第4話 出雲の若き狼、尼子晴久
「先代の
新右衛門は山の頂にある
鹿之助の背に負われた冴名は、ぎゅっと鹿之助の頬をつねった。
「ねえ何か言ってやりなさいよ。あまりにも失礼じゃない」
「痛てえよ冴名。お前の方が口が立つんだから、お前が言えよ」
「なんだ、文句があるのか。ずっと士分で暮らしてきたお前らに、畜生並みの扱いを受けてきた俺たちの気持ちが分かるのか」
しかしその表情は言葉ほど激越なものではなかった。何度も自問し、遂にはその境遇を受け入れた哀しみが伺えた。
「それが俺たち鉢屋衆だ」
冴名と鹿之助も沈黙せざるを得ない。
「奴は鉢屋衆の力を利用してこの富田城を奪還したにも関わらず、相変わらず俺たちのことを人としては扱ってくれなかった。野垂れ死にしたのも自業自得さ」
☆
尼子経久は山陰を中心とした中国地方北部に強大な勢力を持っていたが、その喉元に刺さった棘となっていたのが、安芸の毛利元就だった。
日本海沿いに大内氏を攻めるにも、石見地方(島根県西部)の豪族に影響力を持つ元就の動向を気にせねばならない。備後地方(広島県東部)に進出するにしてもやはり同じだった。中国地方の
尼子経久は、雲州の狼とまで呼ばれた男である。戦場の勇将であるだけでなく、謀略においても傑出した才能を持つ。
その経久にとっての不幸は、同じ時期に、しかも同じ中国地方に、毛利元就という謀略の怪物がいた事だろう。
『はかりごと多きは勝ち、少なきは滅ぶ』とまで言った元就である。その頭脳のすべてを謀略につぎ込んだかに思える元就に対し、さしもの経久も常に半歩ほど遅れをとったと云っていい。
何度も激戦を繰り返した揚げ句、経済の要となる石見銀山を奪われ、失意のうちに経久はこの世を去ったのだった。
「だがな。あの晴久さまは、この俺たちを侍に取り立てて下さった。俺の手をとり、尼子のために働いてくれと言われた」
だから、と新右衛門は二人を振り返った。その目は少し潤んでいる。
「その時、俺は尼子に
だからお前らも怪しい事をすると……、言いかけた新右衛門は目を瞠った。鹿之助の目にも大粒の涙が浮かんでいる。
「なんだお前。なぜ泣いている」
鹿之助は、無意識に背中の冴名を振り捨てて、新右衛門へ駆け寄った。
「おれもだ。おれも同じ気持ちだぞ、新右衛門」
がっしり、とその両手をとる。もう涙が滝のように流れ落ちている。
「ともに晴久さまの為に働こうではないかっ!!」
「あ、ああ……いや、だけど。いいのか」
新右衛門は鹿之助の背後を気にしている。
「何がだ。今この俺たちの友情を越えるものなど、有りはしない!」
鹿之助は興奮で顔を真っ赤にしている。それを見た新右衛門は、嬉しさと困惑の混じった顔で何度も首を振った。
「まあ、ならいいのだが。だけど……あの娘、谷底へ転げ落ちて行ってしまったぞ」
「なんと!」
☆
「もう。信じられません。この馬鹿之介」
「許せ冴名。これも皆、新右衛門との友情のためなのだ」
「やめろ。痴話げんかに俺を巻き込むな」
泥と落ち葉にまみれ、むくれる冴名を、鹿之助と新右衛門は左右から抱えて、どうにか本丸まで辿り着いた。
「だめだ、もう一歩も動けない」
鹿之助はその場に蹲った。新右衛門も膝に手を突き、荒い息をしている。
「まったくもう。これじゃ、一体何のためにここまで登って来たか分からないでしょう。これから戦うために登ったんじゃなかったの」
ひとり元気なのは冴名だった。
「おおっ甚次郎。まさか、本当にここまで登って来たのか」
大きな声に鹿之助は顔をあげた。
精悍な容貌をした長身の男が小姓を連れ歩み寄って来た。
「鉢屋衆からの報告があったので、もしやと思ったが」
「お館さま」
鹿之助、冴名、新右衛門はそろって片膝を突き礼をする。
そんな彼らを見ながら笑みを湛える男。
これが尼子経久の嫡孫にして現在の当主、尼子晴久だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます