの仕返しかな。全容を知らずに物事を判断するのは賢明ではない。

 アルディートに説明を求める。

「サリュ村って、周りが全部険しい山に囲まれたすげぇ田舎なんだけど。俺二十年間村から出ずに過ごしたから、外の常識とか仕来しきたりとか全然知らなくてさ。王様に承認を得るために王都に入ったもののどうしていいかわかんなくて、城の前に居た立派な鎧の人達に聞いたんだ。そしたら、色々親切に教えてくれて―――」

 アルディートはそれから今日に至るまでを細かに話してくれた。しかし、聴けば聴くほど悲しくなってきて、疑う気持ちもすっかり消えていった。


 立派な鎧の人達とはどうやら末端貴族の若者達で、田舎から出てきた成り上がりの勇者を面白く思わず、嫌がらせをするのが目的で近づいたようだった。

 王様に謁見えっけんするのに普段着では失礼だ、勇者としていつでも戦える装備を整えておくべきだ!などとアルディートに吹き込み、勇者の力になれるならと防御力の高い装備を無料で提供すると言い出したそうだ。

 それで信じるのもどうかと思うのだが…。

 そいつらが持って来たのは確かに驚くほどの防御力を誇る防具ではあったものの、魅惑の聖鎧せいがいという女性向けに作られた露出度の極めて高いものであった。

 純粋無垢なアルディートは疑うことも無く鎧を着用。鍛え上げられた肉体の変態が王城へ乗り込んで来たと兵士達は混乱し、王への謁見えっけんも叶わぬまま王都からも追い出されてしまった…

 というのが王国を追われた経緯である。


 それだけに留まらず、以降もアルディートの苦難は続く。

 王の承認を得られなかったことであらゆる支援を受けられず。金に困ってやむを得ず着たままだった装備を売ろうとすれば、そういう趣味の人間に捕まって奴隷にされかけた。

 勇者として正式に認められていない者は、たとえ勇者の力を持っていても罪人を捕らえる行為は許可されておらず、良かれと思い盗賊どもを懲らしめれば再び兵士に追われた。

 勇者になる修行しかしてこなかった為、腕っ節は強くとも簡単に仕事は見付からない。見つかったと思っても、人を疑うことを知らないアルディートは幾度となくだまされ、無一文のまま彷徨さまよい続ける。

 そうして野生にも近い生活を幾日も続け、ようやく王国の目の届かぬ土地まで来たところでうんよく出会ったのがプースだった。


 プースが救われたのか、アルディートが救われたのか…

 喜劇にも近い悲劇を聴き終え、哀れみの目でアルディートを見る。

 本人がさほど気にしていない様子なのが更に哀れに思えてきて、この可哀想な子を何とかしてやりたい気持ちがじわじわと湧いてくるのを感じた。

 せめて勇者として堂々と活動できるようにはしてやりたい。でなければ、この話を聴いてしまった僕の方が、行く末が気になってしまってどうにかなりそうだ。

「で、結局、王の承認を得られていないだけのマトモな勇者ってことでいいんだな?」

「ちゃんと試練もクリアしたし、必要な力も手に入れてるから間違いないと思う!」

「思うって…、まぁ信じるけど。アルディートはまずちゃんと人を見て、疑うってことを覚えような。」

 村の外の情報をリアルに伝える媒体も無く、日々勇者になることだけを考え二十年過ごすとこんな風になるのか。

 これも性分しょうぶん、フィーユの件が片付いたら面倒を見てやろうと心に決めた。




 互いを知った上で、初めに確認しておきたいのはアロガンさんを襲った理由である。今となっては、やったこと自体をとがめるつもりはない。ただ、勘違いだの思い込みだので行動していたのでは先が思いやられる。

