第33話 新たな戦場へむかう
鹿之助ら尼子勢は出雲の国を脱し、鳥取城のある
しかし国境を越え隣国の
その都度、鹿之助や
「もはやここに我らの居場所はないのか」
唇をかみしめて鹿之助は呻いた。
失意の尼子勢の中でも特に尼子勝久は自らの責任に身を苛まれ、痩せ衰えて幽鬼のような姿に成り果てていた。
「悔やんでも悔やみきれぬ……。わたしが戦うとさえ言わなければ」
勝久は食事も摂らず、布部山の戦で没した者達の名を記した紙片を何度も読み返しては、泣きながら詫びているのだった。
「わたしはまた仏門に入り彼らを弔いたい」
ある日、泣きながら勝久は訴えた。それを立原久綱は一蹴する。
「勘違いをなさってはいけません。横道兵庫介たち布部山で散った者共は、供養など望んではおりません」
「しかし、久綱……」
「彼らには出雲に残した子や一族がおります。その者たちに領地を与え、安寧な暮らしをさせるのが国主の務め。お館さまが今すべきは再び出雲を毛利から奪い返すことです。そのように、自分だけ坊主になりたいなどと仰るならば、横道らは決して浮かばれませんぞ」
静かな口調で語る久綱。勝久は黙って俯いた。
「だが……我らはこんなにも無力だ」
ぽつりと尼子勝久は呟く。握りしめた拳に涙がおちた。
そんな尼子の陣中に、追い討ちともいえる報せが届く。鳥取城の山名豊国が毛利に寝返ったというのだ。
「またかや」
思わず鹿之助は出雲弁で声をあげた。
「ほんに、あの
(本当にあの男は、どうしようもないやつだ)
「仕方ないよ。遅かれ早かれ、こうなるのは分かっていたし」
冴名は落胆しながらも、どこかさばさばしている。国主としての気概も家臣からの信望もない山名豊国についてはもう最初から諦めていた。
「しかし、これじゃ何のためにおれたちが鳥取城を奪取したのか分からないな」
「うん……」
山名豊国は、織田派から迫られれば織田派に転び、毛利派が優勢とみれば簡単に毛利派に転ずるような男である。
さすがに豊国には信義や節操が根本的に欠如しているとしか言えないが、現代の政治家も選挙を前にすると、それまでとは全く正反対の政策を平気で主張し始める。これを見ると、今も昔も、権力を保持したがる人間の本質は変わらないのだろう。
「羽柴さまも、鳥取にまで手を回す余裕が無かったのでしょう」
冴名が予想していた通り、尼子勢が鳥取を離れると同時に毛利からの強力な調略工作が開始されていた。
そして山名豊国に代わる将が毛利から送り込まれたのである。
新たに毛利から鳥取城に派遣されたのは吉川経家という男だった。この経家は武勇知略に優れた名将として名高い、毛利軍の切り札と言ってもいい男である。
経家はやがて来たる織田との決戦、それにも関わらず不統一極まりない鳥取城内の情勢から、自らの首桶を持ち登城したという。
城主の経家はすでに死を決している。次はそなたらの覚悟を見せよ、と。
毛利派、織田派を名目に生温い権力争いをしていた鳥取城内の家臣たちは、上下を問わず、みな戦慄した。
☆
因幡における鳥取城の支城ともいうべき鹿野城を目指そうとした鹿之助たちだったが、鳥取城が毛利方となったことでそれも困難になった。
「いい所だったのだがな、鹿野は。とくに城の周りの桜といったら……」
先代の尼子義久に富田城を追われた立原久綱は、しばらく鹿野城下に滞在していた事がある。懐かしそうに目を細めたあと、思いを振り切るようにかぶりを振った。
「こうなっては、播州の羽柴さまと合流するしかない。この兵数だ、苦戦は免れないが、中国縦断といこうではないか」
武器のみならず兵糧も不足する尼子勢だったが、意気だけは高く、進路を南に変えた。
「だが、ここまで兵糧米の調達がままならないとはな」
松田誠保が首を捻っている。
「もちろん、不作だったこともあるのだろうが」
「新右衛門によれば、京阪の商人が米を買い集めているらしい。おかげで米の相場が高騰しているのだ。百姓や商人がおれたち相手に売り渋っているのは、もっと値段が上がるのを待っているからだろう」
鹿之助は苦い表情で言った。
「そうか、新右衛門からな」
松田誠保は息をつく。いま熊谷新右衛門は尼子の陣を離れている。報告のために戻って来ても、ほとんど皆に顔を見せることはなかった。
もはや何度目とも知れぬ毛利方からの攻撃を辛うじて撃退した尼子勢は、
「織田信長さまが朝廷を抑えていらっしゃる。だからいまの大山寺は織田方に寛容なのだろう」
久綱が言った。大山寺の座主は代々、公卿の一門が就任している。彼ら尼子勢の駐留を黙認してくれているのも、そのお蔭といえた。
「大山の南麓から軍勢が向かって来ます!」
朝、出発の準備をしている鹿之助に物見からの報告が入った。
「その数、およそ一千」
「われら相手に豪勢なことだな。鹿之助よ」
松田誠保は半笑いになった。
度重なる戦闘で味方の兵数は二百ほどに減っている。刀槍、弓矢などの武器も敵が残していったものを拾い集めて使っているような状態だった。
「もちろん高く評価してもらえるのは嬉しいがな」
「でも、千とは多過ぎませんか。伯耆南部の国人領主がすべて集結しても、そんなには集まらないと思いますが」
冴名は首をかしげた。
「相手が誰であろうと我らは戦うのみ。それが尼子の意地というものだ」
おう、と全軍が鹿之助に合わせて立ち上がった。
戦闘態勢をとる尼子軍に向かい、一騎駆け寄って来る。
「あれは?」
「構わん、射てしまえ」
松田誠保が命じる。すぐに二、三本の矢が放たれた。
その男は馬上で大きく手を振る。
「待ってください、僕です亀井新十郎ですっ!」
飛来する矢を必死で躱しながら叫んでいる。
「なんだ、新十郎か。ではうしろの軍勢はどこのものだ」
射殺そうとした事を意にも介さず、誠保は亀井新十郎に問いかけた。
「もう。相変わらず乱暴だな、松田さんは。あれは羽柴さまからの迎えですよ」
「迎えだと?」
誠保は怪訝そうに鹿之助と冴名の方を振り返った。もちろん、二人にもその意味は分からなかった。
☆
「尼子勝久どの。此度の吉川元春との戦、見事にございました」
羽柴軍を率いていたのは勝久と同年代か、もう少し若い、少年のような男だった。その色白で端正な容貌はみるからに怜悧そうである。
「あの吉川元春を追い詰め手傷を負わせるなど、我らでも成し得ぬ事と、我が主羽柴秀吉も驚嘆しておいででした」
ははぁ、と勝久は曖昧に頷く。
「それで貴公はどちらさまでしょうか」
これは失礼、とその男は頭を下げた。
「わたしは羽柴秀吉の配下、石田三成と申します。皆さまをこれより京の都までお連れしますので、どうぞよろしく」
「……京へ」
「はい。まずはノブナガさまに拝謁の後、皆様には羽柴軍に加わっていただきます。そして、最前線の
その男、石田三成は事務連絡をするように、淡々とした口調で告げた。
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