新たな希望(前編)

 鬱蒼うっそうとした森を、力強く走る馬が一頭あった。

 岩を蹴り、ぬかるみを物ともせず、臨機応変に木々をもかわしながら、背に乗せた男を守り駆け続ける。

 左右後方には無数の黒い影。それらは我先にと幾度も男に踊り掛かった。

 男はその手より火球を放つが目眩めくらましにもならず、魔物が嫌う植物を粉にして込めた爆裂弾も、目の色を変え追ってくるものには効果を得ない。

 だが男は、臆することなく疾駆しっくする。必ず家族の元へ帰るのだという強い意志を抱いて―――


「こんなところで、もたもたしている場合ではないのに…。くそっ!」

 次の瞬間、一際大きな影がついに男の行手を先取り立ちはだかった。

 危険を察知し暴れるように走りを止めた馬に振り落とされた男を、先鋭せんえいの一撃が襲う。

「ファイヤーボール‼︎」

 すんでのところで再び放った火球が足元で爆発を起こし、爆風に飛ばされた男を刃物のように鋭い大爪がかすめた。


 敵は二本足で立つヒグマの如き大狼であった。低く唸り息を荒げ、濡れた牙を剥き、赤く鈍く光る眼に獲物を映す。

 初撃は服を裂くのみに済んだが、次ぐ手を防ぐすべは無い。己の放った火の魔法で左足に火傷を負い、走ることもままならず。ポーションを使ったところで、回復を待つ余裕すら無いのは明白であった。


 男の最期さいごはまだずっと先のことと予言されていて、この場で死なぬのは確定だった。だが、五体満足無事でいられる保証は無く、一時いっときの絶望と共に最愛の家族の姿が浮かぶ。

 魔物に追われる原因となった物を手放せば、あるいはこれ以上の追撃を受けずに済むのかも知れない。しかし、それは最後の希望を捨てるのも同じこと。未来を変えられる可能性を失うなど、今の男には許せるはずもなく。

 覆い来る魔物たちに決死の抵抗で、持てる全ての攻撃を放った。

「あぁぁぁぁぁっ!これだけは…っ、渡すものかぁぁぁぁ‼︎」

 辺り一面に爆煙が立ち込め互いを視認できぬ状況の中、足を引きり逃げようと動いたその時だった。煙を裂く魔物の赤い眼が、吐く息も届く距離で男を見下ろす。

 その口が、ニヤリと笑ったように見えた。


 手は尽き、できることはもう何も無い。


 この窮地きゅうちにあっても恐れることなく見えた先で、天より一閃いっせん。何かが魔物を貫いた。更に立ち込める煙諸共もろとも周囲の魔物をぎ払い、一瞬の間に辺りは森の静けさを取り戻す。

 緊張と驚きで止めてしまっていた呼吸を荒く再開して、男は魔物を一掃した者の姿を見上げた。

 木々の間から差し込む日を浴び、自身も輝きを放っているかのような力強き若者。

「大丈夫か?遅くなっちまって悪かったな。俺、馬持って無いからさぁ、森の中走って来んのも大変だったんだよ。」

 呑気に笑い、右手にあった武器を放り投げ振り返る。男が上等な剣か何かだと思っていたものは、小枝を削いだだけの木の枝であった。

「いやぁ、実は俺も困ってて。ここらで人助けでもできれば、仕事の紹介とかして貰えるんじゃないかなぁ〜なんて思ったんだけど。あ〜、飯と宿もツケが効くようなとこないかな、おじさん。」

 人懐っこい雰囲気で少しばかりびるように言ってくる若者に、男は思わず声をあげ笑った。

 負傷した左足の回復の為ポーションを使いつつ若者に答える。

「君は命の恩人だ、仕事でも何でも紹介するさ。だが村に戻ったら、しばらくは我が家でゆっくりしてってもらおう。」

「おっ!おじさん気前がいいな!そんじゃあ遠慮なく世話になるよ。俺の名はアルディート・ポテンザ。訳あって王国を追われた身だが、見ての通り悪い奴じゃないから安心してくれ!よろしくな!」


 男にとっては最大の幸運。若者アルディート・ポテンザにとっても、この出会いは運命を変える一歩となる。

 命懸けで手に入れた希望を抱え、男はアルディートと共にユヌ村を、我が家を目指すのだった。






 昼間から十時間程眠り、夜中にも関わらずアロガンさんが作ってくれた魔力回復効果の高い食事のおかげで、朝を迎える頃には完全復活。遅めの朝食をつつきながら“命譜めいふの書“を開き、自分が転生で与えられた力の詳細を確認していた。

