第9話: コロンバイン
「事実上、授業なしか」
「息抜きにはいいと僕は思うよ」
雪のち雨というあまり嬉しくない天気の中、僕とエイカは渡された予定表を見る。
「そりゃまあ推薦組はもう勉強しなくてもいいだろうけどさ」
不貞腐れたようにエイカが口を尖らせる。
「僕らは共テも終わっていないわけだしね」
一応は二次試験を前にマーク試験の過去問に注力している。数学のミスが痛いのでどうにかしたい。
「それにしてもこんな不定期ならいっそのことなしでもいいのに」
「そうはいかない上の方の事情があるんでしょ」
苛ついているエイカの理由には多少心当たりがある。過去問の点数が伸び悩んでいる、らしい。正直僕には余裕があるのでその分を分けてあげたいぐらいだ。
「どんな感じ?」
僕の言葉に、エイカは息を吐く。
「すっごく微妙」
「……そう、なんだ」
「まあ、なるようになるしかないんだけどね。そういう君は?」
「なんとかなりそう」
「ならいい。私のせい心的不安が一つ取れた」
「……ありがとう」
「いいよ」
改めて予定表に目を落とす。受験スケジュールと照らし合わせるとあとほぼ一ヶ月後が本番になる。とはいえその前の共通テストがひとまずの目標だ。
「どのくらい、取ればいいの?」
「8割」
僕の目標は6割ちょっと。平均点より気持ち上な感じである。エイカは世界史で点数を増やしてなんとか入る計画らしい。
「……ねえ、話をしない?」
「君から切り出すとは珍しいね。どんな内容?」
エイカの表情が明るくなる。いつもこうならいいのに。
「将来について」
「また面倒な話を。いいよ」
エイカは窓の外を見た。白みがかった灰色。
「まあ、大卒で就職かな。大手で、食うに困らない生活をして、適当なタイミングで死ねればいい。悪くない人生計画だと思うけど」
「……僕も、そういうのがいいけど社会が許すかどうか」
「おや、案外世間体とか気にするんだ」
「僕はエイカみたいに無茶できないの」
「無茶じゃないんだけどね」
少し笑うエイカが、何かに気がついたように止まる。
「ねえ、今なんて言った?」
「……ええ?」
「世間体とか気にするんだ、の後」
「……僕はエイカ、みたいに……」
「私のこと、呼び捨てにしてたんだ」
エイカの言葉に、自分の思考を確かめる。そういえば確かに僕はエイカのことをエイカと呼んでいる。普段はあまり呼びかけないから気がつかなかった。
「エイカ、さん、いや小田牧さん?」
「エイカでいいよ。それにして」
「……いいけど、どうして?」
「私はあまりこの名字が好きじゃなくてね」
エイカは悲しそうに言った。
「植物界被子植物目双子葉植物綱、キンポウゲ目キンポウゲ科のオダマキ属。綺麗な花を咲かせるんだけど、有毒成分としてプロトアネモリンみたいなアルカロイドを持つ。基本は少し痒くなるぐらいだけどね」
「……どんな花なの?」
「品種改良が繰り返されてるからね、一概には言えないけど私が見たことあるやつは下向きの赤紫色。花びらが落ちると、上の方に向くんだ」
手を花に見立ててエイカは説明をする。
「それで、面白いのは花言葉だよ。なんだと思う?」
エイカが嫌いということは、と考えて花言葉らしい言葉を僕は選ぶ。
「……恋、とか?」
「愚か、だよ。理由の説明欲しい?」
「できれば」
「えーと少し確認させてね」
そう言ってスマートフォンを取り出したエイカは手早く検索ワードを打ち込む。
「……校則、破るんだ」
「君との会話に優先するほどのものじゃないでしょ」
画面に映る英語のページがすぐに日本語へと変換される。
「キーワードはオダマキの英名コロンバイン。イタリアの演劇にコンメディア・デッラルテっていうのがあってね。お決まりのキャラがドタバタする喜劇なんだけど、そのキャラクターの一人がコロンビーナ。主役でトリックスターの道化師アレッキーノのパートナーにして恋する青年インモラータの使用人。ぼろぼろの道化服を着てタンバリンを鳴らす役だね。とはいえあくまで基礎設定だから劇によって当然シチュエーションは変化するけど」
そう言ってエイカが見せた画面にはチェック模様のドレスを着た女性。
「で、このキャラクターは道化役だからね、馬鹿なことをするの。それで愚か」
「名前が一緒なだけで?」
「まあ、そのくらいの適当な理由らしい」
エイカはスマホをポケットに戻した。
「いや持ち物だったか帽子だったかが花の形と似ているとかあるらしいんだけどね。気に食わないのは本来コロンビーナは賢いっていう設定があるんだよ。機転を効かせるようなね。それを無視して道化役って扱いされるのは心外なんだよ」
「……なんで怒ってるの」
「いや中学の頃にこれで馬鹿にされたから……」
嫌な記憶に触れてしまったらしい。
「……なんか、馬鹿なことしたね。ごめん」
素直に謝るエイカにこっちが申し訳ない気がしてきてしまう。
「僕は別にいいけど、エイカは勉強大丈夫なの?」
「大丈夫なものか」
口角を上げることすらできないほど疲れているらしい。いつもならここで不敵に笑うのに。
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