第25話 出雲奪還~鳥取城攻防戦

 織田軍の西国進攻が本格的に開始された。

 丹波地方へは明智光秀。備中方面から山陰に向けては羽柴秀吉が総大将となり、鹿之助ら尼子勢がそれに従う。


「ぜひ、陣の端に加えて頂きたい」

 一隊を率いて尼子の陣を訪れた巨漢が悪戯っぽく笑った。破顔した鹿之助は駆け寄ってその男の肩を抱く。

「よく来て下さった、茨之介いばらのすけどの」

 菅谷山内で侍人を束ねる藪中茨之介だった。山内の長、羽根尾はねおの黙認のもと、手勢を連れ参陣したのだった。


「それに、新右衛門も」

 熊谷新右衛門も軽武装した姿で、照れ臭そうに頭を掻いている。鹿之助はふと、気が付いた。


「おや新右衛門、阿井あいさんはどうしたんだ。そうか、やはり振られたのだな。うん、あれは本当に気の強そうな女子だったから無理もないがな、ははは」


「なんだって、鹿之助」

 鹿之助の首筋に冷たいものが押し当てられた。おそるおそる振り返ると、阿井が小刀を手に獰猛な笑顔を見せている。


「よ、よく来て下さいました、阿井さま」

 相変わらず、まったく気配を感じさせない女だ。新右衛門は首筋の冷や汗を拭った。


 さらに一人、少年のような若い男が数人の郎党と共に尼子軍に加わった。

茲矩これのり改め、亀井新十郎茲矩です」


 亀井新十郎は、美肌温泉で知られる出雲の玉造たまつくりを領する湯氏のすえである。湯という変わった名字もこの温泉に由来する。

 鹿之助とは縁戚にあたり、鹿之助もこの新十郎を弟のように可愛がっていた。


「出陣にあたり、ちゃんと神社に祈願して来ましたよ」

 亀井新十郎は得意げに言った。元の所領にある玉造たまつくり 神社だという。冴名が不思議そうに首をかしげた。

「だけど、あそこは良縁祈願の神社ではなかったかしら?」

「ですから僕と冴名さまの、これからの良縁を、ですけどね!」

 新十郎は赤面しつつ、きらきらとした瞳で胸を張っている。


「そんな事より武運を願って来い、新十郎」

 鹿之助と冴名は呆れた。

「やはり鹿之助の弟分ですね。発想が的外れな所がそっくりじゃないですか」

 

「いやおれは別に、冴名との良縁を望んだりした事はないぞ」

 心外な、と鹿之助は口を尖らせる。

「はあ? そうですか。ふん」

 向こうずねを蹴り上げられ、蹲る鹿之助を背に、冴名は足早に歩み去った。



 こうして、出雲へ発向する尼子の陣容が定まった。


 総大将として、尼子勝久。

 筆頭家老の立原久綱と冴名の兄妹。

 侍大将、横道兵庫介。

 同、秋宅伊織。

 熊谷新右衛門と阿井。

 藪中茨之介。

 亀井新十郎茲矩。


 そして彼らを束ねるのは山中鹿之助幸盛である。


 ☆


「まず最初の標的は鳥取城です」

 冴名は絵図面を指差した。


 現在の兵庫県北部にあたる丹波、但馬地方は明智光秀が攻略を開始している。一方、羽柴軍は瀬戸内沿いに西進し、備前、備中(現、岡山県)を制圧に掛かっていた。

 尼子勢は羽柴本隊から離れ、山陰方面へ向かうのである。その最初の攻略目標が鳥取城だった。


 千代川せんだいがわの河口付近には平野が広がり、その中にそびえる久松山きゅうしょうざんに築かれた鳥取城は、難攻不落と言われた月山富田城にも劣らぬ名城として名高い。


 本来であればこの鳥取城は織田方の山陰道攻略の拠点となる筈だった。冴名は陣の片隅で小さくなっている男の方をちらりと見た。

 山名豊国やまなとよくにというこの男は、つい先日まで因幡いなば守護、そして鳥取城の城主だった。しかし城内の毛利派と織田派の対立を抑えられず、ただただ右往左往するのみで、その結果双方から愛想を尽かされ、城を追放されたのだった。


「決して悪い人ではないのだけれど」

 冴名は小さく首を振った。


 ☆


 鳥取城には毛利の先遣隊がすでに入っていた。石見(島根県西部)の領主、益田ますだ藤兼ふじかねである。その益田氏の侍大将は勇猛で知られる品川大膳しながわだいぜんという。