 アロガンさんは村長に呼ばれ出掛けてしまった。なかなかに強めの存在感を持つ人だけあって、居ないと少しばかり寂しい気もする。


 本日、外は雨。窓越しに見る景色は昨日とは少し違い何だか物悲しげで、静かな雨音と相まって心にみた。

 そうか、電力を使った機器が無いからノイズが無いんだ。

 そんな些細ささいなことで自分が異世界に居るのだと実感する。別に前世の生活に戻りたい訳じゃないけど、いずれはこの切なさも風化するのだろう。せめて前世を終え転生した日のことは、ずっと忘れずにいたいと思った。


 いまだ遠くない過去に思いを巡らせるのもほどほどに、“命譜めいふの書“に視線を戻す。相変わらず見慣れない文字が並んでいるが、普通に読めてしまうので不便は無い。使える魔法の効果内容に注視しページを進め、能力の把握に努めた。

 攻撃に防御、回復、罠、支援魔法に至るまで、得手不得手えてふえてはやむなしといった効果内容ではあるものの、オールマイティー感はいなめない。属性に関しても多少『地と雷』に偏ってはいたが、この世界に在る『火、水、風、地、雷、光、闇』の全属性をしっかりとカバーしていた。

「ゲーム内で使ったことがあるような魔法がほとんどだけど、実際使ってみないことにはイメージしきれないんだよなぁ…」

 魔法の発動自体はとても簡単で、中二病心をくすぐる長い呪文の詠唱などは必要としない。“命譜めいふの書“を開き、対象に向けて魔法の名称を正確に発音するだけ。

 使用回数を重ね熟練度を上げれば、いちいち“命譜めいふの書“を開く必要も無いとのことだったけど、使い慣れる程使いたくないというのが本音だ。誰かを攻撃したりされたり、できればそんな場面に遭遇すること無く生きていきたい。

「まぁ、無理だろうけど。極力目立たないように生活しないとな。」


 野菜スティックをかじり、紙にメモした幾つかの魔法を見直してみた。

 ペンなんかを使って手書きした文字は、“終末の物語エンディング“の書き換えのように自動変換されず日本語のままだ。思案し、中でも特に有用そうな魔法を丸で囲み、ペンを宙に向けくるくると回した。

 ピックアップしたのはフィーユに用いて有効だと思ったもの。だが、どれをとってみても根治こんちに至らせるまでの効果は無さそうである。やはり、他所よそへ力になってくれそうな人を探しに出た方が現実的か。

 一先ず、リジェネレーションとコールネイチャーを併用するプランに決め、途中だった朝食を残さず味わった。



 リジェネレーションはゲームでもよく耳にした、一定時間効果が持続する回復魔法である。魔力の逆流により削られ続けているフィーユの生力HPを、削られた端から常時補ってやろうと考えたのだ。

 幸い僕の回復系の魔法はレベルが高く、同系の魔法を使いこなすアロガンさんよりも上位のものが使えるようだった。リジェネレーションはそんな上位魔法の一つである。時間稼ぎとしては十分だろう。

 併せて使うつもりなのはコールネイチャー、自然エネルギーの吸収量を増加させ魔力MPの回復速度を上げる。こちらも効果が持続するタイプの魔法だ。

 残念ながら魔力MPを体外へ霧散むさんさせること自体を一時的にでも止める魔法は見当たらなかったため、こちらはダメ元の策ではある。相殺くらいはして欲しいものだが、どうなるかは試してみなければわからない。僕のチート力に期待しよう。


 テーブルを片付けようと皿を持ち立ち上がったところで、帰宅したアロガンさんに軽やかに阻止された。

「それは私の役目だと申しましたが。…今日もフィーユの元へ行くのでしたね。すぐに片付けますので、お待ちください。」

 楽しげに皿を運んではいるが、笑顔がちょっと怖かった。自分の仕事へのプライドがあるのだろう。立場にそぐわぬ気遣いはご法度はっとだと改めて思った。

 おとなしく椅子に座り片付いたテーブルに肘を突いて、一つ相談を持ちかける。アロガンさんが出かける前に言っていた、魔法を込められる石についてだ。


 リジェネレーション、コールネイチャー共に効果が継続するとは言え、時間にして約十分。僕が所有する魔法発動のタイミングや、継続時間の操作が可能な特殊スキル『時操じそう』で三倍までは延長できたとしても、三十分では村の外に出て助っ人を探す間もない。

 そこで僕が不在の間も、時間差で魔法を発動する術がないか考えた。

 もちろん時操スキルを多用して、発動のタイミングを三十分ずつずらし重ねがけしておくこともできる。ところが、これにも一つ問題があって、時操スキルには今のところ一日の使用回数に上限が設定されていた。

