第22話 乳ドラム部だ

 屋上への扉を開けると、そこには四人の男子と陽子がいた。陽子は椅子に縛られて、身動きがとれない状態だった。


「おいおい、マジかよ……」


 思わず声を漏らす。

 辺りを見回したが、他には誰もいない。月野はまだ来ていないようだ。先に向かったんじゃなかったのか?


「ようやく来たな、尻ドラム小森」


 一人の男子が前へ出て言った。一年生、名前は鈴木(すずき)だったか。


 他の二人の制服を着た男子もどこかで見覚えのある顔だった。そしてもう一人は、何故か剣道着姿だった。


 四人の男子が陽子を囲むように立っている。前へ出た鈴木は得意げな顔で俺を見ていた。


「えーと」


 フィクションじみた状況に理解が追い付かないせいで、先ほどまでの不安や怒りが一瞬吹き飛んだ。


 たぶん、「陽子、無事か!?」とか「お前ら何が目的だ!」とか叫ぶ場面なんだろうけど、気恥ずかしいというか、素直に言えなかった。


 でも一応言っておこう。こんなこと言う機会、もう無いかもしれないから。


「よう……」

「ヨーコ大丈夫!?」

「おま……」

「あんたたち何が目的なの!?」


 俺の台詞をことごとく水瀬に持っていかれた。俺がなんともいえない気持ちで水瀬を見ると、彼女は「あたし何かした?」みたいな顔で見返してきた。


 いやまぁ、いいんだけど。


 陽子は口にガムテープを貼られているため、首を縦に振って返事をした。ちょっと涙目なのに気付いて、怒りの感情を思い出した。


「俺たちはお前に尻ドラム部の入部を拒否された者だ! 忘れたとは言わせんぞ!」


 あぁ、どこかで見たことあると思ったら。


「丸井もお前らがやったのか」

「どうして俺たちは断られて奴は受け入れられた? それが許せなくて手加減が上手く出来なかったよ」


 肯定と捉えて問題のない返答。鈴木の発言に他の男子もニヤニヤと下卑た笑みを浮かべていた。


 だけど俺は、怒りに任せて拳をあげることも、罵声を飛ばすこともしなかった。


 なぜか? 陽子や水瀬が見ていたからだ。

 部長の俺が、奴らと同レベルに成り下がるわけにはいかなかった。


「お前は尻ドラム部を作った……。容姿が学年トップクラスの女子を三人も入れ、あの人気の海崎先生までも顧問として引き入れて!」


 鈴木の声には憎しみさえ感じ取れた。あいつは俺を妬み、恨んでいる。


「目的は入部か?」


 鈴木たちはケラケラと笑った。


「尻ドラム部なんてそんなものはもうどうでもいい。俺たちは新たに部を発足する。だから、お前のところの女子部員をいただく! それが紫藤さんを解放する条件だ!」


 その紫藤さんも部員なわけで、渡してしまったら解放しても結局お前らのところに行ってしまうではないか。そんな矛盾を考えながら、一応問う。


「なに部だ?」


 鈴木はニヤリと笑った。


「乳ドラム部だ」

「うわ、きもっ」


 水瀬が率直な感想を述べた。


 俺は、彼らが一度は尻ドラム部への入部を希望したにもかかわらず、乳ドラム部を創部する気でいることに怒りや呆れを覚えた。


 お尻が好きなんじゃなかったのか? 女体ならなんだっていいのか? そんな半端な気持ちで尻ドラム部に入部を希望したのか?


「断るって言ったら?」

「断らせないさ」


 鈴木と剣道着姿は動かず、二人の男子が前へ出てきた。指の関節を鳴らし、敵意を剥き出しに一歩ずつこちらへ進んでくる。


「水瀬、先生呼んできて」

「あんたは残るの?」

「陽子を放ってはおけないだろ」

「ボコボコにされるわよ?」

「かもな」


 俺は前へ出た。やられる覚悟は出来ている。


 あとは水瀬が先生を呼んでくるのが先か、俺が倒れるのが先かだ。そりゃ、抵抗くらいはするけど、喧嘩で勝とうなんて思っていなかった。


「そこまでだ!」


 だからこそ、背後から月野の声が聞こえて内心安堵した。いや、少し訂正しよう。今は月野ではない。


「だ、誰だ!?」


 鈴木たちが驚きと困惑の声をあげる。


 振り返ると、今日はアメコミヒーローのマスクを被った指名手配犯がいた。マスクのクオリティが高く、既製品なのかななんて一瞬考える。


「ジャスティスムーン……見参!」


 口上はアメコミっぽくなかった。


「お前は……噂の!?」


 どうやら知ってるらしい。前に出た男子たちは一瞬怖気付くように後ずさったが、鈴木はそれでも笑った。


「ははっ、こういうこともあろうかと助っ人を呼んでおいたのさ! お願いします、牛尾(うしお)先輩!」


 助っ人だと? なんて、驚くこともない。さっきからずっとそこにいる剣道着姿の男子がその牛尾先輩なのだろう。


 牛尾先輩とジャスティスムーンは睨み合いながら歩み寄り、お互い少し距離を置いて立ち止まった。


「剣道部主将、牛尾猛(うしおたけし)」

「通りすがりのヒーロー、ジャスティスムーン」


 お互いが名乗りを上げる。ジャスティスムーンはあくまで通りすがりのヒーローだった。


「剣道部の主将がこんな低俗な一年生に協力とは、些か呆れるな」

「ヒーローごっこは楽しいか? 指名手配犯め」


 牛尾先輩は竹刀を構え、ジャスティスムーンは木刀を構えた。

 視線に火花を散らし、両者今にも切りかかりそうだった。


「デヤァアアアアア!」


 牛尾先輩が竹刀を振り上げた!