 突然の攻撃に至った理由をシンプルに聞いてみることにした。

「アルディート、森で僕たちを発見した時、どうして先を進んでいた僕ではなくアロガンさんを襲った?理由だけは聴いておきたい。」

「あぁ、それはまぞ」

「マゾ?」

 答えかけて一時停止ボタンでも押されたかのように固まっている。顔を覗き込んでもまばたきすらせず止まったまま。十数秒が経過し流石に心配になったため、目の前で手を叩き大きめの声で呼びかけると、我に帰ったように視線を合わせた。

「大丈夫か?」

 僕の問い掛けにどう返したものか迷い、眉をひそめ黙っている。

 新しくれた紅茶をテーブルに置きながら、それまで黙っていたアロガンさんが割って入ってきた。

「勇者様はダークウルフとの激闘を終えたばかりで気がたかぶっていたのですよ。私を攻撃したのも、少女のように麗しいカルム様を何処からか誘拐してきたものと勘違いしてのことでしょう。多少やり過ぎだったことは否めませんが、勇者として正義を貫こうとしたおもいは、素直に評価すべきではないでしょうか。」

 取って付けたようなフォローに、アルディートはぎこちなくうなずく。

 僕が質問した直後、気付かぬところで二人のやり取りでもあったのだろうか。問い詰めてもよかったのだけど、どう切り込んでもアロガンさんに誤魔化ごまかされる気がして諦めた。

「ふぅ…。いいよ、それで納得する。ただし、勘違いでいきなり攻撃を仕掛けたのが事実なら、今後は敵を見極める目を養うべきだよ。勇者としての責務を全うしようと思うのなら尚のこと。もっと落ち着いて状況を判断しなきゃ。」

 もっともらしいことを言ったが、戦闘経験なんて無いんだから全部ゲームだか漫画だかの受け売りだ。それでもアルディートには刺さったらしい。僕を見る目が尊敬の眼差しに変わり、まさしく激しく尾を振る大型犬の様相である。


 この世界に来たばかりの僕も学ばなければならないことは多いけど、二十年間村の外を知らずに生きてきたアルディートだってそれは同じこと。

「提案なのですが。ユヌ村を出る際には、勇者様をお供にしてはいかがですか?そこらの冒険者などより遥かにお強いので、カルム様の護衛として申し分ありません。その上、お二人ともに人々の希望となる役目を担っていらっしゃいます、互いに学ぶことも多いかと。」

 僕の思考を読んだかのような先回りした台詞に、大きく頷き答えた。

 勇者を護衛にだなんて贅沢な話だが、僕の方が長めの人生を経験している分、一緒にいてアドバイスできることもあるだろう。持ちつ持たれつ、悪く無い関係だ。

 そもそも、アルディートが地元の村を出てからの経緯を聴いた段階でこのまま放っておく選択肢は無かったから、あとはこの提案を飲んでくれるかどうかだけ。

「僕は勇者とパーティーを組むのもアリかなって。アルディートはどう?救世主と旅をする気はある?」

「俺一人だと一生王様に会えない気がするし、救世主様がいいならどこへでも付いて行く!もしこのままずっと勇者として認められなくても、俺は困ってる人たちを助けたい。そのための力なんだ…」

「お馬鹿さんだとばかり思ってたけど、しっかり自分を持ってるみたいで安心した。」

 冗談っぽく言えば前半は耳に入っていなかったのか、褒められたと受け取り嬉しそうにしている。こういう注意散漫でポジティブ過ぎるところも少しずつどうにかしていかないとな。ちょっと目を離した隙に簡単な言葉でだまされて、事件に巻き込まれたりなんかした日には目も当てられない。


「じゃあ改めて、これからよろしく。僕のことは呼び捨てで構わないから。カルムって呼んでよ。」

「なら俺も。アルで!不束者ふつつかものですが、今後ともよろしくお願いします!」

「うん。まずその不束者ふつつかものの意味をちゃんと理解して使えるようになることを祈るよ。」

 アロガンさんを攻撃した理由を尋ね説教して終わるはずだったのに、なぜか救世主と勇者のパーティーが結成されるという結果で解決を見た。

 残るは最も重要な問題、フィーユの病への対処についてだ。少しの休憩を挟み、アルへの質問を再開する。



 フィーユの身に起きている魔力MPの逆流の話をした際、勇者の力を持つアルが生力HP魔力MPに変換するのは『勇者の固有スキル』だと言った。つまり、勇者ではない人間にその流れが生じること自体有り得ないと言うことなのか、最初から確認していく。