 魔法効果の継続時間を三十分へ延長するのに一回。これを一日分だと四十八回となり、加えて一回目以降の四十七回分は遅らせて発動させる必要があるわけで。計九十五回は、上限の五十回を大きく上回っていた。いや、五十回でも本当は十分な回数ではあるんだけど…

 とは言え、二十四時間魔法を維持するだけでも今の僕では力不足。ならば発動のタイミングだけは別で管理できないだろうか…というところで、魔法を込められる石の出番というわけだ。


「さっき村長さんに呼ばれたのって、石に魔法を込める定期作業だとか言ってたよね。」

「はい。生活魔法は使えても、狩りや採掘で使う攻撃系魔法、また回復魔法についても使えない者がほとんどですので。術者がその場に居なくても必要な魔法が使えるよう魔籠石まろうせきという石に魔法を込め、村長の家で管理しております。」

「それって、魔籠石まろうせき一個につき魔法も一回だけって感じ?」

「魔法の威力にもよりますが、同じ魔法であれば十回分は込められるかと。フィーユに使おうとお考えですか?でしたら、薬屋には採取に出かける際使っているものがあるはずですし、教会にも予備で保管している分がございますので。」

 入手困難なレアアイテムでなくて良かった。しかも、込めた魔法を使い切っても魔籠石まろうせきは消失せず再利用可能だと言う。

 フィーユの件が片付くまでは、教会の分も使わせてもらうことにした。




 教会で初めて見た魔籠石まろうせきは、大きさ2センチくらいの綺麗な十二面体。採掘で得た天然石に特殊な加工を施しているそうで、使う者が込められた魔法を間違えぬよう色は様々である。

 特殊加工がどんなものかについては難しそうなので省略してもらい、魔法の込め方の説明を聴きながら効果の継続時間を延長したリジェネレーションを十回分込めてみた。

 一つ便利なことに、魔籠石まろうせき側で発動条件を設定できるという。タイマー式にすると込めている途中で次が何分先だったかとかわからなくなるから、単純に先に発動した分の効果が切れた時点で次が発動する条件を加えた。これで日に何度も魔籠石まろうせきをいじる必要がなくなるわけだ。


 ただこの作業、なかなかにキツかった。

 魔法名称を読み上げ、条件設定をしながら魔籠石まろうせきに込める流れをリジェネレーションだけでも一日分四十八回繰り返す。時操スキルの使用回数上限に達して以降は、魔法の継続時間が三十分から元の十分に戻ってしまうため作業は三倍。半分くらい進めた頃には魔法の熟練度が上り効果内容に変化が生じるのでは?などと期待してみたがそんなことも無く。

 丸一日以上村から離れるつもりは無かったので、一先ず時操じそうが使える分だけは頑張って続けた。

 序盤で完全にゲシュタルト崩壊してしまい、アロガンさんに回数だけでも数えておいてもらわないと正確な発音もままならない。単純作業の繰り返しは苦手ではないし、むしろ好きな方だと思っていたのは気のせいだったようだ。誰かのためでもなければ、とうにくじけている。


「そういえば、コールネイチャーを試したか聞いてなかったよね。」

 いや、本当はちょっとくじけていた。中途半端なところで中断し、休憩を図る。

「それでしたら、私も使える魔法ですので一度だけ試してみました。」

「効果は無かった感じ?」

「レベルが低過ぎて役に立ちませんでした。私の適正では現状のレベル2が上限なので、魔力MP回復薬を用いた方が遥かに有効です。」

 レベル2でそんな感じか。僕のだと上限がレベル10で、今がレベル6。コールネイチャーに関しては一度直接フィーユにかけてみて、続けて使うのか決めた方がいいかも知れないな。

 本音は、効果が無いかもしれないものを百四十四回も魔籠石まろうせきに込めたくは無いだけなんだけど。効果があって欲しい反面、継続を決めたら地獄。複雑な心境である。


「で。こっちはあと何回だっけ?」

「三回です。」

「そっか、ありがと。」

 いっぱいに込めても十回までだから余分に込めることは無いけど、足りないと困るわけで。中に魔法が入っているかどうかだけは、ぼんやり光っているか否かで判断できるものの、残りの回数くらい見てわからないのは使用者にとっても不便なのでは?

