第23話: シーニュ

「君は、何か理由があったのかい?」

「理由?」

「私以外の人と話しているのを見たことがないからさ」

「……なんていうか、価値観が違うんだよ」

「ほう」

「……高校生男子が、女子に向けるような酷い視線、って言えば見当がつく?」

「君だって持たないわけじゃなかろうに」

「気にしてるんだし、そこはまあ……。でも、誰かに言うものじゃないでしょ」

「ははあ、私はどんなふうに噂されてたんだい?」

「聞きたい?」

「いや、察しがついた。どうせ碌なものじゃない」

エイカは首を振った。このあたり、慣れるものじゃないことを知っているので少し気まずい。

「……僕個人の意見としては、エイカに合う人は少ないと思うけど、いい人と出会えれば幸せになると思うよ」

「自明すぎない?それと、必ずしも深い一対一の人間関係が幸福に必要なわけじゃないよ」

「……そうだった。ごめん」

「いいよ」

気を抜くとすぐにこういう偏見まみれの発言をしてしまう自分の迂闊さが嫌いだ。

「というか話は私から振ったんだから、これは自爆のようなものだよ」

「それでも、やってしまったなって思って……」

「まあいっか。私は孤独がなんだかんだで好きだし、君もそうじゃないかい?」

「……確かに、そう」

誰かといるのがそう苦痛なわけではないが、自分の時間を奪われるのは苦手だ。エイカのためだったら別にかなりの時間を費やせるけど、これは完全に相手がエイカだからだ。

「一人きりでダラダラできる時間、大事にしたいでしょ?」

「……よくわかるね」

「そこそこ似ているからね。私と君は」

「色々話していると、違う方ばっかり僕は目についちゃう」

「話せている時点でかなり共通点があるんだよ。価値観をすり合わせるにしても、それができるっていう信頼と共通の認識背景が必要だから」

「……それは、シニフィエとシニフィアンの関係ができてるってことでいいのかな」

「シーニュ、だね」

「名前がついてるんだ」

「よく出てくる概念だから」

そう言いながら、エイカはポケットから硬貨を取り出した。

「意味と、それを表す表現はコインの表と裏みたいな感じだって捉えることもできる。決まった表裏の組み合わせのコインじゃないと、取引はできないみたいに」

「……その例え、正しい?」

「多分違う」

「いい加減な」

「私だって専門書流し読みした程度で適当に喋ってるだけだからね。その道のプロが聞いたら失笑ものだよ」

「……エイカでそうなら、僕はどれだけ間違ってきたんろうか」

「そもそも君は、あまり知ったかぶることはないよね」

「……何も知らないからだよ」

「じゃあ、もう少し色々わかってきたらそうなるのかもね」

「気をつけるよ」

「それがいい」

一応、これからも僕の青春は続くのだ。モラトリアムの期間のうちに、失敗も成功もしっかり経験しておかないと。最近は失敗ばかりな気がするが。

「それに、君はちゃんと学習できてるよ」

「そうなの?」

「そうだよ。私への対応がとても良い。お返しすることができないのがあれだけどさ」

「エイカがそばにいてくれただけで十分だよ」

「……そういえば、そういう話だったね」

なんとなくだけれども、僕はもうエイカとの関係を終わったものとして扱い始めていた。少し辛いものはやっぱりある。

「まあ、私はあと後期の入試があるわけで、全部終わったらまた会おうかね」

「……いいの?」

「君の期待するレベルが想定以上に低かったからさ。気合を全く入れないでいいのはありがたい」

「流石にもう少しちゃんとしたら?寝癖をとかすとか」

「今日は一応しっかりやってきたから大丈夫なはずなんだけど」

そう言ってエイカは自分の頭を撫で、少し飛び出していた髪の毛を押さえつけた。

「……まあ、コミュニケーションに齟齬がない程度には身だしなみを整えるか」

「それがいいと思うよ」

「……このくらいなら大丈夫だな」

「何が?」

「他人のために行動すること」

「別にこれは僕のためじゃ」

「あー、その言葉はやめた方がいいよ。今回はともかく、ね」

少し理由を考えるが、わからなかったので素直に質問する。

「なぜ?」

「いや、大抵人間って自分の不満をあなたのためとか社会のためとか言って押し付けてくるでしょ?」

「エイカがいいならどんな格好でも構わないと思うけど」

「君がそういう考えだってわかったから、さっき今回はって断ったんだよ」

「なるほどね」

疑問が解消されたので少し気分がいい。

「そういえば、こういう会話ができる相手ってエイカにはいるの?」

「君、というのは自明すぎるからそれ以外のだよね」

「うん」

顎を触りながら、エイカは少し唸った。

「ネットで繋がってる人はいるけどここまでの関係じゃないしな……いない、って言っちゃっていいと思うよ」

「そっか」

少し嬉しい。これは仄かな独占欲が満たされたおかげなのであまりいいことではないが。

「難しいんだよね。どこまで話していいかとか。一応君との会話でもタブーはあるけど」

「それは、どんな人間関係でもそうじゃない?」

「まあね。完全に相手を信頼するなんてそうそうできることじゃないし」

そこまで言って、エイカがはっと僕の方を見る。

「そういえば君は、私のこと信頼してるの?」

「いい意味でも、悪い意味でも」

「それは、自分の中にある私のシミュレーションの精度がいいって話じゃなくて?」

少し言葉を飲み込んで、考える。

「……ううん。エイカなら、きっと僕か考える以上に面白いことしてくれるって信じてるだけ」

「そこまでのことしてるかな……」

「してくれたよ」

「……なら、よかった」

そう呟いて、エイカは窓の外を見た。

「謝恩会、行くの?」

エイカが言う。

「一応、ね」

「じゃあ、私も行こうかな」

「時間はそろそろだっけ」

「そうなるね」

僕たちは立ち上がり、慣れ親しんだ教室の鍵を下ろした。

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