親に言われてショックだったこと。

 かしこまりこ様の今週のエッセイにて。

『カクヨム旅行記』「第77話 ついにこの時がやってきた」

https://kakuyomu.jp/works/1177354055079224509/episodes/16816700429153169924

 多くの親御さんに訪れる(かもしれない)、ビッグイベントが……!?

 ちょっとネタバレするので、先にまりこ様のエッセイを読んでください!








 と、言うわけで。

 サンタさんの正体、私は何時知ったかな。

 多分、親に言われる前に、自分でなんとなーく気付いたんだと思う。

『鎌倉ものがたり』(西岸良平、双葉社)を読んでいたからかな。でもあの話は、「ふしぎなこともあるよね」オチだったから、「私にプレゼントを贈ってくれた人は親でも、世の中にサンタがいないわけではない」という風に理解したんですよね。だからショックは受けなかったと思います。


 今でも「正体が親」だとわかっていても、=「サンタがいない」とは思ってません。逆に、「親の正体がサンタだった」とも言えるし。

 まあ後は、「サンタは信じてる限り存在する」って理屈です。こう言うと「綺麗事」のように聞こえるかもしれないけど、そもそも「目に見えないもの」「信じること」で成り立つのが社会だと思います。

 例えばお金も、硬貨やお札の正体は金属や紙ですけど、お金自体が「ない」とは言いませんよね。歴史も、痕跡や史料があるだけで、邪馬台国なんて現代人は誰もその目で見て確かめてない。数字だって文字だって数式だって物理法則だって、実体自体は本来見えないものです。仮定して見えるようにしているだけ。権利や法律もそう。

 それらの仮定は全て、「信用」という概念で成り立っているものと思います。10年前の私が、今の私だなんて言える証拠は、信用というものがなくなればおおよそ無いのです。身長も体重も変わってるし、その頃の細胞は大体死んでるから。脳細胞の数だって減っている。今の私は10年前の私のクローンかも、なんて。


 それにサンタって、ありふれた愛の代名詞だと思います。

 今は「いい子にしてたら~」なんて等価交換になっちゃってるけど、本来はいい子でも、血縁でもない他所の子どもたちに、当たり前のようにプレゼントを配ることが本質だったんじゃないかなあ。「伊達直人」みたいな話もニュースになったしね。

 色んな愛があるけど、子どもに向ける愛なんて、子供にとってその辺の石ころの扱いでいいと思うのです。特別な事じゃなくてありふれてるってことが大切だよねー、と親と話したその日。





 再放送されてた『劇場版名探偵コナン』を観て、母が、

「子どもをそんな危険なところに入れるなよw」

「警察が子供を頼るなよw」

「そんなに麻酔撃っちゃだめでしょw」

「無理だってそんなに飛べないってw」

 とちょいちょい茶々を入れてて、




 そういや私、こうやって両親がアニメに向けて現実的な茶々を言うのがショックだったなあ……。

 なんて、思い出しました()。

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