 アロガンさんにそう言ったら、対象の情報を見ることのできるアナライズという魔法を使えば問題ないと返されてしまった。僕も含めアナライズを使える者はそうでも、元々魔法をあまり習得できない一般人向けのアイテムなのだから改良が必要だと思うのは、何でも便利にしたがる日本人のさがなのかもな。


 アロガンさんが教会の保管分から提供してくれた魔籠石まろうせき15個のうち5個に五十回のリジェネレーションを込め終え、残りを巾着に入れ預かった。僕の魔力量は半分まで削られたが、自分にコールネイチャーをかけ魔力MP回復を加速させたので、フィーユの家で追加作業をすることになっても問題は無さそうだ。


 これからの予定としては―――

 フィーユにリジェネ石を持たせた状態で、僕が村の外に出て協力者を探す。すでにフィーユの父親が薬の素材採取と並行で進めていることではあったが、普通の人間では関われない種族もいるとのこと。種族が違えば知識、技術も異なるはず。身内だけに伝わる話だってあるかも知れない。救世主の僕が相手ならば交渉に応じてくれることもあるだろう。父親には薬の方に専念してもらおうと思う。

 アロガンさんは村を守る役目もあり、この場を離れるわけにはいかない。だが、大きな街や王国に置かれた教会とも連絡を取ることは可能だと言う。引き続き情報を集めてもらうよう頼んだ。

 教会にある地図によると、東側へ徒歩三日程行った先からは別の種族の村や町が点在している。移動先にポイントを設置しつつ瞬間移動魔法のテレポートでユヌ村とを行き来し、キャンプの手間を省きながらあちこち巡ってみるつもりだ。




 薬屋、トレットマン宅。

 フィーユとアンデクスにも僕の考えを説明し、リジェネ石を渡した。初めの一回目だけはフィーユに直接施したから、あとは効果が切れる度に魔籠石まろうせきに込めた分が発動してくれる。

 コールネイチャーも試してアナライズで生力HP魔力MPの変動を見ると、わずかながら僕の魔法がまさっていた。この時点でコールネイチャーも併用することが確定し、フィーユの応援を受けながら十五個のコールネイチャーを込めた魔籠石まろうせき、略してコルネ石を作成した。

 コールネイチャーを百五十回…。

 リジェネレーションに比べ消費魔力が少ないため魔力MP切れの心配はなくとも、精神的にだいぶ削られた気がする。アンデクスのれてくれたお茶がとても美味しい。


「お疲れ様です。本当に何から何まで…、感謝してもしきれません。村の外へ出るのでしたら薬が必要になることもあるでしょう。いくらでも用意いたしますので、遠慮なくお申し付けくださいね。」

 アンデクスは今日もどこがとは言わないが『大きくて』美しいな。人妻とは言え、手を取り見つめられれば興奮もしようというもの。僕のそんな様子が気に入らなかったようで、フィーユは頬を膨らせそっぽを向いてしまった。

 ヤキモチとは可愛いものだ。顔色もちょっと良くなってきたかな。


「ねぇ、フィーユ。元気になったら、僕とデートしてくれる?」

 機嫌取りにそんなことを聞いてみる。

「カルム様エッチだから、ちょっと悩んじゃうな。」

「えぇ…理性の塊と言ってもいいくらい、誠実な男のはずなんだけどなぁ。」

 男の視線に女性は敏感だ。アンデクスの胸を見ていたのも完全にバレていた。でもそれは視覚的な癒しを求めただけであって、僕はサイズにこだわりはないのだ。

「カルム様は救世主たるに相応ふさわしい立派なお方ですよ。私がデートしたいくらいです。」

「いや、それは何か違うから。」

 突然名乗りを上げたアロガンさんの発言にフィーユは笑っているけど、本気なんだよなこの人。二人きりの間も、僕の発言に対していちいちこんな感じのことを返してくるし。アロガンさんがもし女性だったら…。まぁ、それはそれで押しが強過ぎてアレだな。

「さて、と。ここで話してるのも楽しいけど、そろそろ行かないと。」

「あっ、カルム様…」

 腰に手を当て立ち上がったところをアンデクスに呼び止められた。次ぐ言葉を待つも、フィーユの前で言いづらいのか視線を外の方に送る。

「それじゃフィーユ、また明日。」

 手を振りアンデクスに先導され、フィーユに会話の内容が聞こえることの無いよう、家の外へと場所を移した。




 雨はまだ降り続いている。村人の多くは雨を避けて家の中、昨日は子供たちも居てにぎやかだった広場も、今日はとても静かだ。

 薬屋の広い軒下、アンデクスはどこか落ち着かない様子で辺りを見渡し重いため息を一つ。額に手を当て目を閉じた。

「どうしたの?もしかしてフィーユのことで何か他に…」

「あぁ、いえ。カルム様が手を尽くしてくださっているので、あの子の身体のことはもう、あまり心配はしておりません。」

 それは良かった。少なくとも僕の魔法による対処が必要無くなるまでは村に居るつもりだし。すっかり信頼してもらえて嬉しい限りだ。

 しかしフィーユの件で無いとすれば、何をそんなに悩んでいるのだろう。薬屋のこと?村のこと?

