第4話: 排他的独占契約
「君はさ、納得を重要視するかい?」
「急に何?」
放課後。僕は塾がないので教室で後ろの机に頭を乗せてぼんやりと天井を見ていたらエイカが逆さまの顔をひょいと覗かせた。
「前さ、私に恋人がいた方が良かったって言ってたのを思い出して」
「……うん」
正直なところ、微妙なところだ。好きな人に好きな人がいれば、少なくとも嫉妬はできる。何で自分を選んでくれないんだって聞くこともできる。略奪愛は……趣味じゃない。
「雰囲気はつかめたんだけど、どうも具体的なメカニズムがわからない」
「メカニズムって?」
「君の感情の」
体を起こした僕に合わせて、エイカは僕の正面に座る。
「恋愛ものって、異文化ものだと思えば結構楽しめるのよ」
「そういうことするの?」
「ええとね、殺人犯がどんなこと考えていたかとかって興味ない?」
「恋愛は殺人と同レベルなのか……」
「私にとっては殺人の方がまだ身近だよ。少なくとも恋愛と違って計画したことはある」
笑顔で怖いことを言う人である。
「大抵の物語を軸にしている。つまり、みんながわかる感情をベースにしているんだ。友情とか、嫌いな人への恨みとか、やってしまった後悔とか、帰りたい場所とか……誰かを、好きだというのとか」
最後の言葉を言うとき、エイカの顔は少し歪んでいた。
「面白い特徴として、どうもお約束があるらしいんだ。告白という手続きが、好意の表明以上のものになってる」
「……うん」
「恋を独占欲だとすると、君の感情とは矛盾が起こる。私が誰のものでもないはずなのに、誰かに所有されていて欲しいんでしょ?」
「……何かを作るより、他人から奪った方が早いっていうの、わかる?」
「……え、そういう理由?」
「……うん」
言葉を一つ言うたびに心が痛む。自分がどれだけ最低な人間なのかを突きつけられているような気がするから。
「……あー、うん。整合性は取れた。なるほどね。君にとって、私に告白した結果としてこういうことは想定されていなかったと」
「そう、です」
「それじゃあ、聞かせてくれないかな。どんなシナリオを考えていたのか」
「……いいの?」
僕は少し首を傾ける。
「傷つけることに、ならなきゃいいんだけど」
「どうせもうあり得ない関係だろ?」
「そうだけどさ」
改めて言われると、辛いものがある。
「友人の辛さを完全に理解できないまでも、その原因を知りたいと思うのはそう珍しいことじゃないだろうに」
「……それが、言いにくいってことはわかっててやてるよね」
「もちろん」
エイカは悪戯っぽく笑った。
「君だって私を傷つけたんだ。私も仕返しに少し引っ掻くぐらい許されるだろう?」
そう言うエイカを許せるのは、惚れた弱みなのか友情からなのか。願わくば後者であって欲しい。
「……まず、告白を受け入れてもらえた場合」
「その告白って?」
「……その、恋人になってもらう、みたいな」
「告白した側がされた側に恋をしているのは前提だからいいんだよ。された側がした側に恋しなければならない理由や義理はあるのかい?」
「……大抵の物語では、そうなってる」
「フィクションだよ?」
「フィクションだからこそ、理想を描いている分ありうるのでは?」
「……ああ、告白された側の行動も納得できなくちゃいけないのか」
納得したようにエイカは頷く。
「で、恋人っていうのはあくまでラベルだよね」
「どういうこと?」
「……ごめん、後で話す。忘れて。で、恋人になってどういうことがしたかったの?」
ニヤニヤしているように見えるのは僕の邪推だろうか。それとも悩む相手を見るのが好きなのだろうか。とはいえここで蔑んだような目線を向けられたらそれはそれでドキドキしてしまいそうで危ない。
「……一緒に、どこか行ったり」
「受験生なのに」
「僕だってたまには本屋行ったりするよ」
「呼んでくれたら、タイミング合えば行くよ」
「……そうじゃない」
「うん。何かが違うっぽいんだよね」
確かにそう言われるとデートの概念がよくわからなくなってくる。同じタイミングで、会話をしながらそこにいる以上のものがそこにはあったのだろうか。いや僕は楽しいからいいけど。
「あとはないの?」
「……ごめん、これは言えない」
少し頭を掠めた劣情をガムテープでぐるぐる巻にして記憶の奥の方に蹴り飛ばす。
「……わかった。私も正直、聞きたくない」
「……ごめんね」
「口には出さないでね。私の予想が君の感情を当てれてるかはわからないけど、もしそうだとしたら言葉でも私は君を嫌いになりかねない。もちろん、それが私の思っている通りならだけど、実行に移したら私は躊躇なく君を攻撃するよ」
エイカが両手を叩くと、右手にはカッターナイフが握られていた。
「……どこから」
「女の子には秘密がいっぱいあるんだよ」
多分マジックの類だと思う。視線を誘導して、どこかに隠した小道具を素早くパッと取り出すのだ。
「怖い話しようか?」
「……少し気になる」
「人間の肋骨って、横に走っているよね」
ジャケット越しにエイカは自分の胸の脇から中心まで肋骨に沿ってなぞるように手を動かす。妙に扇情的で、少しだけ呼吸が速くなってしまった。
「心臓の場所はここ。大きさは握り拳ぐらい。深さは上手く狙えば5センチメートルちょっと。圧力がかかっているから、傷一つで血が噴き出す」
チキチキチキと刃を出して、自分の心臓に向けて角度をつけて伸ばす。
「肋骨に当たらないよう、刃は水平に。死ぬまでは数秒。ちなみに、人間は素手では相手をこの時間の間に無力化はできないよ」
静かな教室に、僕の心音だけがやけにはっきりと聞こえる。
「……何で、その話を?」
「保険」
何でもないような顔でエイカは言う。
「もちろん正当防衛にならなかったら罪は償うし、そこは安心して」
「何を安心すればいいの?」
「まあ、あくまで私に物理的危害を加えたときの自衛だからね。衝動的にやることはないよ」
エイカはチキチキチキと刃を戻して、ポケットにしまった。流れるように綺麗だった。
「さて、本題に戻ろうか。告白を受け入れられなかったら?」
「……理由を、聞いた」
「想定された応対は?」
「僕が嫌いだからとか、もっと先にしようとか、今の関係がいいとか」
「なるほど、共通の価値観を前提にしてるのね」
「そう?」
「うん。私が相手を好きになる条件か何かがあって、それを満たしていないからっていう意味だよね?」
少し考えて、僕は疑問を口にする。
「他に好きな人がいるっていうの、それで説明できる?」
「恋愛を排他的独占契約とみなせば第三者と同様の契約の締結は不可能」
すらすらとエイカは言う。
「すなわち、君を好きになる条件が他者との制約によって満たされないという解釈で」
「……わかった」
こういう風に理詰めで言葉を打ってくるエイカと話していると僕の頭もよく回る。到底敵わないにしろ、エイカと話せるだけで嬉しいものだ。
「で、それぞれでの対応は?」
「……時間をおいて、再挑戦」
「うん。今回のパターンでそれをしなかった分は及第点をあげよう。飴ちゃんいるかい?」
「あるの?」
「勉強で頭が回らなくなった時用ね。あとはそろそろ喉痛んでくるから」
そう言ってエイカは僕に黄色い包みののど飴を投げた。
「少し休憩しようか」
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