「まず、勇者の固有スキルについて詳しく聞いてもいいかな。」

「えっと…、実は勇者の力のことは人に話しちゃいけないって言われてて…」

 今更何を言い出すのか。さっきはその言いつけを忘れ、思わずポロッと口にしてしまったとでも?

 いきなり協力を拒むような発言に頭を抱えていると、言葉足らずなアルに代わり、またもアロガンさんが理由を説明し始めた。

「あの、カルム様。“命譜めいふの書“に書かれている内容はその者の全てですので、一般の者であっても他人に見せることは法度はっととされています。ましてや勇者様は魔王など力のある者を相手取る戦闘職。その力を知られることは敵に弱点をさらすのも同じ。先程はついうっかりと口を滑らせたのでしょうが、それを責めては少し可哀想です。」

 あー、一つ一つ面倒な奴だな。頭を抱えたまま大きく一つ溜め息をつく。

 ついうっかりで出てきた情報が、今の段階で最も有用だと思ったのに。詳しくは言えないだなんて納得できない。

 だいたい、この場には僕とアロガンさんだけ、一つくらいスキルをバラしたところでどうと言うことはないはずだ。

「ねぇ、アル。これから一緒に旅して守ってもらおうって相手の弱点を他人に晒すような真似、僕がすると思う?ここで聴いたことは絶対他所よそで喋らないって約束する。だから、生力HP魔力MPに変換するスキルのことだけでも教えてくれないかな。」

「…カルムがそう言うんなら、教えてもいいんだけど…」

 僕の言い分は受け入れられたようだが、アルとしてはもう一人の方が気になるらしく、しかし本人にはっきり言えないのだろう。アロガンさんをチラ見しながら視線を彷徨さまよわせている。

「無論他言はいたしません。と…言葉で信じていただけないのでしたら、何か相応そうおうの代償をお支払いしても構いませんよ?私には、この村にいる全ての者を守るという役目もございますので、フィーユのため我が身が犠牲ぎせいになろうともどうと言うことは…」

 いや、怖いから。

 相変わらず、与えられた務めを果たそうって思いは本当に素晴らしい。だが悪魔との契約でもあるまいし、代償を支払うだなんて物騒な話だ。アルも同様の思いなのだろう、激しく首を横に振っている。

「代償とか、いいってそんなの!わかった、生環せいかんスキルのことなら話すから!」

 響きがなんだかセンシティブだと思ってしまったのは、僕がオヤジだからか。

 くだらないことを考えていないで、せっかく話す気になったんだ。気が変わらないうちに聞いておこうと、すかさず質問を再開した。


「よし!じゃあまず、その生環せいかんスキルでできることを教えて。」

「俺の意思でできるのは、生力HP魔力MPに変換するのと、その逆もかな。魔力MPをそのまま生力HPに変えるくらいならヒールの方が回復量が上だからやらないけど。回復魔法を使えない時は役に立つと思う。」

 生力HP魔力MPの双方とも、変換する時は等価交換となるわけか。でも、いったん生力HP魔力MPに変換して、ヒールで生力HPを回復する流れを繰り返せば、あっという間に全快なのでは?ま、それも面倒だし普通はやらないだろうな。


「アルの意思とは関係なく、自動で発動している効果もあるのかな?」

「えっと…コールネイチャー?みたいに魔力MP回復を加速させたり、リジェネ何とかって魔法をかけた時みたいな生力HPの回復は永続効果で。俺が拒否しない限り切れることは無いかな。」

 コールネイチャーもリジェネレーションも、現状僕がフィーユに用いている魔法だ。それが意識すること無くオートで発動している?しかも効果は永続的。魔籠石まろうせきへ魔法を込める作業を思うと、切なくなってくるな。


「他にできることはある?」

「あー、そうそう!生力HPとか魔力MPを、触れた相手に送ることもできる!スキルとして獲得する前に持ってた能力だから、すっかり忘れてた。」

 スキル獲得前から?そんなこともあるのか?


