第2話 特訓をしよう
「……はっ!?ここは…?」
再び目を覚ますと、そこは何もない世界。
厳密には五畳半くらいの小さな生活可能スペースがあり、現に俺もそこに居るのだが…それ以外は本当に何もない。
床一面が石畳になっている。
生活可能スペースにしたって、畳の上に布団と冷蔵庫とちゃぶ台があるだけの簡素なものだ。
独房?
「これ、手紙?」
他に何かないかと必死に付近を探索してみると、ちゃぶ台の上に封筒が三つ並んでいるのに気付いた。
また、その封筒には番号が振ってあり、どれから読めばいいのかを教えてきているようだ。
…取り合えず、1の封筒から開けるか。
「…『貴方の要望を完全に叶えることが叶わなかった事を、まず初めにお詫びします。代わりと言っては何ですが、時間等と言った概念から解き放たれたこの異空間をお渡しします。今回は貴方の目的が完全に達成するまで出ることは不可能となっていますが、これ以降は貴方の望む条件での使用が可能になりますので、是非異世界ライフを彩るのにご利用ください』…?」
手が震えてくる。
原因は勿論、怒りである。
確かに、俺だってちょっとどうかなー?って思っちゃうくらい酷い要求だったってのは自覚してる。
けどだからって、それが完全に叶えられないので自力で何とかしてくださいってのはおかしくないだろうか。
折衷案とか出そうよそこは。
「『なお、この空間では人間本来の限界や制限が無いため、寿命や成長限界等を気にせずに鍛錬に励むことができます。貴方の要望も、必ず叶う事でしょう』?寿命とかが無いって…他にも色々無くなってそうだけど、これは…要検証って事かなぁ?」
もしかしたら食事や睡眠、排泄行為すら必要ない可能性がある。
だとしたら怖いな。
もしこの苦行を終えて異世界で暮らせるようになった時、人として大事な常識とかが欠如しちゃったらと思うと…背筋が凍る。
「『最後に、ここで得た技能等は全て転生後の肉体にも引き継がれます。肉体の成長等は別途遅れて適応されますが、それ以外は生まれ持っての物となりますので、ご安心ください。では、まずは良き鍛錬ライフを』」
鍛錬ライフを、ですか。
今すぐにでもこの紙を破り捨て、感情のままに叫びたいが堪える。
恐らくそんな事をした所で無駄だ。
この殆ど何もない空間から抜け出すには、俺の要求したモノを全て自力で叶える他無いのだろう。
「…気が遠のくなー……異世界が楽じゃないってのは身構えてたけど、まさか転生の時点でとは思いもしなかったなー…」
ぶつくさと文句を言いつつも、この五畳半の空間から足を踏み出す。
鍛錬と言っても何をやればいいか具体的にわからないが、できることをやらないと気が狂いそうなのもまた事実。
なら馬鹿になるくらいのつもりで体を動かして、時々頭も使ったりして、目標達成を目指すしかない。
やってやる。
成功した暁には、異世界でハーレムライフを送ってやるともここに誓ってやる。
…転生して前世よりも不細工だったら、話は別だけど。
※―――
特訓…と言ってもただの筋トレだが、ソレを開始してから早一日くらいが経過した。
くらい、と大雑把なのはこの場に時計が存在しないからだ。
腕立て伏せ、腹筋、走り込み、その他思いつく限りのトレーニングを全て行っているが、この時点で大分体が悲鳴を上げている。
今は一旦休憩しているが、落ち着いてきたらすぐに再開しようと思う。
休んでる暇があったら、この場を早く去るための行動に使いたいのだ。
ありがたいことに、鍛錬に必要な物であれば要求すればいくらでも『宙から降ってくる』。
ベンチプレスとかもできるし、モチベーションが下がることも無さそうだ。
