第4話 気乗りしない予定

 翌日から僕は、自分が抱えている問題について、思い付いたことをひとつずつ書き留めていく作業を始めた。生活自体は普段と変わらない。いつもと同じように朝から会社に向かい、いつもと同じように夜は早くない時間に帰宅した。想念メモを作っているのは、彼女のアドバイスというか、半ば指令のような勧めもあってのことだ。考えが纏まらない内は、とにかく思いついたことをメモに書き出す。その作業をひたすら繰り返す。そして、ある程度メモがストックされたら、それらをグルーピングする。そしてそれぞれのグループが何を意味するのかを咀嚼し、端的な言葉で言い換えてみる。具体的な行動例に落とし込んでみたりもみる。そうすることで、数多の想念が何を示しているのか、その根拠は何かを解釈するという寸法だ。この方法の有効性は僕も同意する。今回のケースでは、僕の鬱屈の理由とそれを踏まえてどうしたいのかを明らかにすることだ。

 そして、数日ほどこの作業を繰り返してみたものの、僕はこのやり方ではゴールに辿り着ける気がしなかった。何故なら、僕の鬱屈の理由も、僕がどうすべきかもある程度分かっていたからだ。分からないのは『何を』の部分だった。いくら思いついたことをメモに書き出しても、『何を』に行きつかないから困っているのだ。僕は自分が何者かを示すことができないでいて、それは今後も変わりそうになく、成り行き任せの現状を生きている。そして僕はそのことに心を傷めていて、何かをしなければという衝動と焦燥感に駆られている。しかし、その何かが一向に見つからない。だから、僕はその何かを見つける必要がある。

 ここで何も選択しないことは、何年か先に来るかもしれない大きな後悔につながるのだろうか。自分自身に疑問を投げ掛けてみた。答えはYESだった。過去、少なくとも僕は一度選択を誤っている。人生を歩む過程で積み残しがあったということだ。それを積み続けたことで何かを得られたかどうかは分からない。しかし、結果がどちらに転ぶにせよ、僕は積み続けるべきだったのだ。でも、僕にはそれができなかった。 

 自分の思考を整理するだけでは前に進めそうにもないと思ったので、僕は試しに旧知の友人たちの話を聞いてみることにした。きっと僕がぶつかるような凡庸な壁は誰しも出くわしているだろうし、それに何かを決めるためには様々な観点から情報を収集した方が良いと思ったのだ。とはいえ、友人に直接こんな話をするのも青臭く恥ずかしいので、表向きは酒を酌み交わすという目的で、友人たちに探りを入れていくことにした。

 手始めに誰から話を聞こうかとスマートフォンの電話帳を眺めていると、突然手元が震え出した。僕は電話帳検索に夢中になっていたので、思わず応答のアイコンをタップしてしまった。そのまま通話するか迷ったが、一方的に通話を遮断するのも相手に悪い気がして、僕は仕方なく誰からの着信かも分からないままスマートフォンを耳に押し当てた。

「真野君、久しぶり。今日、空いてる?」

耳慣れない男の声で僕の苗字が呼ばれた。僕は一瞬言葉を発せず電話越しに狼狽えたが、我に返ってスマートフォンのディスプレイを確認した。酒井直樹という名前が表示されていた。声の主が判明して、僕は気が向かないまま反応した。

「どうしたの、直樹君。久しぶりだね」

僕は反応はしたが、彼の問いに解を出すことを控えた。その先の展開がある程度読めたのと、今の僕はそれを求めてはいなかったからだ。

「おぉ。大分間があったけど取込み中だった? それはそうと、今日空いてない?」

直樹は僕の心境などお構いなしで同じ質問を繰り返した。僕はこうした誘いを断るのは非常に不得手だ。これは私生活だけでなく、仕事でも同じだ。そのせいで僕は幾度となく損をしている。結局、僕は友人の勧誘を無下にすることはできず、渋々首を縦に振って集合場所へ向かう羽目になった。

 咲には急遽会社の呑み会が入ったから夕飯を一緒に食べられない旨を詫び、僕は集合場所へ向かった。咲は、電話越しに急な予定を入れるな等とぶつくさ何かを言っていたが、適当な返事をして電話を切った。どっちにしろ後で小言を言われるのは明白だったので、その時に機嫌を取れば良いのだ。

 気乗りしない道中で、僕はこれから会う直樹について思い返していた。直樹は地元の先輩で、確か年齢は僕よりも七、八歳上だ。彼とは僕が学生時代にアルバイトをしていた先で知り合った。以来、十年ほどの付き合いで毎年一回か二回は顔を合わせている。しかし今回は、前回がいつだったか記憶が朧げになるくらい久しぶりだった。なので、僕はどんな話から展開していけば良いか思案していた。旧交をスムーズに暖めるためには、会合の導入でお互いが取っ付き易い話題の提供が必須だ。一日を駆け抜けた疲労を抱えながら、話に花が咲かない気まずさに耐えるのは御免被りたかった。しかし二、三分思考を巡らせたところで、僕は考えるのを止めた。直樹との話題に考えを巡らせることは無駄だと思ったからだ。彼のスタンスは終始一貫していて、わざわざ僕が話題を提供する必要はないのだ。

 そんなことをうだうだと考えながらぼんやり歩いていると、見覚えのある石像の前に辿り着いた。直樹との待ち合わせ場所だ。石像は人型で、上半身は二人の人間を接着剤で無理やりくっつけたような造形だ。右半身と左半身は逆の方向に向いていて、手足は方々に散らばっている。挙げ句に顔はどこを向いているか分からない。いつ見てもなんともよく分からない間抜けな石像だ。人間どう転ぶか分からないとでも訴えたかったのだろうか。この石像の製作者は、何かの作品で世界文化賞を受賞し、今では文化人として朝のワイドショーなどで呑気にコメンテーターとして活躍している。この作品がきっかけになったかどうかは分からないが、とにかく彼と待ち合わせるのはいつもこの場所だ。

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