第20話 ひとり修羅の途をゆく
吉川元春は、脳髄が鹿之助の攻撃を認識するよりも早く、手にした槍を振り上げ、迫る槍先を横ざまに払っていた。
ぎん! という槍の柄同士が激突する音と共に、その切先は元春の胸元を逸れた筈だった。しかし、鹿之助の持つ槍は通常の物とは異なる十文字槍である。穂先の他、その左右に枝のように刃が備わっているのだ。
「もらった、吉川元春っ!!」
(しまった!)
元春は己の迂闊さを呪った。
弾かれ、やや軌道を変えながらも、十文字槍の水平に伸びた枝刃は元春の喉元を狙って襲い掛かった。
並みの武芸者であればここで身体が硬直し、そのまま致命傷を負うところだが、吉川元春は驚くべき俊敏さで身体を反らし、その必殺の刃をかわしていた。
突き出された十文字槍は、むなしく元春の兜の一部を削り取っただけだった。
「やるな、この男」
元春は呻いた。さらに休む間もなく鹿之助の槍が元春を襲う。
それをひたすらかわしながら、ふと元春は気付いた。
(見事な槍さばきだ。しかし、それだけだ)
この男の槍は、あまりに真っすぐで、素直に過ぎる。
「惜しいことだな」
元春は声に出して呟いた。
やや鹿之助の槍の鋭さに翳りが見えたころ、元春はぐい、とみずからの槍を握り直した。
「ではそろそろ、こちらから行くぞ」
一瞬の隙を衝き、横殴りの槍が鹿之助の兜をしたたかに殴りつける。
さらに元春はくるりと槍を回転させると真直ぐに鹿之助の胸元を襲った。
「あぐぁっ!」
完全に体勢を崩した鹿之助は、とっさに手にした槍を地面に突き、辛うじて落馬するのを防いだ。
そして槍で貫かれた筈の胸に手を当てて、傷が無い事を知った。
「い、
元春は槍の穂先ではなく、柄の末端にある石突で鹿之助を突いたのだ。
「おのれ、馬鹿にするのか!」
鹿之助は再び凄まじい勢いで槍を繰り出す。しかしそれは、すでに十文字槍の軌道を見切った元春にとって何の脅威でもなかった。
「まだ分からんのか、小僧!」
元春の槍が横に薙ぎ払われ、ふたたび鹿之助の兜を打った。
激しい衝撃に一瞬、鹿之助の意識が飛ぶ。
棒立ちになった鹿之助の喉元を、正確に元春の槍の柄が突いた。
「ぐはっ」
石突での攻撃とはいえ、並みの人間ならば喉仏を潰され、そのまま絶息する程の鋭さである。鹿之助もひとたまりも無く馬上から転げ落ちた。
吉川元春はゆっくりと馬を進め、鹿之助を見下ろした。
「その甲冑、尼子晴久どの物だな」
「……」
鹿之助は荒い息をつき、元春を見上げた。喉が潰され、声を出すこともできない。元春は目を細めた。
「貴様、尼子義久ではなさそうだが。一体、何者だ」
「お、……おれは、尼子家家臣、山中鹿之助だ」
辛うじて声になる。
ほう、元春は唇をゆがめた。
「すると、義久どの命令で斬り込んで来たのか、鹿之助よ」
「違う。あの男はそんな気概など持っていない。おれはむざむざと降伏するなど、決して認めん。ただ、それだけだ」
しゃがれた声で喚く鹿之助を、元春は冷たい目で見た。
「お前は……」
元春は槍を回転させ、鋭い穂先を鹿之助に向けた。昇り始めた朝日がその切先に反射する。
「尼子義久は、そんなに頼るに値しない男か」
「ああ。あのような惰弱な男、おれは主君とは認めぬ」
元春の瞳の中に怒りにも似た色が顕れた。
「尼子義久も哀れな。家臣にすら、その真意を理解されぬとは」
「なんだと」
しかしすぐに、ふ、と元春は苦笑する。
「何でもない。仕方がないか、相手がお前のような小僧ではな」
元春は手にした槍を高く引き上げた。
「ならばここで死ね、鹿之助」
☆
再び城門の辺りが騒がしくなった。
「ちっ、今度は何だ」
元春は舌打ちし、槍を下した。
「使者です、降伏の使者が」
周囲の声に、元春と鹿之助は大手門の方を振り返る。そこには、白旗を掲げた使者が月山富田城の山上から降りて来るのが見えた。
「やっとか。遅いわ、尼子義久め」
罵りながらも、元春は思わず両手を合わせていた。彼が待ちに待った使者だった。大きく息をついて、空を仰いだ。
「命拾いしたな、鹿之助」
茫然と涙する鹿之助を見下ろし、元春は言った。和議が成った以上、もはやこの男を殺す事に意味はない。
「心配するな。尼子家の家臣の多くは毛利家で召し抱える事になる。もちろん、義久どのもだ」
元春は槍を引き、馬を返した。
「お前はどうする。山中鹿之助」
振り返り、吉川元春は問うた。ここで降伏するなら受け入れてやるぞ、と。
だが鹿之助は拳を大地に叩きつけた。
「おれは降らぬ」
血を吐くような叫びだった。
「まだ抵抗するというか。義久どのは降伏するのだぞ……」
元春は信じられないといった風に眉をひそめた。主家の安寧が保証されたというのに、家臣が戦いを継続する理由がない。
それをこの男はただひとりで、いまや中国覇者となった毛利家に闘いを挑もうというのか。
鹿之助はゆっくりと身体を起こした。
「吉川元春。おれは必ず貴様を倒し、毛利を滅ぼす。そしてこの月山富田城を奪還してみせるぞ」
敢然と顔をあげる鹿之助。吉川元春はふふっと嗤う。
「よかろう。では、わが毛利は受けて立つとしよう」
思えば毛利家も、父の元就が一代で築き上げたようなものだ。この男にそれが不可能と誰が言う事ができよう。
今は、戦国の世なのだから。
吉川元春は血塗られた未来を想起し、戦慄した。
「だがそれもまた、悪くない」
月山富田城を取り巻く毛利勢は尼子家降伏の知らせに沸き立っている。
その中を山中鹿之助は歩んでいた。
「今は敗北の裡にあるが、必ずここへ還る」
いつの間にか熊谷新右衛門もその後に続いている。
こうして、山中鹿之助はみずから、戦国という名の修羅の途を征くことを選んだのだった。
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