第26話: ハグ
「私は今気分がいい」
「それは良いことだ」
「なので君にハグをさせてやろう」
「……何その微妙に上からの発言」
「そういうこと言うと、合格祝いにハグを求めるぞ」
「結局同じになるんだね」
腕を広げるエイカを、僕は少し諦めたように抱きしめる。
「……やっぱり、抱きしめてもらうのは落ち着くな」
僕を軽く抱き返しながら言うエイカ。
「ねえ」
「なんだい」
「エイカはさ、ハグしたい相手っているの?」
「……まあ、家族と君と、あとはどうだろうな」
「……特別には、思われてるんだね」
「私に友達がいないだけだよ」
こう言われると、僕のまだ残っている恋心のせいで少し胸に痛みが走る。別にエイカに悪気があるわけじゃないから怒りようもないし、今の関係以上は望めないので、完全にないものねだりの想いにしかなっていないけれども。
「……僕は、エイカをこうやって抱きしめてる時間が好きだよ」
「……それを、私以外の恋が嫌いな人に簡単に言うなよ?」
「嫉妬?」
「大雑把に、ひどく分類すればそういう感情と言えなくもないものが混じっているのは否定しない。主成分は君も、もしいるとすれば相手も不幸にならないように、かな」
「……エイカは、僕を独占したいの?」
「……そう思う時もあるし、もっとたくさんの友達の一人でもいいって思う時もある。完璧な相手なんて存在しないからさ」
確かに、僕にとってエイカは完璧な相手ではない。欠点を挙げようと思えばいくつかあるし、そもそも僕に恋をしてくれない。
「ま、私の変わっている感情の相手してくれてることにお礼は言おうかね」
「……どういたしまして」
息をすると、エイカの匂いがする。
「……変な質問するけど、嫌ならそう言って」
「予防線張るなんて、珍しい」
「傷つけるのは嫌だから」
「そもそも、私が傷つく可能性のある質問をする時点であれかもしれないけどさ」
エイカの胸板が下がる。
「で、なに?」
「エイカから、いい匂いがするなって」
「シャンプーのではなく?」
「違う」
「そっか。無香料とまではいかないけどあまり香りのないやつ使っているからな」
エイカが首を傾げて、僕の頭と当たる。
「フェロモンの類かね」
「人間にも、あるの?」
「そりゃまあ。研究はあまり進んでいないけど」
アリの話をよく聞くせいで、少し意外な話だった。
「ただ、厳密にこの物質がそうだって確認されてる例はほとんどないんじゃなかったかな」
「じゃあ、どうやって存在を示すの?」
「実験だよ。私の知ってる例だと……生理周期の話になるけど」
「うん」
「おそらく腋から出る物質が、生理周期を同調させる効果があるって話がある」
「そんなことがあるんだ」
「案外私たちは自分の身体を無意識に使いこなしているからね」
エイカはゆっくりと後ろに僕を引っ張りながら倒れ込む。
「……上着、脱いだほうがいい?」
「別にいいよ」
ベッドに押し倒すような形。立ち上がろうにもエイカが抱きしめていてできない。せめて体重をかけないようにと少しだけ身体を持ち上げているが、体力的に結構きついものがある。
「……お返しだ。最後だし、君にも少しひどい質問しようか」
「そんなこと、言わないでよ」
「それはどっちにかかってる?」
「最後の、方に」
エイカの顔は見えない。目の前にあるのは白いシーツだけ。視線を動かすと少しだけエイカのうなじのあたりが見える。
「君は私と結構くっついているのに、心拍数があまり上がらないんだよ」
気がつくと少しだけ鼓動が速くなる。
「あ、言うと意識するんだ」
「何かをしないようにって言われると、してしまうことってない?」
「結構普遍的な性質だよ」
「……それで?」
「一応、これでも色々な知識がある。最後ぐらいは君に手を出させて、一発殴ってさよならにでもしようと思ってたんだが」
「……酷くない?」
「私なりに、悪くない方法だと思ってたんだよ」
「……馬鹿」
僕はぎゅっと、エイカを抱きしめる。
「ちょっと痛い」
「はい」
緩めよう。
「あと、流石に辛いだろうからさ」
エイカと僕は、ベッドの上で横になる形になった。
「……どうせ最後になるなら、関係性を壊してしまえって思わないの?」
「エイカは思うの?」
「まあ、理解できなくはないよ」
「それを、僕は理解できない」
エイカが息を吐いた。
「……まだ、君の考えが読めないな」
「別に僕は、自分のためにエイカを傷つけたら結果として自分がそれ以上の傷つくからだけどさ」
「別人なのに?」
「自分のことのように思うから」
「別に、自分の境界線が分かってないわけじゃない……よね?」
呟く声は、少し不安そうだ。
「うん」
「そっか。私の思考予測も限界だな」
「……前から思っていたけど、エイカの考え方は独特だよね」
「待って。それは、その、皮肉?」
「ううん。わざわざ、そんなこと言わない」
「そう、か」
ゆっくりとした呼吸。無意識にか、意識的にかタイミングが揃っていた。
「一人暮らし、か」
「やっぱり、怖い?」
「どうせ慣れるよ」
諦めが半分ぐらい。もう半分は読めなかった。
「君は大丈夫なのかい?大学のレベルはそこそこだった記憶があるけど」
「エイカほどじゃない」
「ま、偏差値的にはね。でもそれだけで決めるのは純粋に馬鹿だよ」
「そこまで言う?」
「入学の難易度は、学問の難易度とは異なるからさ」
言われれば当然である。偏差値がいくら低かろうが僕が行けない大学はいくつかある。体育系とか美術系とか。
「住む場所も決めなきゃいけないし、準備も大変だ。いろいろこれからが本番だよ」
「……できる?」
「ま、受験に比べれば簡単だよ。……そっか。終わったんだね」
「うん」
エイカはまだ実感ないようだ。僕だって実感があるかと言われれば微妙なのに。
「どうしようもなくなったら君を頼るよ。どうせ電話一本で駆けつけてくれるだろ?」
「よくわかってるね」
少しだけだけど、エイカは僕を理解している。僕がエイカを理解しているのと同じぐらいだろうか。
「……もうすこし、だらだらしていてもいいけど」
エイカが呟く。
「流石に、動かなきゃね」
「……うん」
ゆっくり立ち上がろうとして、ベッドに座った状態になると僕の前に立つエイカが目に入った。
「……どうせ、君は嫌がらないんだ」
そう言って、エイカは僕の右肩に顔を近づけた。
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