 他にアンデクスが気にかけるようなことと言えば―――


 フィーユの父親のこと、か?

 そういえば、いつから出掛けてるんだっけ。フィーユのための薬の素材採取だって言っていたけど、フィーユの変更前の最期さいごには間に合わせないといけなかったわけだから、ギリギリまで戻らないのはおかしい。

「アンデクス。旦那さんの帰りはいつの予定だったの?」

 不安事は的中、驚いた顔でこちらを見てきた。

 これ以上、僕に頼るのは躊躇ためらわれ言えずにいたのだろう。そんな遠慮は無用なのに。

「遅くとも明日までにはとのことでしたから、私がせっかちなだけかもしれません。ただ…、主人とはコールを用いて日々連絡を取り合っていました。昨日はフィーユのことも伝えたくて、こちらから呼びかけたのですが。今に至るまで応答は無く……」


 携帯電話が存在しないこの世界では、通信手段も魔法となる。わざわざ電話を受ける動作をしなくとも耳元に直接音が届くシステムなので、気付かないなんてことは有り得ない。

 魔籠石まろうせきに込めたコールであっても同様であり、返事が無いということは旦那さんの身に何かあったと思うのが当然の流れだった。

 一つ可能性があるのは、アンデクスたちは魔籠石まろうせきのコールを使っていたとのことなので、それが壊れたか。もしくは紛失したか。例えそうとして、全く何事も無く大切な通信手段を失うというのも考えづらい話ではあった。


「オーケー。どうせ外には出るつもりだったし、テレポートのポイント設置も兼ねて探しに行ってくる。僕なら広範囲を見渡すスキルがあるから、おおよその方角さえわかれば効率よく探せると思うよ。」

「でしたら私もご一緒いたしましょうか?万視ばんしスキルを使われるおつもりなのですよね。歩を進めながらとなりますと、慣れるまではすぐ目の前の状況把握がおろそかになり危険です。」

「そっか…。でも村に居なくて平気?結界の維持とか。」

「結界の内から出なければ問題ありません。」

 結界の範囲はユヌ村を囲む森の広さとほぼ同じ。そこに危険な動物はほぼ居ない上、結界に阻まれ攻撃的な魔物も侵入しては来れない。人が歩くための道の整備はされていなくとも歩みを妨げるような悪路は無く、今から出発すれば日付が変わる前には森の外に出られる計算だ。

 森を出る頃には流石に万視ばんしスキルの常用にも慣れているだろうが、今日の天気と日没後も行動することを考えれば、アロガンさんにギリギリまでサポートしてもらうのが得策。一緒に来てもらうと決めうなずく。

「じゃあお願いするよ。すぐに出れる?」

「はい、問題はございません。」

「ってことだから、ちょっと行けるところまで行ってくる。」

 口出しする暇も無くその場でおろおろとしていたアンデクスだったが、僕の言葉を受け深々と頭を下げた。

「よろしくお願いいたします!主人はここより真南に位置します神聖樹しんせいじゅへ向かい、折り返してオルールの森に入ったあたりで連絡が取れなくなりました。」

「オルールの森、ですか。」

 アロガンさんがいささか動揺しているように見える。地図にはユヌ村の森を南に抜け平原を挟んだ向こう側にその森が描かれていた。迂回した方がいいタイプの森なのだろうか。

「確かに馬で真っ直ぐ駆け抜ければ少なくとも三日は短縮できます。しかしあそこはダークウルフをはじめ危険な魔物の巣窟そうくつ、プースの事は心配ですがカルム様がお一人で向かわれるなど…」

「いや、ほら。やっぱり危なそうだなって森を出て迂回うかいしてるのかもしれない。そうでなくても馬に乗ってるんだよね?予定通り戻って来てるなら今頃はオルールの森を抜けてるよ。」

 そうであって欲しいという希望ではあるが、やはり連絡が無いのは何よりも気掛かりだ。急がなければ。

「何かあればすぐに連絡する。フィーユのそばにいてあげて。」

「カルム様、神父様…、お二人ともお気をつけて。」


 危なくなればテレポートで戻ればいい。旦那さん…プースって言ってたっけ。プースを見付けてもし怪我をしているようなら、僕のヒールで回復できるだろう。魔力MPさえ切らさなければ、道中に必要な道具も創作スキルで生み出せる。魔物と遭遇しても、不意を突かれなければ負けはしないはず。

