第39話 今穿いてるやつが欲しい

「……う、ん? 宙くん?」


 箪笥の中にあった水瀬の下着を観察していると、ベッドからそんな声が聞こえてきた。


 俺は手に持っていた白いパンツを慌ててズボンのポケットに押し込み、水瀬の方を見る。


 寝ぼけているのか宙くんと呼んだ気がしたけれど、聞かなかったことにしよう。


「お、起きたか……」


 座薬挿入から一時間ほど経ち、水瀬が目を覚ます。時刻は午後八時を過ぎ、外は真っ暗だった。


 正直、誰かが帰ってくる前に水瀬が起きてくれて助かった。こんな時間まで娘の部屋に居座る男子なんて、親からすれば警戒対象にしかならない。


 だから俺は、水瀬が起きたことを確認してすぐに帰ろうとした。


「ずっと、いてくれたんだ……」

「ん、あぁ……」


 それから少し間が空いて、普段の水瀬からは想像も出来ないくらいに素直に、心からの言葉が彼女の口から零れ落ちた。


「ありがと……」


 俺は先ほどまで観察していた水瀬の下着を思い返した。


 白や淡い色をはじめとした落ち着いた色の綿製ばかりだった。今穿いているのも灰色の綿製ショーツだ。


 もっとケバケバしいサテン製ショーツを穿くと思っていたが、やはり水瀬の荒々しいギャルという印象は薄れていく一方だった。


 寝ている間に勝手に下着を漁っていたから、罪悪感というか後ろめたさというか、感謝されるのが逆に申し訳なく思えた俺は、水瀬を見ながらポケットに手を入れた。


「水瀬……俺……」


 素直に謝ろうと、ショーツを返そうとした。


「欲しいなら……あげる」


 気付いてた。しかも、あげるって言われた。


「なんで……?」

「お礼……?」


 語尾の上がる疑問形に俺は困惑するしかなかった。


 まだ水瀬の熱は下がっていないということだけは分かる。顔の紅潮しきった水瀬の潤んだ瞳は俺をじっと見つめ、その眼差しは俺のいろんなものを掻き立てる。


「くれるなら」


 俺はひと呼吸置いて、欲望に身を委ねた言葉を続ける。


「今穿いてるやつが欲しい」

「………………」


 段々と目が細められ、というか睨まれ、水瀬のいつもの顔が見れたという安心感が心地よく胸の内を満たした。


 本当に貰えるなんて思ってない。いつもみたいにキモいとか言う元気な水瀬が見たい。本当だってば。


 だから、ねぇ、どうして布団の中に潜ってゴソゴソとするのさ。


 掛け布団と敷き布団の隙間から、俺へと向かって水瀬の手が伸びてきた。その手には先ほどまで彼女が穿いていた灰色のショーツが乗っていた。


 脱ぎたてほやほやとは、まさにこの事。


 汗やアレやソレで湿っぽく、しかも灰色だから濡れてる部分は黒く染みになっていて、なんだかとても卑猥に感じる。


 俺はそっとそれを受け取る。そして代わりに、ポケットに入っていた白いショーツをその手に乗せた。


 そして次の言葉に悩む。お礼を言えばいいのか、謝罪すればいいのか……ていうかどういう状況なんだこれ。


 その時、家の玄関の開く音が響いた。誰かが帰ってきたのだ。


「マジか……」


 俺は水瀬から受け取った灰色綿ショーツを慌ててズボンのポケットに入れる。水瀬も俺から受け取った白いパンツを慌てて穿いていた。


「れいー?」


 帰宅した何者かが水瀬の名を呼び、この部屋へ近付いてきた。


 足音は徐々に近くなり、部屋の前で止まった。声からして母親だろうと予測出来たけれど、会う準備というか覚悟は出来ていなかった。


 水瀬は母親の入室を拒むようなことはしなかった。たぶん、俺と会わせることになんの抵抗もないのだろう。


 俺だって会うだけなら別に抵抗なんてないさ……こんな状況じゃなければ。


 ガチャリと音を立てて扉が開かれた。水瀬によく似た女性が入室しようとして、足を止める。


 その目は俺をしっかりと捉えていた。


「あら……もしかして、そらくん?」

「え?」

「やだ、久しぶりじゃない! お母さん元気?」

「はぁ、まぁ……お久しぶりです」


 水瀬すら覚えていなかった俺が、水瀬母を覚えているわけもなく、しかし覚えていないと言うのもしのびなく……。俺は水瀬母に話を合わせることにした。


「ところで、今日はどうしたの? え? れい、風邪?」


 連絡しなさいよ、と言う母親に水瀬は子どもじゃないんだからと軽くあしらう。

 とにかく、俺は安心して帰れるわけだ。


「それじゃあ、失礼します」

「麗のこと、ありがとうね。よかったら夕飯をご馳走させて?」

「いえ、今日はもう帰ります」


 そんなやりとりののち、残念そうな水瀬母と水瀬娘に見送られながら俺は水瀬宅を後にした。


 あれ、なんで水瀬娘も残念そうにしてたんだ。……気のせいだろうか。


 そんなことより、俺は少し膨らんでいるポケットの中身に思いを馳せ、自分の家に駆け足で向かった。

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