第20話: 共犯者
目を覚ます。久しぶりの学校だ。
着替えて家を出て、ただただ面倒だなと思いながら少し重い足取りで進む。これからの登校日は卒業式の練習だと言うが、何回練習をすれば気が済むのだろう。エイカがいれば理由を教えてくれるかもしれない。
始業のチャイムとともに、ふらついた足取りでエイカが入ってきた。席に倒れ込むように座り、ばたりと机に突っ伏す。
先生の話が長かった。これからの予定とかを話していたらしいが、僕はエイカを見るので精一杯だった。先程からピクリとも動いていないように見えるが、大丈夫なのだろうか。多分大丈夫じゃないんだろう。
体育館に向かうべく周りの人が席を立った。エイカの方に近づき、軽く肩を叩く。
「……君か」
そう言うと、エイカは僕の胸に顔を埋めるように抱きついてきた。
「……どう、したの」
「……さぼろうか」
「……わかった」
保健室の先生に適当に事情を話し、僕たちは奥の方へ行く。流石に受験の次の日の学生が死んだような目でやってきたらどうしようもないのだろう。一応来室票は適当に書いておいた。体調不良及びストレスにより付き添いが必要、の一文はエイカのアドバイス。
さっきから、エイカは僕をずっとハグするような形になっている。シャンプーなのかわからないが甘い独特な匂い。体温と弱い呼吸。
「……落ち着いた?」
「まあ、ね」
いつもより声が弱い。
「……背中、撫でる?」
「おねがい」
ゆっくりと、僕は手を乗せる。
「……これは、君にしか話さないことだっていうの、前提にしておいて」
「わかった」
カーテン越しでは聞こえないような小さな声。
「……解答速報で自己採点、したんだよ」
「……どうだった?」
「……ギリギリ。今年は易化って話もあったから、正直何もわかんない」
「……そっか」
ぽつりぽつりと、僕たちは言葉を紡いでいく。
「後期もあるけどさ」
エイカが腕に力を入れる。ぎゅっと締め付けられる僕の胸。
「……私はさ、笑って余裕だったって周りには言わなくちゃいけないんだ。楽観的な私は、それを信じていられる。でも、悲観的な私にはそんなことできない。もう何もかも投げ出して、楽になるためなら死にたいとまで考えてしまったぐらいに」
僕は何も言えないまま、エイカの頭を軽く抱きしめる。
「本当は心にしまっておくべきなんだろうけどさ、君は悲観的な私の相手をしてもらいたくて。ごめん」
「……いいよ。エイカが落ち着くまで、こうしてるから」
「いや、落ち着いてはいるよ。あくまで相対的に、だけれども」
「……そっか」
僕がそう言うと、エイカはぐっと身体を引いた。
「え?」
一旦僕から腕を解いて、首に巻きつくような形に。
「……大丈夫?」
「気分的な問題。私のどうでもいい自尊心の関係だから、できたら気にしないで」
多分下からじゃなくて上から抱きしめたいとか、だろうか。
「……ねえ」
「なに?」
「こうやってエイカに抱きしめられるの、僕は好きなんだけどさ」
「……それはよかった」
「僕が、勘違いするかもって思わない?」
「……ごめん、意味がわからない」
エイカは少し後ろに下がる。顔が近い。
「君には私が許容できることとできないことは伝えてあるし、その上で変なことはしないだろうって信頼を持ってる。そりゃあ、まあ、確実なものはないけどさ。ここでいきなり平手打ちでもされたら私は流石に死ぬかもね」
「……顔、触るよ」
ゆっくりと、僕は右手をエイカの頬に近づける。
「君の手は、暖かいね」
「エイカが冷たいだけだよ」
思ったより、緊張してはいなかった。昔の僕ならきっと恋心を変に暴走させていたに違いない。
「……償いが必要なら、後でするから」
エイカが言う。
「……どんなことを、想定しているのさ」
「ハグしていいよ、とか?」
「……もう、十分だよ」
「そう?」
エイカが笑うと、引っ張られて頬に乗せた親指が動く。
「よし、楽になった」
エイカは僕から離れ、隣のベッドに倒れこむ。
「……正直なところ、どうだったの?」
「何にもわからない……」
弱々しい声。
「難問奇問ってわけじゃないからそこそこは行けたと思うんだけど、不確定要素が多すぎる。まあ雑な推定で7割ぐらいかな、合格確率は」
「……そっか」
「とばいえ、滑り止めには受かってるからね。何かあっても大学生活は何とかなる」
「浪人はしないんだね」
「このアホみたいに辛い受験生活をもう一度?お断りなのですよ」
「……よかった」
そういえば、と僕はすっかり忘れていたことに気がつく。
「僕は合格したよ」
「ああ、おめでとう。お疲れ様」
