第17話 踏まえるということ
三日後、初回の反省を踏まえて二回目のミーティングを開催した。元々ミーティングは週に一回の定例会を予定していたが、早めにタスクを割り振ってプロジェクトを動かしたかったのと、プロジェクトメンバーへのパフォーマンスの意味合いもあり、急遽メンバーをミーティングに招集した。一応、周囲に角が立たないよう出席できるメンバーだけ参加で、欠席者には個別に連絡する旨を伝えていたが、結局加賀さんと営業を除く全員が出席した。僕はとりあえず出席状況に安堵した。加賀さんはいない方がマシだし、はっきり言って営業もテスト販売の段階を迎えるまでは不要だった。
ミーティングの冒頭は、『初回の反省点を踏まえて』という側面を見せるために僕が仕切った。その後、内容の詳細は山崎に説明させた。山崎は、先日の反省会で整理した段取り通りに進行し、僕も含めた一同を驚愕させた。彼は、所々挙がった質問に対しても的確に回答し、堂々と自身の役割をこなして見せた。そして、タスクの割り振りや期限についても周囲は納得の表情で頷いた。各部門で持ち帰って確認してもらう事項は発生したものの、役割分担は完了し、無事、二回目のミーティングは終了した。自らの業務が明確になって安堵の表情を浮かべながら帰っていくプロジェクトメンバーや、片付けをしている山崎を眺めながら、僕は彼を少しだけ誇らしく思った。同時に、僕はこれまで彼を誤った見方で見ていた自分を恥じた。きっとあの後、一人でリハーサルを繰り返していたのだろう。山崎が一段上がった瞬間にも立ち会え、僕はほくほくした気分で自分のデスクへ戻った。
通常業務に戻ると、すぐに山崎が僕の席に近寄ってきた。何か重大なことでも見落としたのかと僕は自分を疑ったが、そういうことではなかった。
「どうでした?」
彼は、単に評価を求めにきただけだった。確かに彼に何も伝えていなかったと思い、僕は初回と比べると見違えるほど改善されていたことと、今後もこのプロセスを継続して進められると良い旨を伝えた。山崎は嬉しそうに礼を言って自分の席に戻ると、すぐさま定例会の前に二人の準備会がセットされた。またひとつ仕事が増える形になったが、彼を戦力化する、そして自分が若手の成長支援を担う良い機会だと思い、僕はミーティングの案内の承諾ボタンを押した。
その後、新サービス起ち上げに向けた社内の準備は順調に進行し、業務提携先とも打ち合わせをすることになった。どうやら、これには加賀さんも出席するつもりのようで、彼は息巻いて先方との日程調整を進めた。僕は面倒なことが増えなければ良いなと願いつつ、
「とりあえず、くれぐれも僕と山崎の両方が空いている日程で調整してくださいね」
と、まるで新卒に念を押すかのように彼に割と強い口調で釘をさした。
「子供のおつかいじゃないんだから」
と、彼は無理やり取って付けたような透明な笑みを浮かべて答えた。僕はその笑顔には反応せず、後はお願いしますとだけ伝えて彼にこの極めて簡単なタスクを任せた。
程なくして打ち合わせの日程は決まった。この間、幾度となく日程調整が発生したことは言うまでもない。挙げ句の果てには、加賀さんは僕が参加できない日程で先方との打ち合わせ日を決めてしまった。日程調整が難航したことで、彼は途中から僕の同席を考慮して進めることを放棄したのだった。
「だからあれほど言ったじゃないですか…」
僕は心の内で加賀さんを蔑みながら、努めて冗談半分な口調で、しかし毅然と加賀さんを窘めたが、彼には全く響いていなかった。
「まあまあまあ。いずれにせよ日程が決まったんだから」
僕は、どうしてこんな人が役員になれたのか不思議で仕方がなかったが、これ以上彼にエネルギーを割くことを止めた。創業メンバーというのは何事にも勝る大きな事実であり、実績なのだ。これはもはや巡り合わせ以外の何物でもない。幾度とない日程調整によって、最早日程再考の余地はなかった。僕は諦めて初回の交渉を山崎に託した。
打ち合わせ当日、加賀さんと山崎を見送った後、僕はそわそわしながら彼らの帰りを待った。ちょうど彼らが打ち合わせをしている時間帯で、どうしても外せない別のミーティングに参加する必要があったのだ。僕はその準備をしながらも、五分おきに時刻を確認した。彼らが帰るまでの時間は永遠なのではないかと思うほど長く感じられた。自分の参加するミーティングが終わらなければ彼らは帰ってこないのに、僕はしきりに時間を気にしていた。
