第40話 金脇宮子の幕間 その五

『シンバルを勧めた』


 放課後、日和が尻ドラム部へ向かうと言うのでついて行くことになった。


 日和が小森くんの指示でお尻を丸出しにしている姿を想像して心配だと言うと、そんなことはないからついて来いと言われたのだ。


『ドラムにシンバルは必須』

「そうなの?」


 日和はこくこくと頷いた。


 果たして尻ドラムはドラムなのだろうか……なんて疑問を浮かべながら歩いていると、尻ドラム部の部室前へやってきた。


 ここへ訪れるのもこれで三度目だ。あまり良い印象も無く、日和を連れて早く帰りたいと思った。


 私は日和に扉を開けるよう促して、その背後に隠れるように身を縮めた。


 日和は扉をノックし、なんの躊躇いもなくドアノブを捻る。


「頼む!」


 真っ先に目に映ったのは、小森くんが紫藤さんに土下座している姿だった。


 思わず頭を抱え、ため息が漏れる。一体なにを頼み込んでいるのか知らないけれど、どうせロクなことではないと悟った。


 小森くん以外は私たちの入室に気付いていたけれど、何も言ってこない。不思議に思ったけれど、日和が掲げているスケッチブックを見てみると『おかまいなく』と書かれていて納得する。


「嫌だってば……」

「尻ドラム部なんだ! シンバルを扱うならそれはお尻に取り付けないと駄目なんだ!」


 意味の分からないことを言っていた。


 確かに日和が勧めたであろうシンバルが黒い箱と一緒に置いてあった。後から聞いた話だけど、あれは手で叩くカホンシンバルというものらしい。


「だからって、私のお尻に挟むなんて……」


 やっぱりロクでもないことだった。


「挟まなくてもいい! あのブラックボックスに入って、穴からお尻と一緒にシンバルを出しておくだけでいい!」

「それお尻出す意味ないよね?」

「ある! だって……尻ドラム部だから!」


 見ると、黒い箱は三つあった。前回訪れたときから一つ増えている。それに紫藤さんが入るか否かというやり取りが繰り広げられているみたいだ。


 他のメンバーの様子を見る。

 月野さんと丸井くんは小森くんの言葉に頷いていたけれど、水瀬さんは呆れた様子だった。


 まともな人と変わり者、どちらかだけでは成り立たない。こうやってこの部の均衡は保たれているんだなぁとしみじみ思う。


 ふと、自分の二面性もこうやって均衡が保たれているんじゃないかなんて、深く考えそうになって考えるのをやめた。


 紫藤さんは呆れて、そして困っていた。二人がどういう関係か知らないけれど、たぶん親しいはずだ。そんな相手に土下座されたら困るのも無理はない。


 不憫に思った私は小森くんに存在を気付いてもらうために声を出すことにした。


「あー、お邪魔します」

『こんにちは』


 小森くんは、パッと顔を上げてこちらを見た。


「あぁ、小泉さん……と金脇さん?」

「日和に用があったんだけど、こっち行くって言うからついて来ただけで……」

「そっか、ちょっと座って待ってて」


 風紀委員として来たわけじゃないということを伝えたかったのだけど、小森くんはたいして興味も無さそうに席を指差して言った。

 そして、改めて紫藤さんに向き直る。


「陽子……頼む!」

「えぇ……」


 彼はまた勢いよく頭を床に叩きつけた。


「月野や丸井みたいなパンツじゃなくていいから!」

「宙くん、顔を上げて?」


 紫藤さんが言うと、小森くんはスッと顔を上げて彼女の目を真っ直ぐに見つめた。


 その真っ直ぐさは、何も間違ったことは言っていないような純真さの表れとさえ錯覚させられる。


 だけど待ってほしい。彼は今、紫藤さんに人前でお尻を出してと頼んでいるのだ。


「あぅ……」


 紫藤さんも同じような錯覚に陥っているのだろうか。もともと、押しに弱そうな人でもある。この部へも同じような流れで入部させられたんだろう。


「………………わかった」

「ありがとう……!」


 しょんぼりと肩を落とす紫藤さんに他のメンバーが集まった。


「よく言った!」

「一緒に頑張ろうっす!」

「本当にいいの?」

「うん……私も協力したいとは思ってたし……」

「よーっし! 早速練習するぞ! ほら、陽子も脱いで脱いで!」


 この人……さっきまで土下座していたとは思えない……。


 結局、お尻を出すだけなら練習の必要はないからと、紫藤さんは黒い箱に入らずにその場を逃れた。


 それからカホンシンバルは普通にセッティングされ、日和の指導のもと練習が始まった。

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