 魔力MP回復薬だけ幾らか分けてもらい、そのまま南へ向け出発した。






 教会にテレポートのポイントを設置し、ユヌ村を出てすぐ万視ばんしスキルを発動してみる。

 視界上部、目の前の景色と薄く重なるように、通常なら木々に遮られ見渡せない範囲のマップが斜め上から見下ろすような角度で表示された。生き物の位置も無数の点で示され、気になる地点に意識を向け注視すると、そこがまるで眼前がんぜんに迫るかのように拡大される。

 画面上に表示したマップを常に見ながら移動なんてゲームではよくやっていたことなのに、実際にやるとなるとボタン操作とは比べ物にならないほど難しい。アロガンさんが言った通り、足元の木の根にすら気付けない有様だったため、手を引いてもらい早足で森を進んだ。


「雨も降ってるし霧がかってて見通しはよく無いけど、スキルには関係無いんだね。前だけじゃなく全方向対応…、範囲は半径2キロってとこかな。」

「私には使えないスキルですが、以前村に立ち寄った冒険者が所有しておりまして詳しく話してくれました。魔法によるマッピングでは、立体的とはいえ手書きのものと大差ないカタチでしか把握できないのに対し、万視ばんしは障害物、明るさなどにも関係なく広範囲をありのままに視認できるとか。ダンジョン攻略で重宝するというのも頷けます。」

 確かに、手付かずの洞窟やらダンジョンを手持ちの照明だけで進むのは大変だろうから、無人のカメラが先行して様子をうかがうようなこのスキルは便利なことこの上ない。今だって、見通しが悪い中での人探しにも役立っているわけだし。


 だが、気付いてはいけないことに僕は気付いてしまった。障害物に関係なく見通せるということは、壁越しの覗きも容易に行えてしまうわけで。僕自身にその気が無く見えてしまうこともあれば、見てもいないのに妙な疑いをかけられてしまう可能性だってある。

 万視ばんしスキルを使えることは、創作スキル以上に秘密にしておかなければならないと思った。


万視ばんしも便利だけど、僕はこっちを覚えたいな。」

 傘も差さず歩いているにもかかわらず、僕たちは全く濡れていない。アロガンさんがかけてくれた『マジックガーメンツ』という魔法のおかげだ。

雨は肌に当たる前に弾かれ、目に見えない薄い膜を伝いしたたっていく。湿気でまとわりつくあのレインコートの感触が無いのが大変素晴らしいし、雨だけでなく汚れや低レベルの攻撃魔法も弾くという。その上何と!虫除け効果もあるというから最高だ。

「“命譜めいふの書“の未習得分の魔法で記載があるのでしたら、私がお教えすれば直ぐにでも使えるようになるのですが。」

「そうなの?暇があったら見てみる。」

「フフッ、カルム様でしたら、もっと上位の魔法を使えるのでは?…未習得のもので私が使える魔法があれば、いつでも習得のお手伝いをいたしますよ。」

 未習得分を自分の力でどう習得するのかなんてわからないんだから、必要があれば積極的に頼るべきだろう。落ち着いたら、未習得側もしっかり読んでおかなくては。




 二時間は歩いただろうか。慣れないスキルに慣れるため常時使用しているせいで、疲労感が半端ない。

 丁度、大型の動物が冬越しをしただろう奥行きのあまりない洞穴ほらあなを見つけ、アロガンさんの提案で一旦休憩となった。


「スキルそのものには慣れてきたんだけど、どうもスキル側の視界に意識がかたよっちゃって足元が見えなくなるんだよね。」

 地面に座り項垂うなだれていた僕の背中をアロガンさんがさすってくれている。

 生力HP魔力MPも消費しているわけではないから、ヒールを唱えたところで疲労が消えることはない。

 こんな時、人手不足で連日夜勤だったあの頃、日々を乗り切るパートナーだった栄養剤があれば…なんて思ってみたけど。あれだって一時的に疲労を誤魔化ごまかすだけに過ぎないもんな。

 ベッドで横になりたいと思いつつ、キャンプ用のマットを創作スキルで作り出し、倒れ込むようにうつぶせた。

 アロガンさんは僕の創作スキルがお気に入りで、またも感動しているようだったけど、気にせずマッサージを続けてもらう。


「確か、実際の視界の上部にスキルでの視界が映し出されているんでしたよね。」

「そー。ある程度横の方まで視野を広げてあるから、気になるポイントが多くて。ほら、僕らが今居る洞穴ほらあなみたいなのも、生き物の反応があったら覗いてみないといけないし。」

「なるほど…。でしたら、私が以前アナライズしたプースの記録をお渡ししましょうか。カルム様はプースと会ったことが無いのでコールなどに必要な個人認識もできていませんが、アナライズにより得た情報があれば代用も可能と思われます。」

