第24話 重くなった荷物とともに再開

 僕は、改めて自分の道を探す日々に取り掛かった。たった一、二ヶ月の中断期間ではあったが、とてつもない時間が経過したように思えた。まるで、僕の重要課題を忘却の彼方に葬ってしまうほどに。そして、その中断期間で獲得した報酬は、僕の中に大した爪跡も残さず、有無を言わさず日常化してしまった。本当なら嬉しいことなのかもしれない。それに、僕だって最初はそこを目指していた。そこに行かなくてはならないと、社会の暗黙のルールに強いられていることも知らず、それを目指すべきだと自分自身を誤魔化し、ある意味で洗脳していたからだ。そして、それは手にしてみて漸く気付いたのだ。そもそもそんなものは最初から求めていなかったということに。やはり僕は、僕の求める何かを探し当てる必要がある。

 今日は、マネージャーに昇格してから初の出勤だった。しかし、はっきり言ってこれまでと心持ちは何一つ変わらなかった。何なら、いつもより仕事に身が入らないくらいの状態だった。僕は、今回の騒動によって精根尽き果てて抜け殻になってしまった輩のような風情で一日を過ごしていた。それは、池田さんとのマネージャー業務内容のすり合わせミーティングにおいても変わらなかった。

「真野君、聞いてる?」

池田さんの声で、僕は漸く我に返った。これまで池田さんとやり取りする際は気を抜いたことは無かったはずだが、やはり今の僕は大分気が抜けているようだった。

「はい、大丈夫です。聞いています」

僕は彼に謝罪の意を示さずに反応した。これから行なっていく業務は、主に彼の尻拭いのようなものだったので、必要以上に謙る必要もないと思っていた。

 ついこの間完了したプロジェクトでの役回りの通り、僕の在籍する事業企画部は、『何でも屋』の我が社の社員のためにある何でも屋部門だ。サービスの新規企画開発もやれば、作ったサービスの営業のサポートもやるし、何なら業務提携や営業企画的なことも行う。これも我が社の負の遺産だ。社内組織の役割が定義されないまま、破れかぶれのビジネスを推進している内に所帯が大きくなってしまい、途中から動かすには一度全て壊さないとどうにもならないという事態に陥っている。こうなると、大抵のケースでは従来の組織を一度壊して作り直そうとはならない。あらゆる面でコストが発生するからだ。なので、なし崩し的に従来の体裁を保ったまま、継ぎ接ぎだらけの役割がぶら下がっていく。そんな部門で僕は日々仕事をしているという訳だ。会社としてそんな風に業務を進めていれば、つい先日起こったようなトラブルはいくらでも起こりうる。この部には、僕がリーダーを務めていたサービス企画ラインと、松本美穂という僕より年上で役職もひとつ上のマネージャーが率いる営業企画、兼営業サポートラインの二チームがある。僕のラインのマネージャーは少し前まで池田さんで、その上に砂畑義正という人が部長として在籍していたのだが、砂畑さんは上層部と揉めた末、退職して独立してしまった。それはそれは壮絶な揉め方だったらしいが、砂畑さんはそんなことはおくびにも出さず、部下である僕たちに、にこにこと今後の夢を語りながら去っていった。その後釜として池田さんが部長へと繰り上がり、この度僕が空席だったマネージャーに就任したという訳だ。

 ミーティングでは終始池田さんが話をして、僕はその話に対して相槌をするだけという構図だった。僕が相槌を怠ると、池田さんが聞いているかどうかの確認が入り、半強制的に相槌を求められた。

「じゃあそういうことなので、宜しく頼むよ」

池田さんの話を咀嚼すると、僕が新任マネージャーとして担当する範囲は次のようなもので、ミッションは全部で四つあった。一つ目、現業務の進行管理、及び自ら業務にあたり当部署の売上目標を達成すること。二つ目、これまで池田さんが承認していた申請のうち業務に直結する申請への承認権限を僕に委譲し、僕が判断する。三つ目、若手の育成を行い部署の能力の底上げを行う。ここで言う若手とは山崎と松本さんの下に配属されている目向のことだ。四つ目、これまで当部署が受け持ってきた業務を整理して、他業務への移管あるいは、アウトプットレベルの調整を行い、業務負荷を軽減した上で売上、利益拡大に貢献する方法を確立すること。僕は、マネージャーとは部長代理のことなのかと錯覚するところだった。僕は、池田さんの指令として落ちてきた業務内容がどうしても腑に落ちなかったので、話が終わってから彼に喰らい付くつもりでいた。

「池田さん、いくつか伺いたいことがあるのですが…」

池田さんは想定の範囲内といった雰囲気で応じた。

「いいよ。いくつかって何個あるの?」

僕は即答出来なかったが、怯まなかった。

「分かりません。質問の途中で聞きたいことが増えるかもしれませんし。少なくとも今は二つあります」

「いいよ、一個目の質問は?」

池田さんはすかさず被せてきた。僕は軽い方の質問からぶつけてみた。

「うちの部署はマネージャーが一人じゃないと思うのですが、僕が部の目標管理や教育や承認業務を一手に受け持つのでしょうか?」

池田さんは間髪入れずに聞き返してきた。

「それは松本さんのことを言ってる?」

僕は先を続けることに少しだけ戸惑いを覚えたが、思い切って言うことにした。ここで気を使っても僕に何のメリットもない。

「はい。その通りです。松本さんは僕よりも先にマネージャーになってますし、経験値では僕よりも豊富な方だと思います」

「それで?」

その先の察しが付いていても、事実として明言化させるのが池田さんのやり口だ。僕は、このやり方は非常に嫌味な手法だと感じている。

「はい。松本さんがどのような業務を持っているのかは分かりませんが、もし仮に、僕が受け持つ業務のほぼ全てがこの部門のマネジメント業務のほぼ全てであるならば、業務バランスとして不均等だと思います。それに、部の目標を達成する上でこの不均等さが障害になり得るかと思います」

