第31話 So Many Ordinary People, Ordinary Days
無駄な疲労感を獲得して席に戻ると、先ほど声を荒げていた大島が更に荒れていた。
「何なんすか、アイツ。いきなりやって来て」
一難去ってまた一難。僕は、今度は大島を宥めるために、彼を連れて喫煙室に向かった。僕は現在煙草を吸わないが、大島は今時の若年層では珍しく、かなりのヘビースモーカーだ。
「まあまあ。そういうのが分からない人なんだよ。残念な人だなと思うくらいで良いんじゃないの? 彼のことでそれ以上頭を悩ませるのは時間が勿体無いし」
煙をモクモクと吐き出す蒸気機関車のような人たちに囲まれながら、僕は口火を切った。その火は、彼の煙草が導火線となって彼に引火してしまった。
「いや無理ですよ。どんだけ癇に触れば気が済むんですかね、アイツは」
ボフッ、ボフッと煙を吐きながら、大島はくだを巻いていた。僕らと少し距離を置いて、若手の営業メンバー達も煙を吐きながら愚痴をこぼしていた。
「あー、怠いな。もうちょい楽な仕事ないもんかね。楽にやってもっと遊びたいよ」
彼らは、僕らに向けてなのか、各々の独り言なのか分からない捨て台詞を、煙と一緒に吐き出して喫煙室から出て行った。
「ガッと仕事して、ガッと遊んだ方がすっきりするけどなあ」
大島は、彼らの捨て台詞に呼応した。どうやら矛先が変わったようだ。その『ガッ』とは、どこまでガッとなのだろうかと僕は思った。言っていることは分かるが、真似したいとは思わなかった。何事もほどほどが心地良いものだ。緩い生き方だと揶揄されようが、自分の本質がそうなのだから致し方ない。人間の根本の部分はそう簡単には変わらない。
「そこそこ仕事してガッと遊ぶっていうのは成立しないものなのかね?」
僕は答えが分かりきった質問を大島に当てた。
「トレードオフでしょ」
分かり易く使い勝手の良い言葉が返ってきた。自責と同じくらい都合が良い。マジックワードというやつだ。
「掛け金が多いほどリターンも大きいってやつだろ?」
大島はうんうん、とニヤつきながら何度も頷いていた。
何とか大島を宥めて席に戻ると、今度は松本さんと池田さんがやり取りを重ねていた。
「私が、『よし、外注しよう』という判断をする時って、私がこれをやる時間がないか、私だとできないことをやってもらえるか、どっちかだと思うんですよね。どう思います? 池田さん」
どうやら、先程、横山来社とは別の会社で、来社していたコンサルティング会社に、何をどこまで依頼するかの相談のようだった。声が大きい。聞き耳を立てなくてもはっきりと頭に入ってくる。話を聞きながら、確かにその通りだと思ったが、天秤に掛けられている企業のことを思うと、同情の念を禁じられなかった。ベンダーの立場は厳しいものだ。発注側のレベルは、サービスが提供される度に上がっていく。その内、業務内容によってはわざわざ外注するメリットが薄れていく。最初の二、三回外注してノウハウを吸収すれば、あとは自社で内省化できてしまうものもあるだろう。ベンダーに外注するメリットは、自社の工数を肩代わりしてもらう、あるいは自社で行うよりも高度なアウトプットを提供してもらうことだが、前述の通り後者を期待するのは徐々に厳しくなる。外からでは自社のビジネス構造の理解度は限られているし、結局は当たり障りないことしか言えないからだ。僕は、我が社も他人事ではないなと少しばかり身震いした。
松本さんと折衝するベンダーは大変だなと思いながら横の席に目をやると、今日塚越は休みのようだった。またトラブルが発生したのだろうか。状況を確かめなくてはならない。そう思って僕は、その隣の高島さんに声を掛けた。
「いいですよ。何でしょうか?」
高島さんは、人は良いのだが、仕事はあまり得意でないベテラン社員だ。得意でないと言うと語弊があるかもしれないが、少し勘所がズレているので、一緒に仕事をするとゴールとプロセスが擦り合わないことが多々ある。
「いや、ちょっと。分からないですね」
そりゃそうだろうなと僕は思った。ツーマンセルで仕事を任せている訳でもないし、高島さんに塚越のフォローをお願いしている訳でもない。が、ベテラン社員なのだから少しくらい周りに回す気というものがあっても良いと思う。しかし、如何せん僕よりも歳が上なこともあって面と向かっては言い辛い。
「そうですか。ま、そりゃ分からないですよね」
高島さんは、何でそんなこと聞かれるのか不思議そうな顔をしながら、呟くように言った。
「トラブルかどうかは知らないですが、そういえば塚越さんは最近ちょくちょく休んでますね」