生環せいかんスキルを獲得する条件は?普通の人間でも獲得することは可能?」

「条件って言うか…。勇者の資質を持つ者って、生まれた時からエネルギー操作に関する力を持ってるらしくて。それをちゃんと制御できるように先輩勇者に教えてもらって獲得する感じなんだ。だから元々そういう力の無い人間じゃ、獲得するのは無理かも。」

 後天的に獲得するのは無理ってことだな。アルは元々自己のエネルギーを他に分け与える力を持っていたから、スキルの獲得もできた…と。

 でも、そうなるとフィーユは?生力HP魔力MPに自動的に変換している流れは、そういう力には当たらないのだろうか?


「じゃあ、もし勇者の資質も無く、エネルギーの操作に関わる力を持っている人間がいたら?アルが教えてスキル獲得に至れると思う?」

「勇者になるわけでもない人間に勇者の力を与えようなんて、今まで誰も思わなかっただろうしなぁ。教えること自体難しくは無いんだけど…」

「勇者で無い者が勇者の力を得ることに問題がある、とか?そのまま勇者にならなきゃいけないなんてこと無いよね?」

「勇者になるかどうかは本人が決めることだから絶対じゃない。と言うか、生環せいかんスキル一つ獲得したくらいで勇者の資格は得られないから問題無いんじゃないかなって。でもなぁ、勇者の力自体は秘密にしなきゃいけないし…」

「し?他にも何か?」

「んー。俺の場合、生環せいかんスキルを獲得した時には、総エネルギー量が勇者の規定を超えてたんだ。だいたい王国の一般兵の五十倍くらい。それに他にも言ってない力だってあるから、ちょっとくらい無茶しても平気なんだけど。」

 そうか。力を持てば自分の身を救うこと以外にも使ってしまう可能性がある。それでアルみたいに、ちょっとやそっとじゃ使いきれない程のエネルギーを持っていてば何も問題はないけど、使い果たせば死んでしまう……ことは無いよな。“終末の物語エンディング“に書かれている寿命は、どんなにイレギュラーな行動を取ろうと大きく変わることは無いはずだ。


生環せいかんスキルを使って、全エネルギーを誰かに渡してしまった場合どうなるんだろ?」

「スキルの力で自然に回復はするんだけど、回復するまでの間に身体が部分的に死ぬかも。」

 あぁぁ、壊死えしするってことかぁ。壊死えしは欠損と同等の負傷にあたるからヒールくらいじゃ治せないし、それ以上の回復魔法を使える人間だってそうそう居ないって話だ。



 アルに聴いたことをメモで整理しながら考えてみた。

 生環せいかんスキルをフィーユが獲得できるか否かは、やってみないことにはわからない。一先ひとまず獲得できると仮定して、その場合どうだろう?

 フィーユだって、人生で命をけてでも救いたい誰かが現れる可能性はゼロじゃない。自分では冷静なつもりでいても、感情なんて自在に制御できるものじゃ無いんだ。ちょっとしたきっかけで暴走し、エネルギーを使い切ってしまうことだってあるかも知れない。

 勇者では無い者が勇者のスキルを得るのだから、多少のリスクを伴うのは当然の話。しかしフィーユの現状を考えると、このスキルを獲得するのが今考える最善の策に思える。


「アロガンさんはどう思う?魔力MPの逆流自体の原因は掴めないままだけど、エネルギーを自己制御できる生環せいかんスキルならそれも関係無いと思うんだ。」

「カルム様の懸念けねんは、感情の乱れで万が一エネルギーを制御できなくなってしまった時にどうするのか、という点でしょうか?どこまで信じていただけるかはわかりませんが、この村にいる以上は私が必ずまもります。どうぞご安心ください。」

