第21話 願わくは花の下にて春死なん

 ごうごうと音をたて炎が噴き上がる。

『かま(釜)』と、たたら衆が呼ぶ粘土で造られた巨大な炉の中には灼熱した大量の木炭が詰め込まれ、さらにその中へ次々と砂鉄が投入されていく。

 その度に、高殿の天井に向け火の粉が高く舞い上がった。


 その前に鹿之助は座り込んでいた。熱風が吹きつけ炎に照らされた鹿之助の表情は虚ろで、ぼんやり見開かれた瞳は何も映していない。


 炉の左右にはが設置され、番子ばんこと云うたたら衆が交替でそれを踏んでいる。初期のたたらは炉の下部に設けた通風孔からの自然通気に拠っていたというが、このふいごにより、大量かつ安定的に鉄の生産が可能になった。

 作業は四昼夜にわたって続けられ、玉鋼を含んだけらが産出される。この一連の工程を『一代ひとよ』と呼んだ。

 この炉は一代限りでこわされ、次の製鉄のためにまた新たに築かれる。それを年に何度も繰り返すのである。


 送り込まれる風によって規則正しく噴き上がる炎を、ただ鹿之助は見詰めていた。


 ☆


「和歌を教えて欲しい。できるなら古来の記紀(古事記・日本書紀)についても」

 菅谷山内すがやさんないの長、羽根尾はねおを前に鹿之助は言った。


「なんだ、出家して歌人にでもなる御つもりかい」

 目を細め弛んだ頬を震わせて羽根尾は笑った。この武骨な若者が頭を丸め、居住まいを正して和歌を詠んでいる姿を想像すると、その滑稽さに笑みを抑えられない。

 ひとつ咳払いをして羽根尾は、ある歌を口にした。


「願はくは花の下にて春死なん、そのきさらぎの望月のころ」


 鹿之助は目を瞠った。脳天から何かが走り抜けたような衝撃を感じていた。全身に鳥肌が立っている。

「その歌は?」


「平清盛は知っているだろう」

 鹿之助は和漢の軍記物語については相当に通じている。平清盛を描いた『平家物語』などは、そらんじる程に読んだものだ。

「もちろんだ。それは平清盛の歌なのか、羽根尾どの」

 

 羽根尾は首を横に振った。

「清盛と同時代の佐藤 義清のりきよという方の歌だよ。西行さいぎょう法師という方が有名かもしれないが」

 佐藤義清はみかどの護衛を務める北面の武士であった。だが彼は突然出家し、西行と名を改める。この出家の理由については、友人の死あるいは高貴な女性との失恋など説があるが、定かではない。

 その後、西行は全国各地を旅し、多くの歌を遺しているのである。


「西行法師。名は知っている」

 鹿之助は何度もその歌を口の中で呟いた。

「……良い歌だ」


「で、和歌や日本紀など学んでどうするつもりだい」

 さすがに訝し気な表情で羽根尾は問いかけた。鹿之助が毛利の吉川元春と一騎打ちをして叩きのめされたと云うのは聞き及んでいる。

 もしや、それでこの世をはかなんだのではないかと思ったのだ。


「おれは京へ行こうと思うのだ」

 しかし、鹿之助にそんな様子は無かった。

「都で公卿や他国の武将らと渡り合うためには、教養というものが必要だろう」


 ふむ、と羽根尾は鹿之助を見返した。

 この若者、ただの武辺者という訳ではないらしい。一見して体格に優れ、容貌には知的な雰囲気も持ち合わせているため、風采は悪くはない。

 これでそれなりの実質を備えれば、京で評判を得るのも決して難しい事ではないかもしれない。


「なるほど。京で、尼子家再興の後ろ盾を作ろうというのか」

「ああ。まあ、そういう事になるか」

 どこか歯切れが悪い鹿之助を見て、羽根尾は眉をひそめた。


「京はいま将軍義輝公が弑逆された事で混乱している。三好や松永の徒は京畿内の事で手一杯だろうから、頼る相手は心して見定めねばならないよ」

「分かっている。だから暫くは様子を見たい。京へ向かうまでに、学ぶべきものを学んでおこうと思うのだ」


 ならば良いが。と、羽根尾は煙管の煙を盛大に吐き出した。

「ところで、お前の本当の目的は何だ、鹿之助」


「そ……それは、尼子家を」

 不意を突かれ言い淀む鹿之助を羽根尾は睨みつける。その視線は鹿之助の裡まで鋭く貫いていた。

「いいかい鹿之助。それがもし、お前の個人的な欲望や怨恨だというなら、だれの心も動かす事は出来ないよ。それをよく憶えておくのだね」


 ☆


 鹿之助は小高い山に登った。


 樹木を伐倒する音が響く菅谷の山中に、炭焼きの白い煙が何本も上っている。

 一方、谷川に沿って作られた水路には水と共に砂利が流れ、掛樋の底に溜まった砂鉄が採集されていた。それらは続々と高殿へ運び込まれている。


 きこり、炭焼き、鉄穴かんな流し。たたら製鉄に関わるのは村下むらげと呼ばれるたたら場の者ばかりではない。中国山地全域にわたり、多くの者達が組織的に働き、菅谷山内を形成している。



「おれは何を目指す。尼子の復興か、それとも……」

 鹿之助はひとり呟いた。

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