第29話 アスタリスクってあるじゃん?

 放課後、部室の扉を開けると退屈そうな顔の水瀬が椅子に座っていた。


「なんだ、一人か」

「帰っていいなら帰る」

「それは困る」


 俺は水瀬の対面の席に座り、机の上にあったオナホの尻肉部分をペタペタと叩いた。


 部屋の真ん中に据え置き型のオナホがある風景が当たり前の部室……風紀委員に目を付けられるのも頷ける。


「アスタリスクってあるじゃん?」


 俺はオナホを叩きながら言った。


「え? あたしに言ってるの?」

「お前以外いないだろ」


 水瀬がチラッとオナホを見た。


「それに話しかけてると思った」


 オナホに話しかけるほど病んじゃいねぇよ。


「……まぁいい、アスタリスクってあるだろ? 米印みたいなマーク」

「あー、うん」

「あれって、アナルだよな」

「意味分かんないしキモいから死んで」


 水瀬は辛辣だった。月野ならきっと頷いてくれただろう。


「ごめん、でもこの話には続きがあるんだ」

「……なに」


 辛辣でも相手をしてくれるところに水瀬の優しさを感じる。


「俺さ、アスタリスク見ただけで……こう」


 興奮する。


「き、も、い!」


 言い切る前に水瀬が身体を乗り出して言った。こんな反応をされると分かっていながらも言ってしまう。


 水瀬は素直に俺を罵倒しながらも、俺に構ってくれる。


 ギャルの余裕か、はたまた弱みを握られているせいか、理由はともあれこの距離感が心地よかった。だから俺は、それ以上のことは言わないし、やらない。この距離感が崩れないように。


 次はなにを言おうかと考えていると、部室の扉が開かれた。


「遅くなってすまない」


 俺と水瀬と同じクラスでありながら、なぜか後からやってきた月野である。


 こいつが休み時間や放課後に姿を消すときは大抵ヒーロー活動なのを知っているから、特に言及はしない。


「よう、座れよ」


 うむ、と頷いて月野は俺の左隣に座った。


「私が来るまで何を話していたのだ?」

「アスタリスクがアナルみたいだよなって話」

「ほう……」


 例の話に戻すと、月野は俺の予想とは真逆の反応を見せた。じっとりと俺を睨んだのである。


 あれ?


「そ、それで俺がアスタリスクを見ただけで興奮するって……」

「宙はアスタリスクを見ると私のアナルを思い出して興奮すると」


 月野は立ち上がって、俺を蔑む眼差しで言った。


「そうは言ってないよ!?」


 どうやら根に持たれていたらしく、月野の地雷を踏んでしまったみたいだ。


 水瀬を見ると、舌を出して俺を小馬鹿にしつつも椅子を動かして俺と月野から距離を取り始めていた。


 ハッと月野を見る。

 木刀が降りかかる。


「ホァ!」

「なに!?」


 白刃取りが決まったァ!


「ふっ、二度と食らうかよこんなもん……」


 それでも月野は木刀に力を込めて、なんとか押し勝とうとしてきた。俺は負けじと木刀を右に傾ける。


「あれ? アリスのその木刀って、あの時ジャスティスムーンが使ってたの?」


 水瀬の指摘に、不意に木刀に込められていた力が抜ける。俺が持っていないと落ちてしまいそうなくらいだった。


「な、ななななにを言う……」

「いや、でもなんとなくそれっぽいし……てか、アリスっていつも木刀持ってるし……あれ? この前ジャスティスムーンが助けに来たとき、アリスっていなかったよね? もしかしてジャスティスムーンの正体って……」

「えあ……う、その……だな……」


 月野は激しく動揺していた。顔中に汗を垂らして、引きつった顔でこちらを見てきた。顔に『助けて』と書いてある気がした。


 正直、木刀の見分けなんて付かないと思うし、言い訳だっていくらでも出来るだろう。


 そう思うのは俺が第三者だからだろうか。当の本人はテンパってるせいか頭が回らないらしい。


「あ、月野……海崎先生がお前を探してたぞ」

「な、なに? それは本当か!? 先生の手を煩わせてはいけないな! すぐに行ってくる!」

「あ、待ってアリス!」


 月野は陸上部もびっくりのスタートダッシュを切り、廊下を駆け抜けた。水瀬の呼び止める声は虚しくも彼女の耳には届かなかった……ということにしておく。


 もちろん、海崎先生が呼んでいたなんて嘘である。


「あーあ……ま、いっか」


 意外にも執着していない様子で、水瀬の興味はすぐに月野から逸れそうだった。


「いいのか?」


 俺はそれが逆に不安に思えて、つい口を出してしまった。このまま話題が変われば、月野的にはありがたいだろうに。


「あんた、知ってるんでしょ?」


 ギクリと肩を揺らす。水瀬、聡い子。

 俺が答えに困っていると水瀬は、ふんと鼻を鳴らして口を開いた。


「まぁいいや。ところで、あれなに?」


 水瀬は部室の隅に置かれた二つの黒い箱を指差した。


 人ひとり入るほどの大きさで、穴が一つ空いている。怪しげな雰囲気を醸し出すブラックボックスの説明は部員が全員揃ったらしようと思っていたが、月野は戻ってくるだろうか……。

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