元々筋トレとかが好きなわけじゃないし、器具があってようやく動けるって感じだったからな。
※―――
大体、一か月くらいが経過した。
石畳に傷跡をつけてどれくらい経過したかを視覚化できるようにしたら、大分気が楽になったのは約一週間が経過したころに実感できた。
独り言の数も増えたし、歌う事も多くなった(全部アニソンだが)以外には、体が日に日に鍛え上げられていくのを感じるくらいしか変化が見られない。
本当は魔法の特訓も並行して進めていきたいのだが、想像だけでは何もわからないので手の付けようがないのだ。
「でも、代わりと言っちゃなんだけど…拳を振った時に、空の切れる音が聞えるようになってきたんだよな。なんか強キャラみたいで嬉しい」
この調子で拳の力が強くなっていくなら、下手に武器を持たずに素手での戦闘を考える方が良いかもしれない。
…シャドーボクシングでもやって、実際に戦闘中にどう動くかのシミュレーションをしてみるか。
※―――
六か月が経過した。
日に日に歌がうまくなっていくような気がする。
後、早口言葉も噛まずに言えるようになってきた。
まさかそこまで成長限界の枷が外れているとは思わなかったな。
肝心な身体能力の方は、バランス良く成長してきているのが自分でもよくわかる。
明らかに移動速度等も増したし、拳を振った時の音も強かで、大分人間離れしていると自覚できるくらいだ。
――しかし、俺の行く異世界はかなり魑魅魍魎が跋扈している世界らしい。
楽しみにとっておこうと放置していた二つ目の封筒を開いてみると、そこには強さの指標が書かれたプレートが入っていたのだ。
リアルタイムで数値が変動していく、スマートフォンのような作りをしているそれには、俺の現在の総合戦闘力とその世界の中で一番強い存在の数値が比較されるように表示されていた。
その差は、もはや語る気も起きない程だった。
なんなのアレ、届くの?
こうしてメキメキと成長していってる自覚のある俺でも、あのプレートの上だとミリ単位でも変動してないんだけど?
――あ、あと魔法の使い方…というか魔力の操作の特訓も開始した。
二つ目の封筒の中の手紙(というよりはメモ)に、魔法の使い方がわかりやすく書かれていたのだ。
解説などもわかりやすかったので、いずれ詳しい話をしようとも思う。
「よっし!次は魔力の精密コントロールと一緒に腹筋と腕立てを一万回ずつ交互に行くか!」
※―――
さらに時間は流れ、もはや年単位でのカウントになった。
大きな変化と言えば…俺の生前使っていた物なら、この空間内でのみ使用可能という事が分かった事が真っ先に挙げられるだろう。
おかげで音楽プレイヤーを使っての本格的なカラオケモドキが楽しめるようになったし、運動中に無音状態が只管続くのも避けられるようになった。
それに娯楽があまりにも無いせいで、勉強が楽しいと感じられるようになってしまったのも驚きの一つだ。
教材とかもかつて使っていた物から新しく注文したモノまで使って休憩時間を潰しているのだが、これが楽しくて仕方が無い。
勉強が大好きだと豪語する奴を以前は軽蔑すらしていた自分が情けなく感じる程だ。
無論肉体的なトレーニングも常にハードさを増している。
辛くなって心が折れない程度の、と最初は自分に甘くしていたが、去年くらいからは自分を痛めつけるようなトレーニングを自ら貸すようになった。
生きている実感が得られる、というとなにやら変態じみて聞えるかもしれないが…その通りなのだ。
この虚無空間においては。
無論その分の成長は実感できているし、何ら問題は無い。
体を動かすのは楽しいしな!
前世だと気づけなかった事に気づけて、正直嬉しいよ!