「え?」
思いもよらぬ事実だった。僕は席に戻って部内メンバーの勤怠状況を確認した。高島さんの言う通り、塚越はここ一ヶ月で毎週一、二回は休んでいた。先ほど高島さんに投げつけた無言の言葉が、ブーメランのように自分に返ってきた。確かに繁忙の極みだったこともあるが、僕も周りが見えていなかったということだ。
「最近仕事の合間に転職サイトのページを見せてきて、『これ、どう思います?』とか聞かれてたんですよねえ。僕は何社か経験しているので、ああでもないこうでもないとか何と無く答えてましたが…」
自省の念に駆られている僕に更なる追い討ちが掛かった。転職活動か。休みの入れ具合からして想定はしていたが、彼女にそんな展開があったとは露知らずだった。
「事あるごとに、『私もそろそろかなあ』とか言ってたんで、何がそろそろなんだろうと思いながら聞いてましたが」
そういうところだぞ、と僕は声に出さず高島さんに突っ込んだ。
「そうですか。分かりました、ありがとうございます。今度、僕からも少し話聞いてみます」
そうは言ったものの、直接的に問い詰める訳にもいかないので、彼女への話し方を考えておかないといけない。何をどのように話すかを思案しながら席に戻ろうとすると、高島さんの席に置いてあった一冊の本が、視界の片隅に引っ掛かった。
「高島さん、人工知能の本読んでるんですか?」
あの高島さんが、と思いながらついつい僕は気になって声に出してしまった。高島さんは照れ臭そうに本を手に取りながら答えた。
「そうなんですよ。普段全く本を読まないんですが、ちょっと前から言われているじゃないですか。その内、人工知能に人間が支配される時代が来るって」
そんな話だったかなと、僕は訝しげに思いながら話を聞いていた。確かに人工知能が話題に上った当初は、そんな話もちらほらあったような気もするが。
「まあ、それで自分の仕事がなくなって食いっぱぐれるのも怖いんで、ちょっと勉強してみようかと。闘いは、まず敵を知ることから始まるじゃないですか」
確かにそれはそうだが、やはり何だかズレているような気がした。高島さんが今やるべきことは目の前の仕事の成果の最大化であって、来るか来ないか分からない未来への対策ではない。直面する問題を避け続けていると、遠い将来が訪れる前にその問題に足元を掬われてしまう。
「人工知能でもロボットでも、人間の仕事を奪うならさっさと奪ってくれれば良いと思いますけどね。人間の仕事は多すぎますよ」
「でも、うちらの仕事が全部奪われちゃうってことなんですよ? それって怖くないですか?」
そんなことある訳ないだろうと僕は思った。少なくとも突然明日から仕事がなくなる、なんてことが起こる確率は極めて低い。いきなり零から百になることはない。徐々にカウントアップしていって、気付いたら百になっているのだ。鈍感な、というより大抵の人間は徐々にカウントアップしていることに気付くことができないから、いきなり零から百になって取り残された感覚に陥るのだ。
「まあそういうことなんで、あと十冊は読もうかと思ってます。真野さんも何か分からないことがあったら聞いて下さいね」
僕は、高島さんの最後の言葉に適当に返事をして席に戻った。情報は持っているだけでは意味がない。洞察して本質を見抜かなくては、その情報は使い物にならない。高島さんがどこでどのようにその情報を仕入れたのかは分からないが、僕にはどこかの薄っぺらい情報誌かインターネットのサイトで得た情報に踊らされているようにしか思えなかった。
そんな感じで午前中は全く自分の仕事ができなかった。午後は池田さんと目向と山崎の面談に僕も同席することになっていたので、僕はささっと昼食を済ませて面談に臨んだ。この面談は、今後僕が新卒二人をフォローすることになったので、これまで池田さんが行ってきた面談の引継ぎを兼ねてとのことだった。まずは目向との面談だった。
面談が始まって暫くは、目向からの報告を聞くターンだった。相変わらず、僕は池田さんが話すまではじっと黙って状況を見つめるつもりでいた。報告の内容は、業務の現況と業務の相談事項、それから報告者からテーマがあればキャリアなど個別に相談したいことを話すのだが、その個別相談で悶着が起こった。
「どうしてそんなことで悩んだり考えたりするの? 俺にはその意味が分からないんだけど。自分で仕事を選択出来る中で、その仕事を選択して辛いとか苦しいとか考えちゃう意味が分からない。もっとシンプルに、目の前の問題にだけ向き合って生きてりゃいいんじゃないの?」