「山中鹿之助がどれほどの者だ。この俺が虚名を引き剥がしてくれる」

 この品川大膳、月山富田城の攻防や松永久秀討伐で名を知られる事になった鹿之助に対し、異常なまでの敵愾心を燃やしている。


 この戦に際し、自らの名前を『棫木たらぎ狼之介』と改め、尼子勢を待ち構えていた。

「鹿はタラの木の若芽を喰えば、その毒に負け、角が落ちるというからな」

 そして云う迄も無く、狼は鹿を襲うものだからである。


 単なる縁起担ぎではない。命を懸けて闘う武士は、名乗りによってその力を自らのものにしようとしたのである。

「山中鹿之助、必ず貴様を屠ってやる」



 鳥取城下に布陣した尼子勢は、益田氏を中心とした毛利、山名連合と対峙した。兵力は城方が尼子勢の数倍にも及ぶ。

 少数での城攻めが不利であることは鹿之助も承知している。そこで冴名の策によって、更に兵の半数を周囲に隠し、寡兵と見せかけ、油断した城兵をおびき出す事にしたのである。


 果たして城方はその策に乗ってきた。少数の尼子方を包囲殲滅するため、揃って城を出て来た。

「あとは任せます。鹿之助」

 鹿之助は冴名にうなづき返した。


 鹿之助は十文字槍を手に、尼子勢の最前線に進み出た。大軍を前にしながらも、その堂々とした姿に、城兵の間からも賛嘆のざわめきが起こった。


 静かな表情のまま、鹿之助は槍を強く握り締める。そして、馬上、大きく息を吸い込んだ。

「掛かれっ!」



 最初に飛び出したのは秋宅伊織の手勢だった。圧倒的多数の城方を相手に、果敢な戦いを見せる。やはりそこは歴戦の尼子勢である。数をたのむだけの山名勢に引けは取らない。


 だがその状況が一変した。


「見ておられぬわ。因幡の者どもは下がっておれ!」

 後方から猛然と騎馬を進めて来た武者がいる。棫木狼之介である。次々に尼子の兵を薙ぎ倒し、秋宅伊織に迫った。


 狼之介の鋭い突きを辛うじて躱した伊織はその突き出された槍を脇に抱え込んだ。そして両手で抑え込む。

「これで動けまい。やれっ」

 すぐに、秋宅伊織の郎党が槍を封じられた狼之介に向かう。


「ふん。どうかな」

 狼之介の筋肉が膨れ上がる。じりじり、と槍の穂先側が上がっていく。

「な、なにっ!」

 伊織は掴んだ槍ごと持ち上げられていた。そしてそのまま地上に叩きつけられた。

「ひいっ!」

 秋宅の郎党たちは怖れをなして動けなくなった。

 

「死ねやっ!」 

 地面に転がる秋宅伊織目掛け、狼之介の槍が突き下ろされる。


 ぎいんっ、という擦過音とともにその槍が弾かれた。

「退がれ伊織。今度はおれが相手をする」

 狼之介はその新手を見て、唇の端を吊り上げた。その武者の兜は三日月と鹿角の前立てである。


「貴様が山中鹿之助幸盛だな。この日を待っていたぞ。俺は棫木狼之介、石見の狼が出雲の鹿を喰らいに来た。覚悟せい!」


 剛槍が唸りをあげ鹿之助を襲う。それを鹿之助は軽々と躱した。

「ほう。やるな、出雲の鹿め」


 だがやがて棫木狼之介に焦りが見え始めた。力任せに槍を振り回しても鹿之助の身体に触れる事すらできない。

 一方、鹿之助は繰り出される攻撃をその度に跳ね返しはするものの、全く攻撃に転じようとはしない。馬上でなぜか不満げに首を捻っている。


「貴様、なぜ攻めてこない。俺を弄るか!」

 もはや息も絶えだえに狼之介は叫んだ。


「吉川元春は来ているのか」

「なに?」

「この山陰に吉川元春は来ているのかと訊いている」


「吉川さまは備中方面だ。ここには来ない」

 それを聞いた鹿之助は小さくため息をついた。月山富田城の攻防で元春に敗れて以来、彼の槍筋を常に脳裏に浮かべ、元春を倒すために鍛錬を繰り返してきた鹿之助だった。


「そうか。ならば、来ざるを得なくして見せよう」

 

 狼之介の視界が一瞬白く輝いた。その時にはすでに、彼の胸板を鹿之助の槍が貫いている。

「ただの一槍で……」

 槍が引き抜かれるのに合わせ、棫木狼之介の身体は馬上から転落した。


「石見の狼を出雲の鹿が討ち取ったぞ!」

 戦場に鹿之助の咆哮が響き渡った。


 それに時を合わせ、埋伏していた尼子兵が一斉に蜂起し城兵に襲いかかった。主将を失った益田氏はひとたまりも無く崩れ立ち、山名の城兵もそれに続く。

 城内でも元々織田派であった者達が主導して降伏の白旗を掲げた。尼子勢の奮戦により鳥取城は織田方の手におちた。


 鹿之助はさらに山陰道を西へ向かう。


 目標は、出雲である。



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