第15話 きっかけスイッチ
体よく邪魔者を追い払うことができた。漸くホッと一息つくことができると思ったのも束の間で、今度は山崎が声を掛けてきた。
「大変ですね、上の人をあしらうのも」
予期せぬタイミングで声を掛けられたのと、よくもお前がそんなことを言えたものだなという思いが交錯して、僕はバランスを崩して倒れそうになってしまった。僕は何とか体勢を保ち、振り返って山崎の顔を見た。このプロジェクトは爆弾を二つも抱えて走るのかと、改めて僕は内心で頭を抱えた。まず、プロジェクト担当役員の加賀武は役職の通り、うちの会社の執行役員だ。会社創業メンバーの一人で、元々は間接部門の人だ。社内では、名ばかりの悲執行役員(カナシッコウヤクイン)と呼ばれている。『カナシッコウヤクイン』とは『悲しいけど執行役員』の略で、加賀さんの蔑称だ。彼のこれまでの功績を揶揄して、社員から影で命名されたのだ。初めてそのあだ名を聞いたときは、明日は我が身と身の毛がよだったが、それもこれも彼が招いたことなのだから自業自得というやつなのだろう。また、本人は裏でそう言われていることにも薄々気付いているようで、とにかく目に見える実績を積もうと息巻いているが、なかなか勢いに乗れず会社に居座っている。一時期、刹那の勢いに乗って新サービスを二十個程立ち上げて、たまたまそのうちのひとつが少しの成功を収めたことがあった。それに味を占め、彼は次から次へと思いつきでサービスを起ち上げては失敗している。今や会社の赤字の元凶にもなっている人材だ。本人は別に悪意があって失敗している訳ではない。思いつきのアイディアを吟味せず何と無く進めてしまい、挙句、上手くいかなくなると丸投げして逃げ出してしまうため、ほぼ毎回失敗している。今回のプロジェクトも、業務提携先は呑み屋で知り合った同業他社の社員で、酔った勢いでやってみようという話になり、今に至るといういい加減なきっかけだと聞いている。そんな彼の仕事ぶりが積み重なって、直属の部下はなるべく彼に触れないようにしている。失敗が見えているプロジェクトを引き受けても損な役回りにしかならないからだ。また、上手くいったらいったで手柄を一人占めされてしまうので、中には少しでも吟味すれば多少なりとも好転しそうなものがあっても、極力彼とは関わらない方が良いというのが社内、部内の常識とされている。彼は、そんな立ち位置の人だ。加えて、山崎拓也だ。彼は新卒二年目の男性社員だ。割と有名な偏差値の高い大学出身で、そうであるが故に社内で密かに有望視されている。が、まだそれほど仕事はできない。一定ラインまでは無難にこなせるが手際が悪く、よくマネージャーの松本さんに詰められている。他の若手社員からするとよく耐えていると思われているようだが、本人は何を言われてもけろっとしている。あまり人の言うことを真に受けて聞くタイプではないようだ。周囲からはメンタルが強いと思われているみたいだが、僕や松本さんからするとただスポンジのように吸収しては抜け落ちてしまう部類の人種だった。佳境になると行方知れずになる責任者と打っても響かない主担当者。両手にそんな爆弾を抱えてこのプロジェクトを進めなくてはならない。そう考えると、僕は一気に三歳くらい歳を取ったような気分になり、身体が鉛のように重たくなった気がした。
山崎はそんな僕の心境など露知らず、僕のデスクの横で僕の反応を待っていた。
「で、どうしたの?」
白々しく僕は山崎に質問した。
「いえ、次のミーティングに向けてすり合わせさせていただいた方が良いかなと思って」
ミーティング後の彼の行動からは思いも寄らない意外な発言だった。彼にも自分を律したり、過去を顧みるという思考があるのだなと、ひとまず僕は胸を撫で下ろした。しかし、気を緩めてはいけない。ここからどう挽回していくかでプロジェクトの行く末は決まる。
「そうだね。じゃあ時間を取って今日の振り返りと今後の進め方、それと僕らの役割を決めようか」
僕と山崎は、早速時間を取ってプロジェクトの進め方決定に向けたミーティングを実施した。ミーティングはディスカッション形式で進めることにした。今回を機に彼が様々な業務を取り仕切っていけるよう、今後の改善点も振り返りの中から気付きを得て欲しかったからだ。しかし僕の淡い期待は冒頭に発せられた彼の第一声により、無残にも粉々に打ち砕かれることになった。
