第17話 気持ちいいんですけど……

 俺と月野と水瀬は、元手芸部室を訪れた。


 カーテンが閉じられた薄暗い室内、机や棚は埃を被り、しばらく人の出入りが無かったことがうかがえる。


 海崎先生が元手芸部の顧問で、三年間新入部員がいなかったから廃部になってしまったらしい。


 海崎先生が尻ドラム部の顧問になってくれたおかげでここも使えるというわけだが、なんと運のいいことだろう。


「今日からここが俺たち尻ドラム部の部室だ」


 それから遅れて終礼の終わった陽子と丸井がやってきて、五人で部室の掃除をした。というのが昨日の部活動である。


 掃除の行き届いた部室で、今日から本格的な尻ドラム部の活動が始まるのだ。


「部長!」

「なんだ、丸井」


 丸坊主の男子なんて、と思っていたがここ数日丸井と関わって分かったことは、彼はわりと良い奴だってことだった。


 掃除も積極的にやってくれたし、女子たちへの気配りも出来ている。

 きっと同級生の女子にも人気だろう。


「俺、尻叩かれるとき目隠ししていいっすか?」

「なんで?」

「その方が興奮するんで」

「あっそう……どうぞ……」


 しかしドMである。


 でもまぁ、目隠しは同じ尻ドラム役の女子たちの尻を見ないことになるし、女子たちもプライバシー的に安心だろう。


 アイマスクで目隠しをした丸井は制服のズボンを脱ぎ、四つん這いになった。


 ブーメランパンツである。


「うわ……サイテー……」

「罵声、大歓迎っす!」


 水瀬の言葉に悦びを感じている丸井は、早く叩いてくれと言わんばかりに尻を振っていた。


「さぁ、みんなも丸井に続いて」


 俺は月野と水瀬と陽子にそう言った。


「し、仕方ないなぁ」


 月野が棒読みでそう言いながら、スカートをたくし上げて丸井の横で四つん這いになった。


 この前の出来事を彷彿させるTバックだった。

 水瀬と陽子の視線がそちらへ向かい、ぎょっとしていた。


「ちょ、アリスなに穿いてんの!?」

「む? この方が叩きやすいだろう?」

「はぁ……」


 水瀬が驚き、その答えに陽子が頭を抱え、ため息を吐いた。


 うんうん、と頷く俺が次に水瀬を見る。

 月野のTバックを見ていた水瀬がようやくこっちを向いて、自分が見られていることに気付いた。


「はぁ!? なんであたしがお尻叩かれなきゃいけないの!?」

「だってそういう部活だろ」

「あんたに叩かれるくらいなら死んだ方がマシよ!」

「じゃあ、水瀬が丸井の尻を叩いてくれ」

「えっ……?」


 俺、男子のお尻は叩きたくないんだ……とは素直に言わないけれど、正直叩きたくない。


「水瀬さんに叩かれるんすか!? よろしくお願いしまっす!」

「はっ、誰が叩くなんて……」

「じゃあ、叩かれるか?」

「ぐっ……」


 水瀬は悩んでいた。

 どちらも拒否してこの場から立ち去れば、俺の撮った恥ずかしい動画がどうなるか考えているのだろうか。


「……分かった」


 賢明な判断だ。だけど、尻ドラム部を創部できた時点で例の動画をどうにかするつもりはなかった。


 水瀬が出て行きたいというなら止めはしないということは、あえて黙っていた。


「じゃあ、そこ」


 俺は丸井が突き出すお尻の正面に水瀬を立たせた。

 水瀬は苦虫を噛み潰したような顔で丸井のお尻を見ていた。


「で、陽子は……」


 俺と目が合った陽子は一歩後ずさった。

 頬が引きつり、この状況から逃れたいという思いがひしひしと伝わる。


「陽子は正面から見ててくれ。何か気付いたことがあればその都度言うこと」

「は!? なんであたしはこいつの尻叩かないといけないのに、ヨーコは見るだけなの!?」


 陽子が安堵のため息を漏らしていると、水瀬が俺に不満をぶつけた。


「陽子は俺から頼んで入ってくれたんだ、無理強いは出来ないだろ?」

「あたしだって……!」

「お前は自分から入れてくださいって言ったじゃん」


 正確に言えば、俺が言わせたのだけど。

 水瀬は俺を睨みはしたものの、それ以上は何も言わなかった。

 少し可哀想に思わなくもない。


「さぁ、始めるぞ」