 その巨体がジャスティスムーンに覆い被さるように迫る。竹刀が勢いよく振り下ろされ、地面を叩く。


 寸前で左方に避けたジャスティスムーンは姿勢を瞬時に整え、牛尾先輩に木刀で切りかかる!


「噴ッ!」

「なに!?」


 牛尾先輩は振り下ろした竹刀を素早く持ち上げ、木刀による攻撃を受け止めた。


 つばぜり合い、ジャスティスムーンと牛尾先輩は顔を寄せている。


「なぜ、あんな連中の助っ人を?」

「すべては紫藤陽子のため」

「意味が分からないな」


 牛尾先輩はジャスティスムーンの木刀を弾く。


「彼女は縛られている。小森宙に……!」


 彼が力強く言った。


「宙に? 縛っているのは貴様らだろう?」

「そういう意味ではない。精神的に、という意味だ」

「やはり分からないな」


 両者隙を見せないままに会話は進んだ。


「彼女は好きな人がいると、俺の告白を断った。しかしなぜ、付き合ってもない小森宙といつも一緒にいる? なぜ、あんな奴の下品な部に入る?」


 幼馴染だから、長い付き合いだから。それと、俺がお願いしたから。そう俺は思っているが。


 てか、陽子に告白した上級生ってお前かよ。


「それで、あいつらの行為を貴様は許すのか?」


 ジャスティスムーンが指差して言う。陽子が口をガムテープで封じられ、椅子に縛られている。その上、乳ドラムにされようとしている。


「もはや彼女に対する恋愛感情はない。俺は小森宙から彼女を奪い、その乳を揉みしだきたい!」

「下衆め……!」


 ジャスティスムーンが言い捨て、牛尾先輩に飛びかかった。牛尾先輩も応戦、激しい攻め合いが繰り広げられる。


「すげぇ……」


 剣道部主将と互角に渡り合うジャスティスムーンに対し、素直にそう思った。


「なに悠長に観戦してんだよ」


 声の方へ振り向くと、拳が飛んできた。


「ぶえっ」


 頬を殴られ、よろめく。

 迂闊にも二人の男子生徒が近付いていたことに気付かなかった。


「負けを認めな」


 印象に残らないような特徴の無い顔の二人が拳を握り、一定の距離を置く。名前も思い出せない。


「乳ドラム部……ふへ、笑える」

「テメェが言うんじゃねぇ!」


 一人が殴りかかる。その大袈裟なモーションのお陰で俺はそれを躱せた。

 たぶん、こいつらも喧嘩慣れしていない。ただ……。


「ウラァ!」

「ぶぉふっ」


 もう一人に不意を突かれた。人数的に不利だった。


「一人で、良い思い、しやがって!」

「紫藤さん、月野さん、クレオパトラまでも!」

「もう全員のお尻を触ったのか!?」

「まさか、海崎先生のも!?」

「許せねぇ!」

「死ね!」


 二人は不平不満をぶつけながら、俺を蹴り、殴り続けた。

 地べたに倒れ込んだあとも、激しい暴力が俺に降り注ぐ。


 霞む視界の中で、心配そうにこちらを見つめる陽子の頬に涙が伝っていた。泣くなよ……。


 ジャスティスムーンと牛尾先輩は、いまだに一歩も譲らない攻防を繰り広げている。


 木刀と竹刀がぶつかり合い、バチバチと音を響かせてその戦いの激しさを主張する。

 泣いている陽子の横にいる鈴木が笑っていた。


「あぁ、紫藤さん。可哀想に。そんなに泣いて、あなたの可愛い顔が台無しじゃないか」


 そいつはそう言ったあと、陽子の耳元に顔を近付けてコソコソと何か言っていた。ここからでは何を言っているか聞こえないが、それに対して陽子が頷いていた。


 陽子の口を塞いでいたガムテープが鈴木によって剥がされる。


「さぁ、言うんだ」

「私は……ち、乳ドラム部に……入ります……」

「なっ……」


 俺は耳を疑った。いや、たぶん、これを言えと言われたんだ。言えば俺とジャスティスムーンは助けてやる、と。


「陽子! 屈するな!」


 ジャスティスムーンが叫ぶ。

 そうだ、屈するな。


 倒れている俺をなおも蹴り続ける二人の足を、俺は掴んだ。それでも振りほどかれ、その手を踏みつけられる。


「言ったじゃない……! もうやめて……!」

「あいつらは耳が遠いらしい。悪いけど、もう一回言ってくれるかい?」

「うぅ……わ、私は……」

「言うな、陽子! くっ……どけぇえええ!」


 牛尾先輩から一旦距離を取ったジャスティスムーンは勢いよく駆け出し、そのまま振り上げた木刀を牛尾先輩に叩きつけようとした。


「ウラァアアアア!」


 それに応戦するように牛尾先輩も竹刀を振り上げた。

 両者の全力と思われる一撃。


 竹刀の音が響いた。両者の攻撃を受け止めたのは、互いの身体でもなければ武器でもなかった。


 両手に竹刀を持つ女子生徒が、牛尾先輩とジャスティスムーンの攻撃を一人で、そしてそれぞれを片手で受け止めていた。


 紅いベレー帽を被り、「風紀委員」と記された紅い腕章をつけたショートヘアの女子生徒。


 先日、部室にやってきた風紀委員の一人、大神照だった。

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