第22話 ノブナガとの邂逅
出雲の山中にあって、密かに京の情勢を伺っていた鹿之助のもとに、ある男が兵を率い上洛したという報せがもたらされた。
その男の名を、織田信長という。
信長は、東海の雄である今川義元を討ち取った勢いそのままに上洛を果たしたのだ。そして今や将軍を擁し、天下に号令しようとしていた。
「これはぜひ一度、会わなくてはならん」
鹿之助は旅支度を始めた。
思い立ったら、月山富田城の本丸裏の崖ですら登ろうという鹿之助である。誰であれ、押し留めることは出来そうにない。
「じゃあ、お土産をよろしく」
冴名もすでに諦めている。
「鹿之助のお
当然、新右衛門は鹿之助と同行すると思った冴名だったが、何故か、はかばかしい返事が戻って来ない。
冴名は訝しげに振り向いた。
「ああ、いや。まぁ」
新右衛門は困ったように頭を掻いている。その後ろでは菅谷の女忍び
冴名の頬がぴくぴくと、ひきつる。
「新右衛門、阿井さん。まさかあなた達って……」
いつの間に。
「う、うん。ちょっと、そういう事情なので今回は。あはは」
「あー、分かりました。皆さんお幸せで結構なことですね」
ちっ、と舌打ちする。
「鹿之助!」
冴名はびしっ、と鹿之助を指差した。
「はぁん?」
「こうなったら仕方ありません。わたしが京の都まで、お目付け役として付いていきます」
ええぇーっ、鹿之助が変な声をあげた。
☆
「ところで織田信長に会うっていっても、何かつてはあるの」
自分も慌ただしく旅支度をしながら、冴名は鹿之助に問いかけた。
「当然だ。おれも無為に、この菅谷山内で
明智十兵衛……? 冴名は首を傾げた。
「誰だっけ」
ふふん、と得意げに鹿之助は胸を反らした。
「憶えていないのも無理はない。おれ達と新右衛門が出会った頃のことだからな。晴久さまの所に三人そろって召され、そこで鉄砲という物を持った浪人と引き合わされたことがあっただろう」
「ああ! 思い出した。あの格好いい人だね」
「格好いいは余計だ」
「なんでよ」
鹿之助はぷいと横を向く。そのまま何も言おうとしなくなった。
冴名は目を細め、鹿之助の後ろに立つ。鹿之助の首に腕を回すと、そのままぐいっと締め上げる。
「続きを話しなさい!」
「ぐうぉっ……」
力任せに何度も締め上げるが、鹿之助の返事はない。
「ちっ、強情な」
冴名があきらめて手を離すと、鹿之助の身体はずるずると床に崩れおちた。あわてて覗き込むと、鹿之助は白目を剥いている。
「やだ、失神しちゃってる。ちょっと、鹿之助。どうしたの」
「おまえの締め技が、おれの首筋に完全に
意識を取り戻した鹿之助は真っ赤な顔で咳込んでいる。
「ごめんごめん。この前、阿井さんに教えてもらった技を使ってみたんだよ。まさかこんなに効果があるとは思わなかったけどね」
良い子は真似しちゃだめだぞ、冴名はぺろっと舌を出した。
「で、何だっけ」
「おまえが訊いたのだろう。その明智十兵衛さまは今、織田信長の侍大将になっておられる。おれは何度も手紙を交わし、織田家が毛利と戦う時には参陣したいと申し込んでいたのだ」
ほう。冴名は鹿之助の周到さに感心した。
「おれは、織田信長どのに尼子家復興を願い出るつもりだ」
尼子家の復興ですって。冴名は呟いた。
「だけど鹿之助。義久さまは降伏したとはいえ健在でしょう。表向きとはいえ、尼子の正統は義久さまのままで続いているんだよ」
それこそが尼子残党を
「しかも、あの方は」
冴名はため息をついた。旗印になるべき義久は毛利領内で扶持を与えられ、現況にどっぷりと安住している。間違っても毛利への叛逆など考えていそうに無い。
「あなたが勝手に復興のための運動をしても無駄じゃないのかな」
「それについても、考えがある」
鹿之助は短く言った。
☆
二人が訪れたのは大きな寺である。出雲大社は別格としても、その規模は鹿之助たちの想像する寺社とは桁違いだった。
「これは城じゃないのか」
鹿之助と冴名は呆然とその門を見上げた。
正面には『本能寺』という額が掛かっている。ここは、織田信長が京都滞在中によく宿舎としている寺なのである。
「よく来てくれた。山中鹿之助どの、立原冴名どの」
精悍な男が迎えに出て来た。その男には冴名も確かに見覚えがあった。
「明智十兵衛さま」
男は冴名に頷き返した。
「では、ノブナガさまの所へ案内致そう」
明智十兵衛は先にたって歩き始めた。
ん、と冴名は首をかしげた。『信長』の発音が少し変だったような気がしたけれど。でも方言という事なら、自分たちも相当なものだから他人の事は言えない。
広間で待つ鹿之助と冴名。そこに先触れの声が掛けられた。ふたりは頭を下げる。
「わしがノブナガにゃ。よく来たな
上座についた男は甲高い声で言った。
「ねえ。あれ尾張弁なの、尾張弁ってああなの? ねえ、鹿之助っ」
小声で冴名が鹿之助に訊く。知らん、と鹿之助も短く答えた。
顔を上げると、色白で目付きの鋭い男が膝に三毛猫をのせ座っていた。年齢は三十代半ばといったところだろうか。
「詳細は十兵衛から聞いた。わしと共に毛利と戦うかにゃ」
「ははぁっ!!」
鹿之助は歓喜の声をあげてひれ伏した。
いや。ちょっと。冴名は顔を伏せて表情を隠す。
あのノブナガという男。まったく無表情で目は水晶玉のようだ。喋るときは顔の下半分がカタカタと音をたてて開閉しているようにも見えるけど。
そうだ、これには見覚えがある。
「あれって
「冴名、なにをぶつぶつ言っている。失礼だぞ」
鹿之助が咎める。そんな信長の姿に、明智十兵衛だけは困惑の色が見えるが、他の織田家重臣たちは、鹿之助と同じくまったく気にしている様子がない。
「それとも、わたしの錯覚なのかな?」
冴名の視線に気付いたように、ノブナガの膝のネコが口角をあげ、意味ありげに、にゃぁう、と鳴いた。
そういえば信長の声も、このネコから出ているような気がする。
「どうしたのにゃ、蘭丸」
「いえ、わたし蘭丸じゃありませんし」
かっかっか、とノブナガは無表情に高笑いした。
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