 ほのかな期待を持ちつつ相談してみれば、自信に満ちた声で答えてくれた。この世界で最初に会った時から僕はアロガンさんを信じている。きっと言葉に嘘は無い。決まりだな。

 アルが何だかんだ抵抗しようとも上手く言いくるめ、フィーユが生環せいかんスキルを獲得できるよう手伝わせるまでだ。


「なぁ、アルぅ?」

「ん?どした。気持ち悪い声出して。」

 今の外見だから許される渾身こんしんのぶりっ子をぶちかましたのに、気持ち悪いだと…?

 僕からの質問が無くなったものだから完全に油断し、サンドイッチを頬張りつつ首を傾げている。

「アルは困ってる人を助ける為に勇者になったんだよね?困っているのが僕だとしても、当然助けてくれるんだよね?」

「え?そりゃ…まぁ」

「じゃあさ……。フィーユに、生環せいかんスキルを伝授してはもらえないかな?」

「良いけど、上手くいかなくても怒んないか?あと、俺が教えたとか他のヤツには絶対秘密だからな。」

 おや?もう少し抵抗されると思っていたのに、僕の小細工など用をさずあっさり承諾しょうだく。秘密厳守を約束する他は特に条件も無いようで、視線の先のサンドイッチに向け伸ばした手をアロガンさんに叩き落とされた。

「カルム様の分ですよ。」

「だって!美味かったんだもん…」

 子供のような言い訳でしょんぼりしていると思えば、おねだり顔して僕を見つめる。勇者を名乗られても疑ってしまう程、僕の中にある勇者のイメージからは程遠い。

 でも―――


 僕が質問している間、実はちゃんと考えてくれていたのかも知れないな。子供っぽい振る舞いは素でありながらも、相手に真意を悟らせないための目隠しなのだろう。

 勇者の資格を持つだけあって、案外利口なお馬鹿さんってことだ。

「ありがとう、アル。たとえ上手くいかなくても、結成したばかりのパーティーを解消したりしないから安心して。」

 サンドイッチを差し出してやると、大喜びで食らいついた。

 あぁ、これはまさしく餌付け…。こんなに幸せそうにされては、こちらも楽しくなってしまう。


 転生してからのわずかな時間でアロガンさんに出会えたこと、そして勇者にまで出会えた事は、本当に幸運だったのかも。この世界を何も知らないまま手探りで、身の危険も己の力だけで回避しながら生いていかずに済むからというのは勿論。彼らの協力のおかげで、僕一人では絶対に解決できそうにない難問にも前向きに立ち向かえている。

 けれど何より、ひとりぼっちじゃないことがとても嬉しかった。

 こんな短時間のやり取りの中でも、信頼できると感じた人間が目の前に二人も居る。彼らが僕に対してどんな感情を持っているのか、深く探る気もないけど。僕のそばに居てくれるのは間違い無い。

 ひとりぼっちじゃないって今があるだけで、死んでよかったと思うなんて…。僕はとても寂しがり屋だったみたいだ。


「それで、フィーユにスキルを教えるのはいつがいい?何か必要なものはある?」

「いつでもできるし、別に何もいらないぞ。ま、体内のエネルギーは多い方が、動かす量も増やせて感覚掴みやすいかなってくらいで。足りなきゃ俺のを送ればいいだけだしな〜。早い方がいいんだろ?肉食った後にでもやろうか?」

「食べることばっかだな。オーケー、じゃあそれで頼む。」

 フィーユ達への説明については、どこまで話すのかをアロガンさんと相談の上で決めておくことにした。何をするかの概要はまず伝えなければならない。と言って、成功も確定でない段階でありのまま喋ってしまっては、勇者の秘密をただ漏洩ろうえいするだけ。フィーユも両親も、極秘と言えば守ってはくれるだろう。だが成功しなかった場合も考慮し最低限に絞って説明するとなると、なかなか難しい問題であった。