 疲れて頭が回らないのか、言っていることがいまいち理解できない。情報があれば何か違うのかな…

「えっと、どういうこと?」

「プースという存在をカルム様自身が知ることにより、おそらくスキル上でも他の生命体とは別の反応を確認できるのではないかと。」

 つまり、僕が知ってる人間なら、万視ばんしスキルのマップ上でもその人とわかる反応があるはずってことかな。村を出てから、目視できない範囲を対象に使い始めたから全然気付かなかった。


 すかさず自分のすぐ後方に向け万視ばんしスキルを発動してみると、広範囲マップの一番手前にいるアロガンさんだけ違う色で表示されている。それだけではなく、感覚的にそれが知った人間だというのもわかる。

「プースの反応がマップ上でわかるんだったら、カバーする範囲を最大まで広げられる。こんな手があったなんて…」

 アロガンさんがこの手柄に、僕の背後でどんな顔をしているのかちょっと見てやるつもりで注視し、慌てて飛び起きた。

 キョトンとした顔をしているけど、さっきの愉悦ゆえつに満ちた表情。見間違いでは無かったはずだ。

「あ、ありがと。だいぶ楽になった。…えっと。その、プースの情報だっけ。どうやって受け取ればいい?」

「手を…」

 本能的に少し警戒しながらも、アロガンさんと両の手を重ね意識を集中する。そこからプースという人物の情報が流れ込んできて、僕の記憶の一部として定着した。

 会ったことも無ければ詳しい人物像も聞いていないのに、よく知った人のように記憶の中に居るのは何とも不思議な感覚だ。

 でも、これで無駄なよそ見をする必要がなくなるわけだから、格段と効率が上がる。

「うん、いけそうだ。出発しようか。」




 その後も数回の休みを挟みつつ南へ進んだ。日没を迎え、雨雲に覆われた空には月も無く、辺りが闇に包まれてからもプースの捜索は続く。

 長時間歩いて足裏にできてしまった豆などは簡単にヒールで治せたが、蓄積されていく疲労は相変わらずどうにもできず。一旦村に戻って休むことも考え始めたその時だった。万視ばんしスキルの及ぶ範囲がついに森の外に到達した瞬間、プースと思われる反応を掴む。

「見つけた!馬を降りて森に入るところだ。…ん?なんか、誰かと一緒みたいなんだけど。」

 注視した映像の中、プースとは別に知らない男がいる。友好的な雰囲気で会話してはいるようだが、その男の服はあちこち破れ泥に塗れ、幾日も洗っていないような状態に見え何とも見窄みすぼらしい。

「ぅわ。汚…」

 あまりの汚れように衝撃を受け、思ったことがそのまま口から出てしまった。

「どうされました?その男に何か問題が…?」

「あ、いや、多分大丈夫だとは思う。うん。ともかく、プースの元へ向かおう。」


 プースまでの距離はおよそ2キロ。あちらは森に入り結界の内で休憩を取るようだったから、もうスキルを使う必要も無いだろう。ずっと早足で進んできたが、更に早く小走りで接近する。

 色々と限界だけど、そんなことを言っている場合ではない。早くプースの元へ行きアンデクスに連絡を取らなくては。僕の心も休まらないのだ。


 互いの声も届く距離まで近付いただろうか。大声で呼びかけると、それを掻き消すように強い風が吹き抜けた。後ろでうめき声が聞こえ振り返れば、先ほど見た男がアロガンさんの首を掴み木に押し付けている。

「な、何を…するんですか、ぅぐッ…突然っ」

 両手で男の腕を掴み抵抗するもびくともせず、アロガンさんの表情が歪む。

「おい!やめろ‼︎いきなり見ず知らずの相手を襲うなんて、どういうつもりだよ!」

 引き剥がそうと試みるも僕の腕力では到底力及ばず、拾った太めの木の枝で男の背中を叩けど無反応。僕の存在になど気付きもしない風で、アロガンさんの眼を鋭く睨みつけている。

「お前の目的は何だ。」

「も、く……てき?なんの、ことです。っ…私は、プースを迎え、に…」

 その答えを聞いた瞬間、少しは話しを聞く気になったのか男がわずかに力を緩めた。

「…あのおじさんの知り合いなのか?」

「っ、えぇ…。っはぁ……彼の、奥さん、…アンデクスに依頼され、迎えに…」

 その返事を信用しきれないのか、男がようやく僕の方を見て目を細める。


 何なんだこいつ、アロガンさんを巻き込みそうだからやらなかったけど、電撃魔法でもぶち込んでやろうか。

「コールへの応答が無いってプースの奥さんに聞いて、彼女の代わりに探しに来たんだ。ちなみに今きみが押さえつけているのは、プースが住む村の神父さん。僕のサポートのため付いて来てもらっただけで、きみに攻撃されなきゃいけない理由は何一つ無いと思うんだけどね。」

 沸き上がる怒りを抑えつつ、丁寧に答えてやった。

 睨みつける僕の眼をしばらく見つめ、納得に至ったのかアロガンさんを解放する。


 咳き込み、僕のそばに戻ってきたアロガンさんの首にはくっきりと男の指痕が残っていて、そっと撫でつつヒールをかけた。指痕はすぐに消えたものの心配で顔を覗き込むと、いつも通り嬉しそうに微笑みかけてくれる。

 あー、一層ムカついてきた。今なら誰も巻き込むことは無いし、本気で魔法を撃ち込むか…?