遥かなる時間を経て、漸く彼らは帰還した。僕が自分のミーティングを終えて席に戻ると、加賀さんは僕を待ち構えていた。加賀さんは嬉々とした表情で言った。
「決まったよ」
彼は、『ほら』と言わんばかりに僕に紙切れを手渡した。どうやら、わざわざ契約書を印刷して持ってきたようだ。打ち合わせの様子を聞くと、今回は時間の都合上、双方の法務的な手続きをスキップして契約を締結してきたと彼は誇らしげに語った。しかも時間の都合を盾に、交渉役だった筈の山崎から役目を強奪し、自ら話を進めたらしい。
「どうも。わざわざありがとうございます」
僕は片言の日本語のような礼を言ってそれを受け取った。
「これ、どういうことですか?」
僕はこの紙切れの内容を見て愕然とした。ほとんどウチの利益がない契約内容だったのだ。
「早く営業に売り込みを掛けてもらいたくてね。だからすぐに動けるように無理言って了承してもらったんだ」
彼が何を言っているのか、僕はまるで理解ができなかった。
「自分が何をしようとしているのか分かってますか? これじゃ売れば売るほどウチの会社は大赤字ですよ」
僕は業務提携先との利益配分の項目を指し、色々な感情が交錯して我を忘れそうな自分を何とか押しとどめて言った。この時の自分の顔を鏡に映したら、多分ものすごい形相だっただろう。現に感情の抑えきれなさ加減は、自分の発言にも表れていた。そんな風に取り乱した僕を目の当たりにした加賀さんは、慌てて目を点のように小さくして契約書を見返した。すると、直ぐに落ち着きを取り戻して言った。
「何だ。大丈夫じゃない。販売してもウチの取り分が全くないかと思ったよ。ほら、見てみて。確かに少ないけどあるでしょ? 少ないけどまずは実績を残して、そこから比率を交渉すれば良いじゃない」
加賀さんは軽々しく先の展望を語り出した。
「簡単に言ってますが、一年間変更しないと明記してありますよ? 一年間赤字を垂れ流し続けるってことですか? それに一度決めた利益の配分比率はそんなに簡単に変えられないと思います。先方の利権問題でもあるし」
僕は更に語気と表現が荒くなっていくのを感じていた。それを見た加賀さんは、僕に聞こえるように溜息をついて問い掛けた。
「赤字赤字って言うけど、ちゃんとお金は配分されるじゃない。それでどうして赤字になるって思うの?」
僕はどうにか冷静でいるように努めた。感情は状況を悪化させる。感情を混ぜると、インプットもアウトプットも碌なものにならないからだ。
「加賀さんは、どういう計算でこの比率で良いと判断したんですか?」
「いや、単純に大体これくらい入ってくれば良いかなっていう感覚。流石にゼロだとやる意味がないから」
我が社の執行役員は、耳を疑う発言を繰り返していた。
「これだとウチの利益計上はマイナスになります」
僕は毅然として言った。
「え?」
加賀さんは、僕の発言が何を意味しているか理解できていないようだった。
「売上がそのまま利益計上されないことは分かっているかと思いますが、販売に差し当たって、当社側で発生する原価や販売管理費がありますよね。それらを差し引くと大赤字です」
加賀さんは口をあんぐりと開けたまま放心していた。
「ああ、忘れてた…」
彼は魂を吐き出すかのように振り絞って言った。
僕は呆れて何も言えなかった。軽はずみに物事を進めたり、軽薄な発言が重なると、立場はどうあれその者は一切信用されなくなる。
「いや、その…」
加賀さんはもじもじと手を捏ねながら弁明の言葉を探すフリをして、僕の反応を待っていた。
「とりあえず状況は分かりました。ここから何とかしますから。また連絡します」
僕は何とか言葉を探し当てて言った。加賀さんはすごすごと背中を丸めて帰っていった。僕に何とかできる自信は全くと言って良いほど無かった。しかし、もう自分の手でどうにかするしかない。加賀さんはそもそもアテにならないし、山崎はこの手の業務提携の交渉は初めてだ。僕は改めて自分の席に腰を下ろした。すると、一週間分の鬱積した疲労が荒波のように襲い掛かってきて、僕は自分の席で溺れそうになっていた。
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