第3話 尼子の忍び、鉢屋衆

 この当時、中国地方には三つの勢力がせめぎ合っていた。

 現在の山口県から北九州に至る広大な領土を持つ大内氏。長い歴史を持つ中国地方随一の名家である。

 そしてその大内氏の庇護を受けながら、安芸地方(広島県)の北部に急速に領土を拡大していく毛利氏。当主、元就もとなりは謀略の達人として恐れられている。


 そして出雲を中心に、山陰を含めた中国地方北部を支配する尼子氏である。


 ☆


 尼子氏が山陰の覇者と呼ばれるのは、晴久の祖父、尼子 経久つねひさによるところが大きい。出雲国守護職である佐々木(京極)氏に仕え、守護代として現地を統括していた経久は、次第に独自の勢力を扶植し、中央からの独立を計るのである。


 これは経久のみならず、全国的な動きでもあった。関東の北条、越前の朝倉。美濃の斎藤、尾張の織田など枚挙に暇がない。応仁の乱以来、京を中心とした管領、守護体制は大きく揺らいでいたのである。

 経久もその潮流に乗ったと言っていい。月山富田城を拠点に、京の守護佐々木氏との断絶を宣言するに至った。


 だが佐々木氏は室町初期に婆沙羅バサラ大名として名高い佐々木 道誉どうよを祖とする名家である。地元の成り上がり者の専横を許す筈がない。同じく出雲に領地を持つ塩冶えんや掃部介かもんのすけに大軍を与え、富田城攻略に送り込んだ。

 すると意外な事に、経久は一戦にも及ばず富田城を退去し、領内の何処かに身を隠したのだった。

 出雲地方に、室町以来の秩序が戻ったかに思われた。

 


 翌年の元日、塩冶掃部介が住まう城下屋敷を万歳まんざいの一団が訪れた。万歳とは、鼓を打ち鳴らし、祝詞を楽の音に合わせ歌い舞う、一種の芸能集団である。全国各地に見られる風習であるが、この地方では彼らの事を『鉢屋衆はちやしゅう』と呼んだ。

 彼らは、定住し耕す土地を持たない。百姓ではなく、もちろん武士でもなかった。その身分は河原乞食と変わる処はない。ただ、こうした芸能を披露することで生活の糧を得ている事が違うだけである。


 そんな彼らに許された特権があった。『推参すいさん』である。これは身分制度の枠外に居る彼らはそれが故に、大名屋敷であろうが、それこそ御所でさえも出入り自由なのである。もちろん阻止される事もあるだろうが、そこは『推参(おしてまいる)』の一言で押し通るのである。


 この時の鉢屋衆も賑やかに舞い踊りながら邸内に入って行く。毎年の正月恒例行事のために、塩冶の家臣も何の疑いも持っていなかっただろう。

 尼子経久は密かにこの鉢屋衆と手を結んでいたのだ。

 油断しきっていた塩冶掃部介以下を、鉢屋衆の後を追い突入した尼子の武士たちが切り伏せていく。

 こうして月山富田城の奪還は成功した。怖れをなした佐々木氏は以後、出雲地方の治世に容喙することはなかった。


 これが戦国大名、尼子氏誕生の経緯である。

 

 ☆


「なんだ」

 富田城本丸の櫓に立っていた熊谷くまがい新右衛門は、ふと目を細めた。山沿いの斜面に何かが動いたような気がしたのだ。

 まさか熊か、小さくつぶやくと更に目を凝らす。やはり動くものの気配がある。

 新右衛門は音もたてず櫓を駆け下りた。


 本丸の際に駆け寄り手近な喬木に手を掛けると、そのまま中ほどの枝まで登っていく。そして何の予備動作も無く、その枝から空中に身を投じた。

 彼はまるでムササビのように、ほとんど枝を揺らす事無く、斜面の下側にある木の枝に飛び移った。そして次々に枝を渡り、気配がある方角へ下っていった。


「おや」

 やはり人だった。それも彼と同じ年頃の男と、それに背負われた娘だ。新右衛門は気配を殺し、その二人が樹下に来るのを待った。



「まだ着かないのですか、鹿之助」

「もう少しだから静かにしてろ。頼むから」

 さすがに鹿之助にも疲労の色が濃い。足を挫いた冴名を背負っているとなれば猶更だ。そんな鹿之助とは対照的に冴名の表情は緩みっぱなしだった。

 時折、鹿之助の首を絞めたりしては、悦に入っている。


「そう言えば、少し林の中が明るくなってきたみたい。頂上が近いのかもしれないよ」

「本当か、冴名」

 冴名は、顔を上げようとする鹿之助の背中に、ぎゅっと抱きついた。

「こら。上を向いたら、わたしが落ちちゃいます。しっかり下を向いて歩きなさい」

「へい」



「おーい、そこの奴ら」


 どこからか聞こえた声に冴名と鹿之助は辺りを見回した。

「なんだ、誰もいない。やはり冴名の屁だったか」

「そんな音はしません。失礼な」


「ここだ。上だ」

 二人は傍らに立つ木を振り仰いだ。冴名や鹿之助と同じくらいの少年が木の枝に腰かけている。

 鹿之助は冴名を地面に降ろし大きく腰を伸ばした。少年を見上げ不敵に笑う。

「そんな処にいるとは、天狗か、お前」


 呼びかけられた樹上の少年はけっ、と笑う。

「お前たちこそ何だ。こんな本丸の裏で何をやっている。もしや他国の間者か」

 新右衛門の顔から笑みが消えた。凄絶な殺気が放たれ、一瞬、林の中が静まり返った。


「おれは山中鹿之助、怪しい者ではない。そして、この女は立原冴名だ」

「わたしは怪しいみたいな言い方をしないで」


「俺は熊谷新右衛門。本丸周辺の警固を仰せつかっている」

 新右衛門は枝から飛び降りた。やはり落ち葉一枚、舞い散らない。

 鹿之助はその新右衛門の恐るべき体術にただ感歎していた。到底、並みの人間にできる技ではない。

 そんな鹿之助を見る新右衛門は、少し翳りのある笑みを浮かべる。


「こんなもの、大した事ではない」

 ……俺は、鉢屋衆だからな。そう言って、新右衛門は目を逸らした。



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