「ちょっと、意味が分かりませんでした」
「え?」
僕もちょっと意味が分からず、ただただ聞き返すことしかできなかった。
「はっきり言って、こっちの落ち度が分かりませんでした。資料に書いてあったのに」
そう言って彼は憮然としていた。彼には、このミーティングで振り返りや今後の進行方針を決めるつもりはなく、自分の不満を吐き出したいだけのように見えた。池田さんや松本さんなら、こういう場面でとにかく叱責と詰問を繰り返すのだろうが、僕にはそれが出来なかった。単純にそのスタイルが好きではなかったし、この瞬間の彼を目の当たりにして、そうすることによる双方の利益享受があるとは思えなかったからだ。
「まあ、そりゃ確かにね。とりあえず思う所を全部吐き出しなよ。その上でこっちとして出来ることと、みんなに求めることを整理して組み立ていこうか」
僕は、ひとまず彼の言い分を引き出した上でゴールを統一させることに努めた。彼の言い分はシンプルで、何故資料に書いてあることを聞いてくるのか、何故あんなにも問い正されなくてはならないのかの二点だった。彼の言い分も分からなくはないが、前提を履き違えているようだった。まず、大半の人は資料を読まない。よほど文字を読むことが好きな人ではない限り、辞書のような分厚い資料を作っても読まれない。大抵最初の三ページ、それもキーメッセージくらいしか読まれないだろう。良くても飛ばし飛ばし各ページのキーメッセージを斜め読みするくらいだ。だから資料を読め、という前提で挑むスタンスはそもそも成立しない。そして質問だ。これは人の質問の仕方にも依存してしまうが、質問イコール叱責ではない。むしろ質問が出ることが良いケースもある。質問者が主体的に考えた結果出てきたアイディアなこともある。
僕は山崎の言い分を聞きつつ、ゴール統一に向けた身動きを取る体勢作りに入った。
「確かに心情としてはそうだよね。せっかく準備してきた訳だし。ただそれは初見の人は分からないし、考慮できる人は少ないと思うよ。相手のことを理解して物事を進めようとする人は少ないから」
山崎はまだ腑に落ちていないようだったが、僕は構わず先を続けた。
「だから周りの一挙手一投足に過敏に反応するよりは、このプロジェクトをどうすべきか、その中で自分はどうしていきたいかを考えてやってった方が良い気がするね。実際に相手がどう考えてるかなんて正確には分からないんだし、最後の最後は相手の反応から想像するしかない」
山崎は僕の話を聞きながら漸く口を開いた。
「確かに言われてみるとそうですね」
このくだりが彼に響いたかどうか分からないが、僕は山崎とひと通り話をし、このプロジェクトのゴールと僕らの役割、そしてこの先の進行方針を話し合った。議論を進める中で、ふとスマートフォンの液晶をタップすると、時刻は定時をとっくに過ぎていた。我が社は定時などあってないようなものだが、それにしても二時間以上も話し込むとは、なかなか一心不乱に取り組んでいたようだ。ミーティングでは主に僕がプロジェクトの進め方を設計し、資料への落とし込みは山崎に任せた。作業に没頭している彼の手元を少し覗き見すると、日中に提示された新聞のような資料とは様変わりしていた。僕はここまでくればもう大丈夫だろうと思い、ミーティングを打ち切ることにした。
「完成も見えてきたことだし、今日はそろそろ切り上げようか?」
山崎は視線を落としたまま僕の問い掛けに返答した。
「僕はもう少しやっていくので、真野さんは先に戻っていて下さい」
「初日から根を詰めると後がしんどくなるよ」
僕は社交辞令でもう一度声を掛けたが、山崎の視線はノートパソコンを向いたままだった。
「でも、もう少しでキリのいいところまでいきそうなので」
彼は引き下がりそうになかったので、あとは彼の裁量に任せてミーティングルームを後にした。僕が通常業務を終えても、彼はまだ作業に集中していた。きっかけや兆しは身近なところにあるかもしれない。という言葉が僕の中で木霊していた。
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