第23話 望まない報酬と忘却されていた模索の道

 プロジェクトを完遂した後日、僕は池田さんに呼ばれ、突発的に個人面談をすることになった。軽くノックをして部屋に入ると、池田さんは既に座していて、普段通りの表情、仕草で席に着くよう促してきた。僕は黙って頷いて、彼の正面に腰掛けた。

「まずはお疲れ様。今回はなかなかヘヴィな状況だったと思うけど、よくやってくれたと思ってる」

僕は黙って池田さんの労いを受け入れた。彼はそのまま先を続けた。

「今回は短期間に難易度の高い交渉の対応をしてもらって、一定以上の成果を収めてくれた」

僕は、『はい、そうですね』という雰囲気で、話を聞き流していた。池田さんは僕の心情を知ってか知らずか、気にせず話を続けた。

「正直、今回のプロジェクトは、元々うまくいくとは考えていなくて、実は真野君が二人の要注意人物を抱えながら、事態を着地させることができるかを見極めることが裏ミッションだったんだ。まあ、途中で思わぬ展開にはなったものの、君はよくやってくれたという以上の成果を残してくれたよ」

僕は、池田さんの発言を訝しむと同時に、腹の中に憤りの泡が沸々と立ち込めていくのを感じていた。

「随分、都合の良い話ですね」

そしてあっさりと感情の丈が溢れ出てしまった。こういうところなのだ、と僕は思った。

「まあまあ。それに、山崎に関しては正直発見だった。君の手腕は見事だったと思うよ。自分も、こういうやり方があるのだと学びになったよ。と同時に、これまで彼には申し訳ないことをしていたと思ってる。これからも彼の成長を促して欲しい」

僕は、今度は黙って聞いていた。これからも、か。部下は上司を選べないというが、ほぼ等しく上司も部下を選べる訳ではない。特に中間管理職は。この件、山崎はどう思うだろう。

「まあ、前置きはこれくらいにしておいて。君をマネージャーに昇格させることがこの度決定したよ。部長陣はもちろん、役員含めて満場一致の結論だ」

「はあ…」

僕にはこれしか言えなかった。正直言って、僕には何の感慨も湧かなかったのだ。

「あれ、嬉しくない? 満場一致、反対意見なしだよ?」

池田さんはこの反応には意外そうだった。

「嬉しくない訳ではないですが、不思議と何の感想も出てこないです。この喧騒が着地したばかりで、冷静に捉えられていないからかもしれないですが…」

池田さんは間髪入れずに被せてきた。

「まあ、そういうことだからこれからもよろしく頼むよ。今日の今日じゃ感想も何も無いかもしれないが、もう求められる事自体が変わってくるから。そんなに状況の変化にもたもたしてられないと思っておいて」

池田さんは、昔からそうだったかは知らないが、人間の感情の揺れ動きに付き合わない。どこかのタイミングでそう判断したのかもしれないが、そもそも今の彼にそんな暇はない。

「分かりました。僕の感想は置いておいて、これまで池田さんが兼務で対応していたマネージャー業務の棚卸しと引き継ぎを行わせて下さい」

僕は事務的な依頼事項だけ伝え、彼は無言で頷いた。池田さんは部長をやりながら、僕のチームのマネージャー業務も兼務していたのだ。これまで僕のチームのマネージャーは空位だったが、僕が着任することで彼の業務の一部を引き継ぐことになる。池田さんの同意を得てこのミーティングが終わるかと思った矢先、池田さんは僕に言った。

「あ、そうそう。この間の業務提携の資料だけど…」

「はい」

「今回は成功、失敗を問わず走り切ることに主眼を置いていたので細かいことは指摘しなかったけど、本来あのレベルはNGだから」

「はい、気を付けます」

最後に池田さんの捨て台詞が僕を撃ち抜いて、このミーティングは幕を閉じた。

 今回の喧騒を経て、僕は望んでもいないマネージャーという職位を手に入れた。本来は嬉しいはずの昇進という結果も、どうにも素直に喜べなかった。そして、そのままその日の業務を終え、僕は家路に着いた。帰り道で、今回の一件を少しでも咀嚼して自らの血肉にしようと事の顛末を振り返った。最終局面に不満は残るものの、確かに今回は久しぶりに骨のある仕事だった。切り取ってみれば部分的には面白い。だが、義務を果たすべき仕事として俯瞰して見ると、どうしてもこれに取り組んでいる自分に疑問符が立ってしまう。学びもあった。深く振り返らずとも得るものも多かったという実感もある。それでも僕は、『これが僕の生きる道なのだ』と自信と確信を持って宣言できなかった。

 僕は考えることをやめて玄関を解錠し、ドアを開けた。そこには妻が仁王立ちしていた。

「宿題が貯まっています」

ご立腹の様子だった。そして、やはり覚えていた。僕も忘れていた訳ではない。しかし、忙しさにかまけて後回しにしていたのだ。

「う…、あ…」

僕は声にならない呻き声を上げ、怯えるように自宅の敷居を跨いだ。咲はまるで不動明王のような立ち振る舞いで、僕から鞄を取り上げて風呂に入るよう促した。僕はすごすごと浴室まで行き、服を脱いでシャワーを浴びた。

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