第27話: 不思議
シャツが引かれて、少し冷たさを感じる。鎖骨のあたりに痛みが走る。皮膚越しに骨に当たる硬いもの。
痛点に尖ったものが刺さる。血が出るかどうか。跡は残るだろうな、と思いながらエイカを抱きしめる。溢れた唾液が垂れて、気化熱を感じた。
エイカにとって、この行為はなんなのだろう。一種の独占欲、なのだろうか。別れてしまう相手に対して、引きとどめるのではなく跡を残すという考え。まあ、エイカが僕に残した跡はかなり大きいからこんなことしなくともきっと僕はエイカを忘れられないんだけれどもさ。それよりむしろ、エイカにとって僕がそこまでして覚えさせたい相手だと思ってもらえたということの方が嬉しい。何も考えていないやつならこれを歪んだ恋の形だとか照れ隠しだとか言うんだろうけど、違う。これはエイカにとって純粋に自分勝手な行為だ。
「……っはっ」
結構肩が濡れていた。少し息を切らせたエイカ。
「……見えないな」
「写真でも撮ろうか?」
エイカがシャツで隠れたであろう噛み跡に視線を向ける。ちゃんと見えないところなのは計画的なものなのだろうか。どうせエイカもうまく言語化できないのだろう。
「……いい。鏡で見るよ」
「そっか」
まだ弱くズキズキと痛むが、決して嫌ではない。
「帰るね」
「うん」
ほとんど何も持たずに家を飛び出したせいで荷物はない。身軽なのが妙に不思議な気分だ。
「住む場所決まったら、ハガキでも送るよ」
「僕の住所知ってるっけ?」
「LINEで聞くよ」
「普通にそれで送ればいいのでは?」
「賢い」
そんなバカな会話を交わして、僕はエイカの部屋を出た。
「鍵は閉めておくよ」
そんな言葉が、今は少しありがたく感じた。
「思ったよりしっかりやられたな」
家に帰って鏡を見るとまだ残る跡と、少し赤い皮膚。内出血していることを考えると、普通に痣になるだろう。
「……まあ、転んだとでも思おう」
どうあれ、傷痕というのは痛むのだ。よく触れる場所でもないし、日常生活に支障がないのはいい。けれども、僕の心の中にはエイカに傷をつけられたという説明できない満足感があった。
「……普通の恋なんて、最初から望んでないんじゃなかったかな」
独り言。思考がぐるぐるしている。ハッピーエンド、というやつなのだろう。
結局、僕たちの関係は傷つけあって、それなりに満足したものだった。
なんとなく、まだ濡れていた肩を指ですくって、舐めた。不思議な味がした。
愚かな恋はよく刺さる 小沼高希 @konumatakaki
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