第24話 一緒にお風呂、入ろう?

 騒動の翌日、土曜日。


 昨日夜更かしをしたわけでもなかったけれど、なんとなく体が怠くてお昼になっても布団から出る気になれなかった。


 起きたところで予定もない。あぁ、月野に本を返してもらおうかな、なんて思いながらスマホを手に取る。


『そろそろ本返して』


 一言だけ入力してメッセージを送信する。しかしすぐには返事はこなかった。


 今日はだらだらと過ごそう、そう思った矢先だった。

 ガチャリ、と部屋のドアが開かれた。


「あ、起きてた」

「ノックしような」


 陽子だった。ごめんごめん、と言いながら部屋へ入ってくる彼女は特に変わった様子でもなく少し安心した。


 昨日、乳ドラム部の騒動の後は一緒に帰った。陽子は別れ際までどこか落ち込んでいた。


 理由は分かっていたけれど、俺は特に何も言えずにそばにいるだけだった。自分のせいで俺が痛めつけられたとか、そんなことを考えていたのだろうけれど、どう割り切ったのか今はもう平気そうな顔をしている。


 顔は、ね。内心は分からない。


「急にどうしたんだ?」

「うーん……べつに?」


 用事はない様子だった。

 家が近所だから、今までもこうしてお互いの家になんの連絡もせず遊びに行くなんてことは珍しくなかったけれど、高校に入ってからは初めてだった。


 いや、休日は初めてだけど、この前月野が来たときに陽子も来たんだった。


 陽子は俺の寝ていたベッドに腰掛け、俺を見つめた。

 俺が首を傾げると、ぽんぽんと自分の膝を叩いていた。俺の予想が正しければ、これはたぶん膝枕の催促。


 催促なんて普通、してもらう方がするんじゃないか? とも思いながら、俺は陽子の膝に頭を乗せた。


「なんで俺、膝枕されてんだ?」


 べつに、昔からそういう習慣があったわけでもない。記憶が正しければ、この前のが初めての膝枕だ。


「嫌?」

「嫌じゃないけど……」


 むしろ心地よい。俺は寝返りをうって、陽子の腹部に顔を埋めた。


 それからどちらも無言のまま、時間が流れた。体感的にはとても長かったけれど、実際は数分くらいだろう。


「あのさ」


 口を開いたのは陽子だった。


「うん?」

「この前、話してた……結婚の約束の話」


 俺はすぐに思い出す。砂場遊びの帰りとお風呂という大きな記憶違い。


「どっちが正しいかって?」

「たぶん……私は間違ってないの。むしろ……忘れられてるのなら少し残念だし」


 だから、と陽子は言葉を続けた。


「一緒にお風呂、入ろう?」

「……はい?」


 陽子の顔を見上げると、彼女は頬を染めて顔を背けた。よく見ると耳まで赤くなっている。


 なにを言っているんだ? と会話を振り返っても、やっぱりよく分からない。だから、で繋がる要素は?


「……なんで?」


 動揺してはいるけれど、相手が陽子だからか比較的冷静でいられた。


 そもそも数年前、小学生の頃まではたまに一緒に入ったりした覚えがある。そりゃあ中学生になる前くらいからは一緒に入ることはなくなっていた。どちらかが嫌だと言ったわけでもなく、いつの間にか、自然と。


 だからって、もう高校生なんだ。この歳の男女が一緒にお風呂に入るということがおかしいことくらい分かっている。


 いくら陽子のことを恋愛対象として見ていない、性的な目で見ることができない家族のような存在でもだ。


 女子高生の娘と一緒にお風呂に入る父親……いや、男子高校生の兄弟でもいい、そんなやつがいるか? いや、俺が知らないだけで世の中には沢山いるかもしれない。


 だからって、ねぇ。


 黙っていた陽子が口を開いて、また閉じる。何度か繰り返してようやく声を出した。


「だから、思い出してほしくて」

「結婚の話?」


 こくり、と陽子は頷く。


 確かに俺は、陽子とお風呂に入って結婚の約束をした覚えはなかった。


 でもそれは、俺が忘れているだけなのかもしれないし、実際に再現すれば思い出すかもしれない。


 だからって……と思考がループしていることに気付く。


「あー……えー……」


 言い淀む。これでもかというくらいに言い淀む。もしかしたら、その内陽子が「やっぱりいい」なんて言ってくることに期待していたのかもしれない。


「いいけど……」


 いいけど、いいのかなぁ。


「じゃあ、入ろ」

「え、今?」


 こくり、と相変わらず顔を背けたままの陽子が頷く。


 時計を見ると午後一時を回ろうとしている。この時間にお風呂……沸かすのか。


「あー、家に誰かが……」

「……いなかったよ、誰も」


 示し合わせたかのようなタイミング。これはもう腹をくくるしかないのか。

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