池田さんの詰問が始まった。目向の言い分を要約すると、会社が考えなしに新サービスを強引に推し進めたり、朝令暮改のように方針が二転三転する組織の中で、自分が現在行なっている仕事に意味を見出せないとのことだった。それに対して池田さんは、ごちゃごちゃ言わずにまずは黙って結果を残せ、と叱咤激励をしているのだ。目向の言い分は非常によく分かるが、相談する人と相談の仕方を間違ってしまったようだ。この手の相談は、通用する人としない人を見極める必要がある。それに、言い方によっては単なる組織否定論と捉えられかねない。それに、目向の感情論を度外視すれば、池田さんの指摘もごもっともだった。選択したのは自分だし、これからの選択も自分自身に委ねられている。だが、大半の人は合理的に問題に対処できない。感情が邪魔をするからだ。合理的な人間は感情を遮断し、答えの出ない悩みに目を奪われることなく、目の前の問題にただひたすら立ち向かうことができる。
結局、目向は池田さんに言いくるめられて面談は終わった。目向は腑に落ちる云々ではなく、ただただ詰問され続けたことに落胆と疲弊の影を落として、とぼとぼと自分の席へと戻っていった。池田さんの剣幕に押されてフォローすることができなかったが、後で個別に声を掛けておかないと尾を引きそうな雰囲気だった。
「見事に、彼の悩みに付き合いませんでしたね」
僕は嫌味のつもりで池田さんに声を掛けた。
「意味がなかったからね。意味のある話なら聞くけど。それに、距離を縮めすぎると縦の関係性が機能しなくなってしまう」
じゃあ個別相談なんてやらなければ良いのにと強く思ったが、口には出さなかった。わざわざ事を荒立てる必要もなかったからだ。今後僕が引き継ぐのだから、これからは僕のやり方でやれば良い。池田さんはきっと、解決しなくてもそれを言わせる、言える状態を作っていると見せることに意味があると考えてやっているのだろう。単なるパフォーマンスというやつだ。やはり人の感情を汲むことができない人だなと思ったが、合理的にそれが無駄なものだと判断しているだけなのかもしれない。それに、強い者は弱い者の気持ちが分かった途端に闘えなくなる。
コンコンとドアをノックする音が鳴り、ガチャリと扉を開けて山崎が入ってきた。僕は、山崎の面談がどういう展開になるか想定しながら面談に臨んだ。
案の定、山崎との面談も池田さんの詰問で終始した。磔にされて逃げ道がない詰問は心身共に疲弊する。少なくとも、自分はこのやり方は踏襲しないぞと、山崎が公開処刑されているのを尻目に自分に言い聞かせた。
「こういう局面であるべき姿はこうで、このように進めていくべきだから」
池田さんは山崎の報告を受けて、ホワイトボードに考え方やプロセスの概念図を書きながら説明している。山崎が池田さんの逆鱗に触れたのは目向のような個別相談の内容ではなく、単純に仕事の進め方に問題があってのことだった。
池田さんの山崎へのメッセージの中で、『あるべき』とか『すべき』といった語尾のものが続いていた。山崎は真摯に受け止め、素直に受け入れているように見えた。しかし、僕はこのあるべき論で断定的にインプットされる方式があまり好きではなかった。勿論それが本質である時もあるが、本質を掴まないあるべき論が登場するケースもあるからだ。
面談は予定の時間を過ぎてもまだ続いていた。引き続き、池田さんから山崎への仕事講義が繰り広げられている。僕は池田さんの人物像が掴めなくなった。さっきは部下との距離が縮まることを嫌う素振りを見せていたのに、今は熱心に山崎に指南している。これはこれで、部下への愛情の注ぎ方なのかもしれない。よくよく話を聞いていると、山崎が指摘されている進め方の不備やミスは、先日僕と進めた仕事の中でも僕が指摘していた点だった。部下が仕事をできる環境を整えて、できるようになるまで管理してあげることも、マネジメントの役目のひとつなのかもしれない。管理する者の関わり方でできるできないが変わる。一方で、きっと目向には別の接し方が必要なのだろう。部下のタイプや部下が上司に求めるタイプに応じて、スタイルを変化させる必要がある。
「真野君、山崎にちゃんと教えたの? 全然できていないけど」
詰問の矛先が僕に変わりそうな気配が生じたので、僕は謝意と池田さんの指摘を要約して山崎に対して復唱し、今後山崎と定期的に確認のミーティングを組むことを約束し、何とか面談を切り上げた。
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