第24話 松永久秀を討つ

 新宮党の生き残りだった少年は、鹿之助の求めに応じて還俗げんぞくし、尼子勝久と名乗ることになった。

 その性格は、傲慢で知られた祖父、国久や父の誠久さねひさに似ず穏やかではあったが、鹿之助に対しては、わずかな笑顔すら見せようとしない。

 勝久は鹿之助が父と祖父を討った事を知っている。頑なな態度を崩さないのも当然と言えた。


「還俗を承知して頂いただけでも感謝すべきだろう。我らはそれだけの仕打ちをしているのだから」

 鹿之助は尼子の主要な面々を集めた席で言った。それには立原久綱や横道兵庫介らにも異論はない。


「元坊主ということなら、衆道(男色)で心を開かせるのも手ではないかな」

 秋宅あきあげ伊織が呟く。

「それは偏見が過ぎると云うものだぞ、伊織」

 立原久綱が声を荒らげる。鹿之助たちもさすがに眉をひそめている。


「そうかな。坊主とは皆、そういうものではないのか?」

 いい案だと思ったのだがな、と首を捻っている。この秋宅伊織、神主の家系であるため、僧侶に対して反感が強いらしい。




「還俗したのに、やはり寺で暮らす事になるのですね」

 穏やかな西日のさす寺の縁側で尼子勝久は呟いた。京に屋敷を持たない彼らは、明智光秀の紹介で寺の一角を間借りしているのだった。


「朝夕のお勤めをなさるなら、お付き合いしますよ」

 冴名が笑いかける。

「いえ、それはもう結構です冴名どの。わたしはどうも朝が苦手なので」

 勝久はやっと少年らしい笑顔を見せた。


「ところで冴名どの……」

「はい?」

 冴名の方へ向き直った勝久は口ごもった。

「あの山中鹿之助は、本気で富田城を取り戻すつもりなのでしょうか」


 もはや尼子家と毛利家との戦力差は隔絶したものとなっている。それは勝久もよく分かっていた。尼子家に到底、勝ち目はない。だがその言葉を口にするのはさすがに憚られた。


「毛利元就は、安芸の小さな領主から現在の大身になったのです。勝久さまにそれができないと誰が言えましょうか」

「だが、わたしは何の能力もない」

「ならば部将たちを存分にお使い下さい。兄の久綱も、横道さま秋宅さまも、皆、すぐれた武士です」

 弱気な表情を浮かべた勝久に、冴名は頷いた。


「まあ鹿之助はバカですから、お世辞にも知勇兼備の名将とは言えないですけどね」

 そう言いながらどこか嬉しそうな冴名の顔を、勝久は目を細めて見ている。……眩しいな、と小さく呟く。


 ☆


 鹿之助らが宿舎としている寺を、ひとりの小柄な男が訪れた。出迎えた冴名に男は皺だらけの顔で笑いかける。


「やあ、そなた冴名どのであったな。わしは羽柴藤吉郎秀吉と申すものでおさる」

「おさる?」

「失礼。、じゃ。お猿はわしの面相だったな」

 わはは、と爆笑している。


「ノブナガさまから勝久どのに向け、出陣のご命令が出たのでな。それを伝えに来たのだ」

「それは、わざわざ有難うございます」


「これは羽柴さま」

 鹿之助と尼子勝久も庭に出て来た。勝久が織田信長からの指示書を受け取り一読して鹿之助に手渡した。

「明智どのと共に大和へ出陣せよとのことだ。敵は、信貴山城の松永弾正久秀」


「尼子が戦力になる事を証明してみせろ、という事ですか、羽柴さま」

 鹿之助の言葉に、満足げに秀吉はうなづく。

「見事、功績を挙げられたあかつきには織田家中から兵をお貸しする。そして次は……」

 そこで秀吉は声をひそめた。


「ノブナガさまは中国攻めを決意なされた。わしはその総大将を拝命する予定なのだ。ついては、尼子の方々に先陣をお願いしたいと思っている」


