第11話 バス停にて





私は、朝のニュースが流れ続けるのどかな食卓で、驚いたまま固まっていた。そして同時に、私の胸を辛い動揺が責め立てる。



ニュースの最後でぱっと画面に現れた被害者の写真。それは確かに、あの時彦さんの姿だった。


優しそうに笑う、長身で、髪の長い男性。



時彦さんが意識不明の重体。ニュースによれば、それはもう6カ月は過ぎていた。今日は1月の20日だ。


そんなに長い間なんて…一体どんなひどい事故だったんだろう。


そう考えようとしても、怖くて怖くて、とてもじゃないけどできなかった。


ニュースキャスターのお姉さんが伝えていた事故は、私が住んでいる県で起きたことだっだ。病院を駆け回れば、探せるかもしれない。


でも私はその時、自分にこう聞いた。



“だからって、私に何ができるの?まったく無関係で、知り合いですらない私に、一体何ができるっていうの?”



私は延々とその言葉を空回りさせながらごはんを食べ終えて、学校に行った。







私は日々を暮らしながら、時々に“ケガをしたと嘘を吐いて、お母さんに病院に連れて行ってもらうのを繰り返そうか”とか、“こっそりいろんな病院に忍び込んで探してみようか”なんて考えては、「それじゃあストーカーじゃない…」などとつぶやいたりしていた。


でも私は、あれからスマートフォンでよくニュースを調べるようになって、あの裁判の続報が出ると、すかさず読んでみるようにはなった。


でも、ニュース記事に書かれているのは、「弁護側がとても不利である」とか、「控訴」?ってなんのことかよくわからないけど、それが「棄却された」とか、そんなことばかりで、時彦さんの話はいつも載っていなかった。



どうなったんだろう…。時彦さん、目を覚ましたかな…早く元気になってほしいのに…。







ある夜、ベッドの中で布団にくるまって、私は恐ろしいことを想像していた。私の頭は熱していて、心は狂わんばかりになっていた。


私は両目を必死に見開いていたのに、その想像がまるで克明な記録フィルムか、目の前で起きていることかのように感じていた。


広い病室に、ベッドが一つだけある。そこには、ベッドが窮屈に思われるくらい背の高い時、彦さんの細い体が横たえられている。彼はぴくりとも動かない。そして、その体には、あらゆる管が繋がって、計測機器が回りを取り囲んでいる。


そこへお医者さんがやってきて、様子を見て首を振ると、そのまま帰っていく。


また病室に時彦さん一人になってから、少し経つと、まずは血圧計がだんだんと数字が下がり、そして脈拍を表す波も、少しずつ少しずつ緩やかになっていく。


それがある一定の数値を下回った時、計測機器たちが一斉にけたたましい悲鳴を上げて、すぐにさっきのお医者さんが駆け戻ってくる。


医者がもっと来る、看護師が駆けつける。彼らは何事かを口々に叫びながら、時彦さんの体をストレッチャーに乗せ換えて、急いで手術室へと運ぶ。


そしてそれから4時間ほどが経った時、手術室からはがっくりと項垂れた医者と看護師たちがぞろぞろと出てきて、そこへ時彦さんの家族の人たちが精一杯に怯えながら、一言聞く。すると医者はこう言う。


「残念ですが…」


医者はそこから先を言わずにうつむいて、後ろから時彦さんの体を乗せたストレッチャーが現れ、時彦さんのお母さんはその体に取りすがってわあわあ泣く。



私はそこまでを想像して、悪夢にうなされていたようにがばりと跳ね起きた。息が苦しい。頭が熱い。胸が痛い。


その晩は眠れないまま、翌朝、私は学校を休んだ。








学校には、「頭痛がひどくて」という理由でお母さんが休みの連絡をしたので、夕方になってから舞依が訪ねてきた。




「やっほー。どう?頭痛。大丈夫?」


私はその時ベッドに横になっていて、いきなり部屋の入り口に現れた舞依にびっくりして、しばらく口が利けなかった。私はその時までずっと、病院に居るのだろう時彦さんの様子を、様々に想像していたのだ。