「だから?」

面倒臭い奴だな。僕は率直にそう思った。はっきり自分の希望を言わない僕にも非はあるが、とてもフラストレーションが溜まるやり取りだった。僕は、自分のチームを運営していく上で、この点は反面教師でやっていこうと強く意識した。そして聞こえるように溜息をついてから核心を伝えた。

「まず、松本さんとの業務内容の付け合わせをさせていただきたいです。その上で、マネージャー間の役割分担の再精査をいただけないでしょうか。先ほども伝えましたが、経験値では彼女の方が上ですし、僕が担当する業務以外にこれといったマネジメント業務があるようにも思えないので、正直言って不公平だと感じました」

最近、池田さんへの反抗心が強くなっている気がする。元々持っていたものが、我慢の閾値を超えて溢れ出したのか、自分の気持ちが切れてしまったのか。僕の思惑を知ってか知らずか、池田さんは返答の仕方を模索しているようだった。

「やはり一筋縄ではいかないか…」

「は?」

僕は思わず聞き返してしまった。池田さんの口から聞いたことがない台詞が出てきたからだ。入社して初めて彼の本音のようなものを耳にしたような気がした。

「松本さんからは、随分前から進言されていたんだよ」

池田さんは言葉を選びながら説明をし始めた。

「何をですか?」

池田さんへの仕返しのつもりで、僕は先を促した。自分のしてきたことは自分に還ってくるのだ。

「マネージャーから降ろしてほしいということをね」

「どういうことでしょうか」

池田さんは憎たらしいほどに動じなかった。僕は自分をちっぽけで愚鈍な存在のように思えてしまい、池田さんのタイミングに任せることに決めた。

「自分は教育や全体俯瞰をするような立場には向いていない。目の前の業務に集中する方がパフォーマンスが発揮できるのでそうさせて欲しいと。だから他の部門から引き抜く、あるいは部内で他の人に任せるといった処置を取って欲しいとね。対応するのと適正があるというのは違うんだよ」

それで僕に全てを押し付けるというのか。僕は松本さんへの敵意はなかったが、自ずとムッとしたので食らい付いた。

「そんな自己本位的な要求が通る立場なんですか、マネージャーというのは。ちょっと信じられませんね…」

池田さんは相変わらず平静を保って答えた。

「勿論、その通りだよ。だから要求を『希望』として受け止めて彼女を宥めながら、調整していく可能性がないかを検討していた」

僕は今度こそ黙っていた。

「彼女とは定期的に面談をしながら進めていたが、ついには退職意向というカードが切られてしまってね。それで君に白羽の矢が立った、という訳」

「退職…、ですか」

僕は随分思い切った手を使ってきたなと思ったが、松本さんの社内へのブランドイメージであれば、この手を使っても許されるだろうなと納得した。当然、使う人によっては悪い結果を引き起こす手段であるが、松本さんのような人が使えば最強の交渉手段となり得る。僕は、この『退職意向』を被雇用者側の最終カードであることは認めつつも、あまり良い手ではないなと思った。この手の交渉では雇用者側も汚い手を投じてくるので卑怯とは言わない。しかし、互いに本音をさらけ出せず、建前を駆使しながら自分の欲求を叶えようとしかできないこの構図は、右半身と左半身が別物の人間で存在していなくてはならないような世界にいる印象を抱かせた。ここで自分も退職意向のカードを切ったらどうなるだろうと一瞬頭を過ぎったが、直ぐに思い直して振り払った。おそらく碌なことにはならないだろう。

「そうですか…。分かりました。では、仕方ないですね…」

これが池田さんの自作自演だとしたら、彼は名脚本家だなと思いつつ、僕は自分の担当業務を受諾することにした。

「ありがとう。真野君ならそう言ってもらえると思ってたよ」

僕はまだ明確に引き受けると言ってはいなかったが、池田さんはそう察したようだった。都合の良い時だけ察しが良くなる人だなと、僕は嫌味な視線を彼に投げつけた。

「ですが、この膨大な業務を完遂できるかが決まった訳ではありません。定期的にこの業務範囲、業務量が適正かの確認と対策検討の相談時間をいただくことは可能ですか?」

僕もタダで引き受けるわけにはいかなかったので、最後の最後で食い下がった。自分自身、やり切れるか自信はなかったし、簡単に引き下がったら後で咲にドヤされることが明確だったからだ。

「そうだね、勿論オーケーだよ。まずは自分だけでやり切れるか、やり切れないかを判断した上で、やり切れないと判断した場合、二つの方向性を検討して欲しい。一つは他の部門から人を異動させる。もう一つは部内で引き上げる可能性が作れないかどうか。まあ、まず短期的な判断ポイントとして、やり切れるかどうか、かな。それをこれからの三ヶ月で判断して欲しい」

彼の中でここまでの筋書きが用意されていたのだなと僕は悟った。こんな回りくどいやり方をしなくても、僕は自分の業務を引き受けた筈なのに。感情を察することができない人はこのような方法しか取れないのか、権威や権力が彼から人間性を奪った結果なのか。感情という不確かな物を信用せず、排除して考えるとこのようなことになるのかもしれない。その後、幾つかの事務的なやり取りを重ねて池田さんとのミーティングを終えた。

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