 役割分担が済んだところで、いよいよスタートだ。俺と水瀬は横に並び、その前に月野と丸井が四つん這いになっている。


 それを正面から陽子が見ているという構図は、端から見ればそれはもう奇妙な光景だろう。


「お尻が低いな」


 月野のお尻が叩きやすい高さになるよう、俺は椅子に座った。すると角度がいまいち合っていないことに気付いた。

 彼女のお尻は俺の脚に向いているではないか。


「月野、お尻をもっと上へ向けれないか?」

「こうか……?」


 彼女は上半身だけ寝そべるように低くし、お尻の角度を上げた。犬や猫が伸びをしているような姿勢だ。


「いいぞ!」

「恥ずかしいんだぞ……」


 水瀬も俺を真似て、椅子に座る。

 目隠しをしている丸井はどうしたらいいのか分かっていないため、水瀬は丸井の背を踏み、無理矢理月野と同じ姿勢を取らせた。


 おいおい、と制止しようとしたけど、丸井が悦んでいるようなのでやめた。


「もっと強く踏んでほしいっす!」

「うわ、きっも」


 水瀬は汚物でも踏んでしまったかのように慌てて足を離した。


 そして、突き出されたお尻に思い切り腕を振り上げて平手打ち。

 突然の出来事。室内に響く軽快な尻打音。


「ンホーッ!」


 丸井の悲鳴にも似た喘ぎが遅れて室内に響いた。


 お尻にはじんわりと紅い手形が浮き出ている。

 叩いた水瀬は掌とお尻を交互に見つめ、驚きから恍惚へと表情が変わっていった。


 え?


「なにこれ……気持ちいいんですけど……」


 水瀬のなにかが目覚める瞬間に立ち会ったことを俺は誇りに思う、気がする。


「で、なに叩くの?」


 先ほどまでの不機嫌な水瀬はどこへ行ったのだろう。嬉々として丸井のお尻をぺちぺちと叩きながら、水瀬は俺に尋ねた。


「なにって、お尻だろ」

「じゃなくて、なに演奏するのかって訊いてんの」

「演奏……?」


 俺はすっかり忘れていた。

 尻ドラムというのはドラムであり、楽器なのだ。


 楽器というのは演奏するためのものであり、決して好き勝手に叩けばいいだけのものではない。


 俺は月野の白いお尻を見た。

 果たして、ドレミの音はどうやって出すんだ?


 ぺちんと小さく叩いた。


「んあっ」


 これが、俺が月野のお尻を初めて叩いた瞬間なのだが、俺はそれどころではなかった。


「今の音は……ド?」


 俺に絶対音感は無かった。ついでに言うと、音楽の成績はあまりよろしくなかった。


「はぁ……ちょっと待って」


 呆れた様子で水瀬は俺を止めた。


「あんた、楽器はなにか出来る?」

「いや……」

「楽譜は?」

「読めない……です」


 小学生のときのリコーダーでさえ、あまり得意ではなかった。


「あたしも何か出来るってわけじゃないし……てか、お尻のドラムなんて出来る人そもそもいないし」


 けど、と水瀬は言葉を続けた。


「パーカッションぽいと思う」

「パー……カッション……?」


 ボイスパーカッションなら聞いたことがあるけれど、パーカッションとは?


「打楽器のことなんだけど、ドラム以外なら……コンガとかボンゴ的なの」

「手で直接叩く楽器のことか?」

「そんな感じ。父親の趣味が楽器でさ、あたしは出来ないんだけど色々見たり聴いたりしてきたから、なんとなくそれっぽいなって」

「確かに、ドラムというよりそちらに近いな。参考に出来る楽器があるなら……演奏も無理ではない」


 月野が会話に入ってくる。水瀬はうんうんと相槌を打ち、俺を見た。


「図書室に行って楽器の本を借りて読みなよ。あたしも知ってることは教えられるけど、ニワカ知識だから」

「助かるよ」


 勢いだけでここまで来たツケとして、課題が課せられた。

 お尻を触るだけで満足していては部として成り立たないのである。


 俺は尻ドラムという楽器と真面目に向き合う必要があった。

 まずはそれに近しい楽器の勉強、それが今の俺がやらなければならないことだ。


 その時、部室の扉がノックされた。部員が扉に注目する中、俺は「どうぞ」と一言来訪者に告げた。

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