 我らが対毛利の先陣に。鹿之助は思わず声をあげた。


 ☆


 三好氏の執権として京畿に勢力を張った松永弾正久秀には、長く宿敵と云うべき男がいる。大和の筒井 順慶じゅんけいである。

 その名から分かる通り順慶は僧籍にあり、南都の寺社勢力を背景としていた。


 織田信長は当初、南都と敵対する松永久秀と結び大和制圧を目指していた。しかし南都側の頑強な抵抗に遭い、その方針を転換した。旧勢力の代表とも云うべき筒井順慶に大和の支配を任せることにしたのである。

 松永久秀は当然この措置に激怒した。そして、その居城である信貴山城において、信長へ叛旗を翻したのだった。


「鹿之助どのは松永久秀を御存じか?」

 明智光秀は信貴山城を遠望する丘に上り、鹿之助に問いかけた。

「数度、お見かけした事がありますが」

「どのように感じられた、あの男の事を」

 うむ、と鹿之助は首を捻る。

「世上、言われるように傲慢で反覆常無い男、とは見えません。見たところ、武将というよりは冷徹な能吏といった印象でした」


 三好氏のように、将軍を擁し京畿を制するということは、当時としては天下を獲ったと言っても過言ではない。その家宰かさいとして将軍家のみならず朝廷とも渡り合ったほどの男である、単に驕慢なだけである筈はなかった。

「惜しいことだ」

 光秀は呟くように言った。


 信貴山城下での戦闘は明智勢の優勢に進んだ。織田家きっての戦上手と言われるだけあり、光秀の布陣には一分の隙すらない。じわじわと、しかし確実に松永久秀の軍を押し込んでいく。

 辛うじて支えていた松永軍だったが、その側面を鹿之助率いる尼子勢が襲ったことで一気に崩壊した。


 鹿之助は尼子義久から譲り受けた兜を着用している。今回の出陣にあたり、兜には三日月に加え、新たに両脇に鹿の角を前立てとして取り付けていた。


「松永どの、勝負!」

 鹿之助は城へ向かって敗走する久秀に呼びかけた。馬を止め振り向いた松永久秀は唾を吐く。

「南都に棲む鹿が、こんな所まで入り込んで来おったか」


「大和ではない、出雲の鹿だ。尼子家家臣、山中鹿之助。いざ参る!」

「ほう」

 松永久秀は兜の庇をあげた。


「貴様、近頃ノブナガに仕えるようになった尼子の者か。止めておいた方が良いぞ。お主らもいずれ、儂のように使い捨てにされるだろうからな」

「何だと」

 鹿之助は馬を止めた。


「ノブナガは人の心を持っておらん。奴は猫のように狡猾で、飽きっぽいのさ」

 ふふっ、と久秀は苦笑いした。


「ノブナガは儂らを、まるで捕まえたネズミのように思っているのだ。玩具のように散々に弄び、使い倒した揚げ句、無用となれば何の躊躇もなく喉笛を噛み砕きおる。儂はそれに気付くのが遅れてこの有様だ」

 どこか哀れみを込めた視線を鹿之助に送り、久秀は背を向けた。

「奴に気を許すな、出雲の鹿よ」


 松永の兵が二人の間を遮る。

「儂はこれより自害する。城から離れておれよ、危ないからな」


 やがて城の櫓から爆風と共に炎があがった。その最上階に松永久秀が立っているのが一瞬見えたが、黒煙に巻かれ、すぐにその姿は隠れた。


 ☆


「松永弾正どのは最後に何と」

 明智光秀は鹿之助の隣に馬を並べた。

 どう答えたものか鹿之助は逡巡していたが、やがて短く言った。


「織田信長さまに気を許すな、あれは猫のようなものだから、と」


「そうか……」

 明智光秀の沈黙はしばらく続いた。



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