第23話 面倒な主君
「どうだ驚いたか」
織田信長は鹿之助と冴名だけを部屋に呼ぶと高笑いした。その掌には目から外した透明な丸いものが載っている。
「これは南蛮から伝わった、”れんず” というものだ」
そう言って、そのれんず越しに冴名を見る。冴名の側から見ると、ノブナガの目だけが大きく見えて、少し不気味だった。
「おっと、これもだったな」
信長は袖で口の横に引いた線を拭っている。
「失礼ですが、どういうご趣味なんですか。信長さま」
冴名が問うと信長はぐっと身体を乗り出し、にやりと笑う。
「なに。たまにこうやって家臣を試しているのだ。どんな反応を示すかによって、その者の器量が分かるというものよ」
「うわ、面倒くさい主君だ」
冴名が小声で言う。
「なんじゃ?」
「いえ、なんでも」
「そなたらも見たであろう、あの普段冷静な光秀が狼狽えておったからのう、笑いをこらえるのに大変だったぞ」
明智光秀は織田家重臣のなかでは仕えてから日が浅いらしい。しかも君主はこんな人だし。
その気苦労を想い、冴名は光秀を改めて尊敬し直した。
「そなたも気付いていたのであろう、鹿之助」
だがそんな冴名の思いなど気にもしていないだろう、信長は鹿之助に目をやった。
「はい。もちろん……痛てっ、冴名なにをするんだよ」
自信満々に答えた鹿之助の脇腹に、冴名の拳がめり込んでいた。
「またウソばっかり」
本当なのに……涙目で鹿之助は呻いた。
「しかし光秀はまだ良いのだ。この主君の変化に気付きもせぬような、佐久間や柴田は論外じゃ。そのうち排除せねばならん」
「そういうお話は、別の方として頂けますか」
こんな所でお家騒動に巻き込まれたくはない。
「ときに鹿之助、なぜこれが芝居だと分かった」
「ああ、それは」
鹿之助は信長の横で丸くなっている猫を手招きする。その猫はとことこ、と鹿之助の膝にあがって来た。
その猫の両脇に手を入れ、ぶらん、とぶら下げる。
『起きろ冴名。桶狭間へ向けて出陣にゃ!』
「おおっ、ネコがしゃべった!」
冴名は思わず目を剥いた。まさかこんな猫がこの世にいるとは。
「違うぞ冴名。これは腹話術という、一種の
はあ、冴名は鹿之助と猫を繰り返し見た。
「しかも信長さまは声と口の動きが別々になっていた。おれ以上の手練れだぞ」
「ふふっ」「それほどでも」「あるがのう」
「ええっ。声が遅れて聞こえてくる?!」
信長は茶を一口すすった。
「あの中で平然としておったのは藤吉郎くらいだったな」
冴名は、末席に座っていた、小柄で年齢不詳な男を思い出した。
「あの方もこのタネを御存じだったのですか」
「さて。目端のきく男じゃから、どこぞで学んだのだろうとは思うが」
羽柴藤吉郎。出自も定かではない、異色の侍大将である。
「それより信長さまがこの技を使えるのが不思議なのですが」
「ふっ。若き日の過ちというやつよ」
切ない顔で宙を仰ぐ信長。
「それこそ意味がわかりません」
「さて、次はどんな手で家臣を試してみようかのう。名馬が手に入ったと言って、鹿を引き出してみようか。何人が『それは鹿だ』と言うかな」
くくく、と笑う信長。
「佐久間や柴田あたりは、これは名馬ですな、とか言いそうじゃのう。ま、その時こそ、本当に追放してくれるわ」
笑顔だが、目が笑っていない。
「そのうち叛乱を起こされますよ、信長さま」
鹿といえば……。信長はそう言って鹿之助を見た。
「そなたは、どっちかのう。ただの鹿か、名馬か」
鋭い視線で鹿之助の顔を覗き込む。
「あるいは、
☆
月山富田城の陥落により出雲地方は毛利の手におちた。毛利に降り所領を安堵された者もいれば、それを是とせず野に下った者もいる。
尼子の家臣で、毛利に降ることを選ばなかったのは、
彼らは鹿之助とともに織田軍に属し、毛利と戦う事を選んだ。
「では、旗頭となる者が必要だな」
立原久綱は集まった尼子の旧臣を見渡した。とはいえこの中では、織田信長からの後ろ盾を得る事に成功した山中鹿之助を措いて他にいないだろう。
「鹿之助。そなたを我らが主としたいが、如何」
久綱に詰め寄られた鹿之助は居住まいを正した。
「それは駄目だ、久綱どの」
「なぜ」
いまさら怖気づいた訳でもあるまいに、と久綱は意外な思いだった。
「毛利の領内には義久さまが居られる」
鹿之助の言葉に、久綱は眉をひそめた。
「もし義久さまが前線に出てきたら、我らはそれと戦えるか?」
あくまでも自分たちは尼子の家臣なのだ。たとえ毛利に降伏しているとはいえ、義久と敵対することは出来ない。
「では、どうする。織田の家臣になるのか」
横道兵庫介が苦り切った顔で言う。たとえ毛利の領内まで潜入し義久を奪還したとしても、義久本人に毛利と敵対する気がなければ全く意味がない。
だとすれば、いっそ他家に仕えるしかないのではないか。
「
「何を言っている、鹿之助。あれは新宮党の一族ではないか」
久綱が珍しく激高した。毛利との内通を疑い、新宮党を率いる国久、誠久親子を誅殺したのは他でもない、久綱と鹿之助なのである。
「到底、無理だ」
☆
寺院の一室で、鹿之助はひとりの少年と対面していた。
少年は明らかな憎悪を込めて鹿之助を睨んでいる。
「還俗の儀、相分かった」
長い沈黙のあと、少年は言った。
「だがお前の事は決して許さん、山中鹿之助」
鹿之助は静かに頭を下げた。
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