エイカは軽く目を閉じて言う。優しくて柔らかい声。
「……今日ぐらいはだらけるか」
「いいの?」
「優秀な共犯者もいることだしね」
そういえば、授業をサボったことはないんだった。案外僕も真面目な学園生活を送ってきたものである。
「……少し、馬鹿なことを言うね」
「いいよ」
倒れるエイカの隣に僕も仰向けになる。
「こうやって男子とサボるの、私の嫌いなラブコメみたいだなって思って気分が悪くなった」
「……そう?こんなラブコメ読んだことないんだけど」
ラブはあるし、シリアスすぎる故にコメディーなところもある。なるほど、確かにラブコメな気はする。こんな話を誰が書いて、誰が読むんだと思うが。案外面白いかもしれないが。
「性別なんてなければ、まだ私も恋らしいものがしやすかったのかな」
「……男性の、僕が嫌い?」
「性別は性格と大抵は不可分だよ。そこまで無茶なことは言わない」
「……そう」
穴の空いた天井のボード。触れるかどうかぐらいの距離の温もり。
「言い方が非常に悪いけど、君は一番マシな相手だよ」
「マシ、ね」
「そりゃ不満がないわけじゃないから。でも、完璧な相手との完璧な関係って存在すると思う?」
「……両方が、いい加減なら」
「なるほどね、その発想はなかった」
疲れが少し出てきた。エイカに当てられたのだろうか。はたまた報告できて気分が楽になったのか。
「高校生活も、もう終わりか」
「あと何回か学校来たら卒業式で、離れ離れだね」
「君は私以外の同級生を覚えているかい?」
「名前と顔ぐらいは」
「では、話したことは?」
何も言えないので、僕は黙る。ゆっくりと薄れていく意識。
「……まあ、私も似たようなものだけどさ」
「でも、なんだかんだで僕はこの3年間を楽しんだよ」
「それは良かった。私は特に最後の半年が良かったな」
「……告白したこと、今からでも謝るべき?」
「難しいところだね」
エイカが呟く。
「今の関係を、告白なしに構築できたかって言うと難しいものがある。不可逆だってことを意識していなかったのはよくない点だけど、結果としてみれば私は満足だよ」
「……よかった」
「もちろん、君の感情を全部受け入れられてるわけではないし、多くの部分を君の好意に付け込む形で許してもらった。それは君がどう言おうが関係ない。私が、そう思ってるってこと」
反論は潰されてしまった。エイカを自罰的に思っていた時もあったが、今考えると少し違う気がする。たぶん、エイカにとって道理が通らない方が面倒なのだ。
「じゃあ難しい選択肢を考えてみようか。告白せず、あのころの友情の延長線に今の関係を構築できると思う?」
沈みかけていた意識を持ち上げて思考を回転させる。
「……最初に、一緒にどこか行くよう誘うべきだったかな」
「デートだと意識されたら終わりだよ。そこらへんの微妙なところを君がやるのは難しかったんじゃないかな」
「……ないんじゃない?」
「……そっか」
エイカが小さく言う。
「じゃあ、悪くない選択だったのかもね」
ここで、僕の意識は一旦途切れる。
「そろそろ起きた方がいいよ」
ベッドに腰掛けていたエイカが言う。
「……何時?」
「12時ちょっと前。2時間ばかり寝ていたことになるね。寝不足か何か?」
「結構緊張したんだと思う」
「何に?」
「……好きな人にハグされるの、結構感情が混乱するんだよ」
「ふうん」
エイカは聞き流すように言った。
「さて、そろそろ帰ろうか」
「……そうだね。帰りのホームルームは終わったのかな」
「練習なんて前の人を見ればいいのに……って考えはあまりよくないな」
「そう?エイカならそういうこと言うかと思ってた」
「無駄は嫌いだけど、他人の何かにタダ乗りするのはあまりよろしくないと思ってね」
「……なるほどね」
「ま、たまには他の人に頼るのもありだとは思うけどさ」
立ち上がって、エイカはゆっくりと背筋を伸ばす。
「……ごめんね」
エイカが呟く。
「……許した方がいい?」
「受け入れる、とかの方がいいな」
「難しいことを」
「無理ならちゃんと言ってね」
「……大丈夫。今のところ、問題ないよ」
「……そっか」
エイカは立ち上がる僕の手を引いた。
「ところで、後期試験がまだ残ってるんだよね」
「……やる気、あるの?」
「人間の温もりを摂取できたので問題ない」
「……それは、よかった」
そんなことを話しながら、僕たちは保健室を出てカバンを回収するべく教室に向かった。
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