 僕が物騒なことを考えてはいたが、どうにか場が収まったタイミングでプースが馬を連れ姿を見せた。知った顔に気付き駆け寄ってくる。

「神父様!なぜこのようなところまで…」

 プースへの説明はアロガンさんに任せ、僕は丁度よく地表に盛り上った木の根に腰掛けアンデクスへのコールを繋いだ。

 さっきの男がまだいぶかしげにアロガンさんを見ているのは気になるものの、プースの後ろで大人しく話しを聴いてるようだったので、僕はアンデクスへの連絡に集中する。余程心配していたのだろう、プースの無事を知った彼女は涙声で礼を言った。


 あとは、テレポートでユヌ村に戻るだけ。で、今更だけど、馬も含めてこの人数を一度に運べるのだろうか。

 テレポート自体やったことは無く、“命譜めいふの書“で概要を知ったのみ。アロガンさんが何も言わなかったところをみると、複数を纏めて送るのも可能だとは思うけど。

 とりあえずユヌ村を囲む森の南側の出口ということで、目印にもなりそうな特徴的で大きな木のそばにテレポートのポイントを設置し、“命譜めいふの書“を手にしたまま三人に近付いた。


 アンデクスに連絡しポイントを設置している間に、おおよその説明は済んだようだった。僕の起こした奇跡についても伝わった様子で、二人が深々と頭を下げてくる。しかも男の方は必死の謝罪付き。土下座の勢いで迫ってきた。

「本当に悪かった!おじさんを守って村まで連れて帰らないと、俺の今後の生活もかかってたもんだから…。あんたが救世主様とも知らず乱暴な真似を。…すみませんでしたっ!」

 僕は特に乱暴なことをされた記憶はないけど。アロガンさんにも謝罪し、かなり反省もしてるようだから許してやることにした。

 しかし、この男の方こそ一体何者なのか―――


 アロガンさんよりもまた少し背の高いその男は、汚れた身なりに反して整った顔をしていた。魔法により明るく照らされた髪は金髪で、所々に少し色の濃いメッシュが入っているように見える。瞳は刃のように光る銀灰色ぎんかいしょく。服さえまともなら、たいそうモテそうな美丈夫だ。

「僕のことはもう聴いたろうし、名乗る必要は無いかな。…で、きみは?詳しいことは村に戻ってでいいからさ、名前だけ教えてよ。」

「アルディート・ポテンザだ。よろしくな!救世主様!」

「…うん、まぁ。よろしく。」

 まだ大した言葉も交わしていないけど、何となく察してしまった。このアルディートという男、猪突猛進のおバカタイプだ。さっきの鋭い眼付きだとクールなイメージだったのに。せっかくの美丈夫が台無しだな。


「あ、アロガンさん。ちょっと確認なんだけど…」

 馬も含めた他人数のテレポートについて聞けば、テレポート発動時に展開する魔法陣内にさえ居れば数は問わないとの回答だった。

 それを聴き、すぐさま“命譜めいふの書“を手に大きめな魔法陣を敷きユヌ村へ向かってのテレポートを実行する。

 魔法陣から発せられる強い光に目を閉じ、次に開いた時にはもうユヌ村の教会前。その景色に安堵した途端、疲れが一気に押し寄せへたり込んでしまった。

 昨日に続き情けない様である。


「悪いけど、あとは全部明日にしてもらえるかな。アンデクスにもそう伝えといて。」

「カルム様はお疲れなので、これにて失礼いたします。」

 同じ距離を僕をサポートしながら歩きアロガンさんだって疲れているはずなのに、軽々と僕を抱き上げ家に戻ってくれた。

 奇跡の姫、再びか…。二人が呆然と見ていたけど、もうどうでもいい。


 あぁ、お腹も空いたな。感情に任せて己を酷使こくしし過ぎた。

 人助けも大事だけど、もうちょっと自分をいたわらないと。長生きできないな…


 それからいつも通りアロガンさんに世話を焼かれ、腹も満たしてベッドの中。

 長かった一日を終えた。

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