 こういう頭を使うところは、アルに任せてはいけないことだけはわかる。途中で面倒になって全部喋ってしまうに違いない。役割分担は重要だ。アルにはスキルの伝授が成功するようにだけ努めてもらうとしよう。



「っんん〜!はぁ…。ちょっと休憩。筋肉痛に耐えて座ってたら、他のところも痛くなってきた…」

 姿勢を崩しダラける背後で、すかさずマッサージを開始するアロガンさん。指の動きが実に巧みで、シャツ越しにじんわり感じる手の冷たさが心地良い。

「通常の回復魔法で筋肉痛や神経痛が治せれば良いのですが…。アンデクスに湿布薬を貰ってきましょうか?」

「湿布なんてあるの?あー、それは欲しいかも。」

 筋肉痛など無縁そうなアルは、しなびた僕を他人事の顔で見ている。と思えば、右手の拳に何かを呟き、次にてのひらを僕の頭に置いてきた。その手に吸い取られるように全身の鈍い痛みが消えていく。

「治ったか?」

「へ?…う、うん。え?何それ、魔法⁉︎」

「まぁ、そう。つっても軽い痛みを消すだけの下位魔法だけどな。」

 これが下位魔法?どんな鎮痛剤よりも即効性がある上、副作用も無いだなんて素晴らしい魔法じゃないか。筋肉痛、神経痛、頭痛、腰痛、肩こり…使える場面はいくらでもある。

「オリビエイト…。確か上位魔法のリカバリーを元に、エルフ族によって生み出された魔法でしたね。古い魔法書で見た記憶があります。ですが軽度の痛みをしずめる効果しかないため、原因となるものの治療を先延ばしにし医術者を悩ませるだけと、それから数年で使われなくなったはず。」

 言いかけた言葉を、ゆっくりと飲み込んだ。

 鎮痛剤で誤魔化ごまかして病院に行かず、結果的に悪化して医者を悩ませる…なんて前世ではよく聞く話だったのに。自分も覚えられれば最高!なんて、浅はかな考えだ。

 ひとり静かに反省していると、何故か僕と大差ないテンションのアルが呟くように話し始めた。

「地元のじいちゃんばあちゃんの肩揉みついでに使ってたくらいで、他に大した使い所もないんだけどさ、俺の“命譜めいふの書“には初めから書いてあったんだから…仕方ないよな。」

 何かあまり良くない思い出でもあるかのような歯切れの悪さ。終いには大きなため息まで吐いている。

「勇者ってさ…“命譜めいふの書“を開いて魔法を使っちゃダメなんだよ。」

「単独での戦闘や、パーティーにいて前衛を務める場合も、“命譜めいふの書“の文字をなぞりながらではわずかながら魔法の発動が遅れてしまい、その隙を突かれかねませんしね。」

「そ。だから、使える魔法は全部!“命譜めいふの書“を開く必要が無くなるまで熟練度を上げなきゃなんなくて…。…そう、全部。全部なんだよ。戦闘で使わないとか関係なく全部…何もないとこに向かって放ち続けるんだ。毎日、毎日…毎日…毎日…」

「アル?ちょっと、落ち着いてアル!大丈夫。アルはもう勇者なんだから。全部使えるだろ?」

 過去の辛い思い出に呑み込まれて取り乱すアルの頭を胸に抱いてなだめ、背中をさすってやった。


 確かに、同じ魔法をひたすら魔籠石まろうせきに込める作業は辛い。けど僕の場合は熟練度を上げるのが目的ではないし、幾分いくぶん時間の余裕もあるから休憩を挟むのは自由、フィーユやアロガンさんの応援もある。それにたった二つの魔法を繰り返しただけでは、然程さほど大事おおごととも言えないだろう。