※―――
「さらに数十年が経過。俺の精神も大分疲弊し始めている…って感じだなー」
アニメのドラマCDを聴いて言語能力の低下を防ぎつつ、ベンチプレスを続ける。
なんだかんだこういった筋トレが一番体に良いのだ。
成長の実感が大分できなくなってきたのが最近の悩みだが、その辺はいずれ解決案が自分の中で出てきてくれるはずだ。
「こうして肉体的なストレスとかを与え続けてると、精神的なストレスがかかりにくいって話だしな。動き回ってる方が性に合うんだろうな、俺」
筋肉は未だ膨張を続けるばかりだ。
背丈も大分伸びたし、このままでは巨人になってしまう気もする。
まぁ、アニメや漫画の知識になってしまうが、限界まで鍛え上げられた筋肉は逆に引き締まっていくと聞くし大丈夫だろ。
――ただ、目下最大の問題が一つある。
「…あー…セックスしてーなー…」
そう、性欲だ。
この空間では、所謂三大欲求が凄く希薄になるらしく、まるで性欲が湧いてこない。
…湧いてこないはずなのだが、なぜだか心はいつも女体を求めてしまうのだ。
しかし肝心な勃起ができないので、性欲を己で処理することもできない。
だから、こうしてリビドーだけがたまっていくのだ。
今までの俺なら絶対に言わないようなセリフが出てきているのがその証拠と言える。
もしこの空間から脱出できたら、感動を覚えるよりも先に自慰を行ってしまいそうなのが何よりも恐ろしかったりする。
「――やめだやめ。変なこと考えて鬱になるより、馬鹿みたいに体を動かすのが俺らしさだろ。言うて元々ゲームばっかやって部屋から出てなかったけど」
※―――
「はいっ!現在約465年目になりまして!俺の方もこのように非常に、非ッ常にね!テンションを、上げさせてもらってるんですけども!」
目の前には、巨大な黒い塊が鎮座している。
軽くウォーミングアップするように体を動かしながら、両手両足を一撃目から最高の状態で使えるように調整。
何故か?
答えは一つだ。聞くまでも無いだろう。
「このように、向こうの世界で最も硬いとされているアダマンタイトの~…六十メートル四方の塊を用意してもらってるんですけども!はい。今日はこちらを、魔力や気の力を使わず…素の状態で、破壊していきたいと~思います!」
気の力、というのは人の持つ精神エネルギーの力の事だ。
オーラとかそういったものを想像してもらえばいいだろうか?
それで体を覆うだけで、人によっては真っ裸でも鎧を身に着けているかのような防御力を得ることができたりする。
破壊力に転用することも勿論可能で、先程俺が説明したアダマンタイトの塊なんか、今の俺でも気を使えば小突くだけで破壊できる。
――だが、気を最大限活かすにはやはり素の力が必要不可欠。
もし素でこれを破壊することができるようになれば、気を纏っての戦闘ならば殆ど負け無しとみていいだろう。
ここに魔法で強化すれば…うっひょぉ!俺TUEEE確定演出キタコレ!
「さっ、まずは挨拶代わりの一撃ッ!!」
左のジャブだ。
それでもアダマンタイトの塊は鈍い音と共に振動し、少し後方へ下がった。
…だがこちらもやはり痛い。
攻撃の瞬間の呼吸等を意識してもなお、痺れや痛みは誤魔化しきれない。
「しかも無傷と来ましたかー…こーりゃ手強いぞ…」
アダマンタイトの塊に、目立った外傷は見受けられない。
拳で穿った部分も、凹みすらしていないのが見てわかる。
「…いつかは一撃で壊せるようになりたいな…と、いう事で…連撃ッ!!」
小さく願望というか、通過点的目標を立てた上で、攻撃を再開。
右手、左足、右足、左手、右手、右足、左足…と、四肢を最大限生かして一か所のみを攻撃する。
どんなものだろうと、一か所に攻撃を当て続ければ必ず壊れるのだから。
実際このアダマンタイトも例外ではなく、次第に凹み、傷、亀裂が見受けられるようになってきた。
「――止めッ!!」
連撃を止め、生じた亀裂に向かって渾身の一撃を放つ。
一度低い音が響いた後、時が止まったかのように静寂が訪れた。
だが、動かずにそのままの姿勢で待つ。
なにせ、既にこの塊は壊れているのだから。
「――うーん…一撃の破壊力の特訓、まだまだ足りねぇのかなー」
一気に全体に亀裂が入り、砕け散り始めたアダマンタイトの塊から距離を取って、自分に足りないのは何かを考える。
いくらでも物質的な物は用意してくれるんだ。
思い立ったら試せばいい。
そんな軽い気持ちで考えつつ、魔法の特訓へ移るのだった。
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