「え…ねえ、ほんとに大丈夫?」


私が黙ったままだったので、舞依は本当に心配してそう言った。そこでやっと私の思考は、日常へと向いた。



どうしよう。時彦さんが本当の本当に、今度こそ死んじゃったら。


初めて私は想像の世界ではなく、現実的な感情でそう思ったような気がした。



私は、急に感情を得た機械人形みたいに、いっぺんに涙を流す。するとそれを見た舞依は、慌ててドアを閉めて私に駆け寄った。





私が泣き止んでから少しして、お母さんが、紅茶の入ったポットとカップを二つ、それからビスケットの乗ったお皿を乗せたトレイを持って現れた。


「あ、お母さん、ありがと」


「いえいえ。舞依ちゃん、ゆっくりしていってね」


「はい、ありがとうございます」


お母さんはにこにこしながらドアを閉めて、それまでは普通に振舞おうと頑張っていた私たちは、また真剣な顔に戻った。


「…で?ニュースで見たのって、確かに時彦さんだったの?」


「うん。写真が出た。同じ顔だった…」


舞依はさっそくビスケットをかじっていたけど、それを口から離して、驚いたまま硬直した。


「へえ…ほんとにそうだったんだ…」


もしかしたら、舞依は本当に私の話を信じていたわけではなかったのかもしれない。でも私は、ニュース記事を検索して、前に私が口にしたのと同じ名前が載っているのも見せた。


「え、それで、どうすんの?って、なかなかどうしようもないかもだけど…」


「そうなの…何もしようがないんだ…病院も知らないし、そもそも元は知らない人だから、顔を見てくることもできない…」


舞依は私が悲しんでいるのを見て、少しでも私の近くにと思ったのか、私の横まで、膝でちょこちょこと歩いてきた。


「でもさ…生きてたんだね」


「うん…生きてた、時彦さん」


「…よくなるといいね、早く」


「うん…」


私たちは肩を並べて、ビスケットを黙々と食べ、紅茶を飲んだ。









それから半年が過ぎた頃の話だ。


あの裁判はもう終わったから、テレビでは時彦さんの名前が出てくることはない。私も中学三年生だから、受験勉強に忙しかった。


数カ月前から、私は勉強のために塾に通っていた。


送り迎えはお母さんが車でしてくれるけど、その日は「息抜きしたい」と言って、遊んでから帰ることにしていた。




私は舞依と待ち合わせをして、喫茶店で二人でパフェを食べて、それからかわいいヘアピンを雑貨屋さんで一つつ買って、舞依とは駅前で別れた。


家に向かうために私がバス停に向かって歩いていると、見覚えのある影が遠くにあるような気がして、ふと目を上げる。



バス停の前にはたくさんの人が並んで待っていて、停留所は行き先ごとに四つ。その停留所の右から二つ目の場所に、背の高い、髪の長い男性が一人立っているのが見えた。いいや、見える前から私はわかっていた。


私の足はぴたりと止まって、その場に立ち尽くす。バス停までは、あと二十歩もない。



時彦さんだ。間違いない。



彼はブルーのジーンズを履き、ブルーのシャツを着て、その上に白いワイシャツを羽織り、黒いスニーカーを履いていた。でも、そんなのいちいち見なかった。


私は彼の両目を見て、それが真面目に手元のスマートフォンをたどっているのを見ていた。



私の足は知らない間に駆け出していて、何も考えないまま、彼に突進しようとする。


でもその時、私の真横を風が駆け抜けたと思ったら、あっという間に女の子が走って行って、彼女は時彦さんに急に抱きついた。



私は一瞬で何かを悟ったような気がして、立ち止まった。そしてそのまま、もう見ていたくもない光景を、呆然と眺めていた。


「愛美、まだ体が少し痛いんだから、もう少しお手柔らかに頼むよ」


ああ、時彦さんの声だ。優しい声だ。


それは人込みの中でも、私にはっきりと届いた。


「だって久しぶりなんだもん!」


時彦さんの腕の中の女の子は、幸せそうに笑っていた。




よかった、同じバスじゃなくて。



そう思いながら私は、二人がちょうどやってきたバスに乗るのを見送って、泣きながら家に帰った。









Continue.

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