 対してアルは習得済みの全ての魔法を唱えるだけで発動できるまで、他に影響の無い場所でひとり黙々と繰り返したに違いない。戦闘にいて実用的なものも、そうでないものも。

 中には別の魔法を強化するなんて補助的な魔法も存在する。アルだって当然使えるだろうから、そういう補助魔法に関しては先に対象の魔法を発動してからの二度手間だ。

 アルは単純作業苦手そうだし、きっと僕が同じことをするよりも消耗したのだろう。トラウマってやつかな…

「習得済みの魔法を詠唱だけで使えるようにするのは勇者になるための最低条件で、ほんとは未習得分も全部やらなきゃなんないんだ…。それぞれのレベルも上限まで上げろって師匠には言われたけど、俺もう、嫌だったから…」

「おーよしよし。頑張ったな。もしまたどうしても魔法の修行をしなきゃいけないってなったら、僕がそばにいるから大丈夫。…ほら、元気出して。肉食べるんだろ?」

「カルムぅ、まじ救世主様だなぁ」

 ぬいぐるみでも扱うかのように擦り付いてくるが、アルがこれで落ち着くならまぁいいか。アロガンさんの嫉妬の眼差しにも気付かずに、しばらくそのまま甘えていた。




「それはそうと。魔法って作れるんだね。」

アルが落ち着いたのを見計らい、ちょっと気になっていた事を聞いてみた。

「厳密には作るのではなく合成と省略ですね。元々存在する魔法同士を組み合わせたり、本来の効果を削って弱めたり。一般的には詠唱も省くまで弱めたものが、生活魔法に区分されています。」

 蝋燭ろうそくに火を灯したり、スープをちょっと温めたり、汚れた鏡を綺麗にしたり、そんな場面で何も詠唱していなかったのはそういうことか。名も無い魔法なら“命譜めいふの書“に書かれることも無い、と。

「詠唱を省けなかった魔法は?“命譜めいふの書“に追加とかできるの?」

「世界が…、神がその魔法を認めれば、自動的に適正のある者の書に追加されます。が、新たな魔法が生み出されることなど滅多にありません。細かい流れは長くなりますので、いずれ必要な時にご説明いたします。」

「ん、ありがとう。」

 興味を持ったらとことん聴きたくなってしまうから、アロガンさんの方から強制的に区切りをつけてもらって助かった。


 元々僕の中にある異世界への憧れは、この世界のことを学ぶ意欲に繋がっている。脳が若返っても記憶力はイマイチだから、得た情報を正確に把握できているかは自信薄だ。けれど新たに得た知識の一つ一つが前世には無かったものばかりで、四十年生きた中で学んだものをくつがえし、僕の心を踊らせた。

 外にはたくさんの魔物がいると言う。生きる種族も様々で、友好的なものばかりでは無いことも聴かされている。

アロガンさんの結界が及ばない森の外へ出るのは正直少し怖いけど、向こう側を知りたい気持ちの方が今はもうまさっていた。勇者が仲間になるって、めちゃくちゃ心強い。それに…

 アルのおかげで身体は軽いし、頭もとてもスッキリしている。あとは最終的な打ち合わせを済ませ、フィーユの病に挑むだけ。


 そうやって真っ直ぐな意欲を示す半面、実のところ絶対に上手くいくという確信があった。フィーユの“終末の物語エンディング“を書き換えた直後、全部どうにかなると感じたのは、きっとこれが成功することを意味しているに違いない。

 頭の中に時折ときおり響くのは、やっぱり神様の声なのかな…


 その声に応えるように神の像へと向かい膝を突くと、両手を胸元で重ねる。アロガンさんの見様見真似みようみまねだが、それなりに様になっているのではないだろうか。

 すぐに二人も僕の横に並び膝を突く。

 いつの間にか雨は止んだようだった。喜び飛び回る鳥のさえずり、外で遊ぶ子供達の声が教会の外から聞こえてくる。


 窓から差し込んだ光で一層神々しく見える像を見上げながら、僕たちは成功を願い、静かに祈りを捧げた。

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