第10話 朝のニュース





時彦さんが居なくなって、もう二週間になる。彼はやっぱり、私の前にはもう現れなかった。


私はもちろんひどく落ち込んだし、たくさん泣いた。毎晩。


それでも食事はするし、お風呂にも入る。それはいつものようにとはいかないまでも、少し気うつになるくらいでできた。


私は、そんな自分に少し呆れた。


だって、あんなに好きだった人が目の前で急に居なくなって、もう会えなくなったのに、ごはんを食べてお風呂に入って、夜に眠れるんだもの。


漫画の中の女の子だったら、眠らずに泣き通して、ごはんだって食べなくなってもおかしくない。


「現実って、やっぱりそういうもんなんだな…」


私はそんなふうに独り言を言ってから、ベッドの中で目を閉じた。







それでも私はやっぱり、時彦さんを忘れることだけはなかった。


目が覚めた時、家の中を歩いている時、街に出た時。電車のホームで。


いつでも彼を探して、キョロキョロとしていることが増え、私は彼を探し続けていた。


見つかることはなかったけど。






ため息ばかりになっていく私の毎日でも、変化はあった。


まず、久しぶりに体重計に乗った時、その数字は元の通りに戻っていた。それに、時彦さんが居なくなってから気づいたことだけど、時々よろけるような癖がなくなっていた。


そんなふうになっていたことには気づかなかったけど、私はどうやら相当体調が悪かったみたい。







そんなある日、私は目が覚めて、初めに涙を流した。


「いないんだ…いない、んだ…」


無意識に私はそう口走って、声を上げて泣いた。私は、この時が今までの人生で、一番激しく涙を流したんじゃないかと思った。








ある日私は、学校の昼休みに舞依と、話をしていた。


なんていうことはない話。隣のクラスの男子が「いい感じだ」、だの、担任教師が「けっこう厳しい」だのっていう、よくある話。


私は、自分の心が舞依の声をすべて素通りしていくのがわかっていたのに、そうしているしかできることがなかった。つまり、何もできなかった。


「ねえ雪乃。最近さ、どうしたの?」


「え…?」


私がそう聞き返した時、大げさかもしれないけど、舞依はぎょっとしたように驚いて、私に目を見張った。そして、私の机に身を乗り出して、またあの真剣な顔をする。


「ねえ。絶対なんかあったでしょ?普通じゃないよ。何話しても上の空だし、元気ないし。まず、しゃべらないじゃん」


「うん…」


舞依はしばらく戸惑っていたようだったけど、私をもう一度見つめて、こう言った。


「話聞くから、私の家に来なよ」


私はそれに、「わかった」とだけ返した。本当にもう、私はボロボロだった。







私は舞依の家に呼ばれて、舞依のお母さんに挨拶をしてからすぐに、舞依の部屋に連れて行かれた。


しばらくすると舞依のお母さんがお菓子とミルクティーを持ってきてくれて、お礼を言って、話が始まる。




「私に言えないようなことなら言わなくていいけど、やっぱり心配なの。だから、できるなら…できるなら話して」


舞依の頼み込むような両目と、そして自分の打ちのめされた心に負けて、私は初めからすべて話した。




舞依は、びっくりしていた。もちろん、そりゃ驚くと思う。


「幽霊が家に現れて、あんまりかっこいいもんだから好きになっちゃって、でも私が死んでしまわないように、その人はいなくなってしまった」、なんて。普通の人だったら、信じなかったと思う。


でも、舞依は信じてくれた。


その上で、ずいぶん長い間考えに考え抜いて、舞依は顔を上げる。それは緊張していて、何かに怯えているようだった。もしかしたら、私を傷つけるんじゃないかと思って考えてくれてたのかもしれない。



「でもさ、雪乃…。私、その人でよかったと思うよ」


「えっ?」


私は、舞依の言ったことの意味がよくわからなかった。だから私も、そこでやっと舞依の顔を見る。


舞依は言いにくそうに何度か口を開いたけど、三度目でやっとこう話してくれた。


「だってさ、そのまんまだったら雪乃はどんどん具合が悪くなってたし…。雪乃のことを思って、生きていてほしいって思ってくれる人で…よかった気がするんだ。もちろん、とても悲しいとは思うけど…悪い幽霊だったら、そのまま連れて行かれることだって、ありそうだし…」



私は舞依の言葉に頷きも笑いもしないで、うつむいて泣いた。雪乃はテーブルを挟んで向かい合わせに座っていたけど、こっちに近寄ってきて、私を抱きしめてくれた。






それから一週間くらいして、お父さんとお母さんはアメリカから帰ってきた。


もちろん私は家族でまた過ごせるのが嬉しかったけど、それでも消えない別れの悲しみを、家族には言えなかった。



お父さんとお母さんがくれたたくさんのお土産の品と、アメリカでのお話。でも、それも私の心を少しは和ませてはくれたけど、悲しみを消し去ってはくれなかった。



「雪乃。なんだか最近元気がないわねえ。どうしたの?」


一度だけ、お母さんにそう聞かれた。私はやっぱり、「なんでもない」と答えることしかできなかった。




元の日常が戻ってきたのに、私の心はもう元には戻らない。


それでも、「時彦さんは幽霊だから、所詮は叶わない恋だった。きっと時間が経てば忘れる」と何度も自分に言い聞かせて、私は毎日を過ごした。



それなのに、思い出してしまう。彼がいつも私に優しかったこと。頭を撫でてくれたこと。それから、危ない時に助けてくれたこと。


「君を見守っていたくて、一緒にいたのは、僕のわがままだった」。最後のその台詞を、私は何度も思い返した。








ある朝、私たち家族は、朝食の合間にテレビでニュースを見ていた。それは、裁判のニュースだった。


映像は裁判所の前を映していて、ニュースの副題として、「去年8月の交通事故、初公判が2月に」と表示されていた。


私はサラダをつつきながらそれを眺めていたけど、その実何も考えていなかった。その時、お母さんがこう言う。


「まあ。この事件、やっと裁判なのね。まったく、やっぱりこういうのって遅いわね」


お父さんはそれにこう返す。


「いろいろと手続きや準備があるんじゃないのか?」


それは世間話の延長で、私はそんなことに興味を持てる状態じゃなかった。



でも、その事件の全容がキャスターによってアナウンスされた時、私は全身に衝撃を打たれた。


画面はニューススタジオに切り替わり、よくあるスタジオセットの椅子に、キャスターのお姉さんが腰掛けている。その左には、テレビにだけ映っているのだろうニュースの見出し文が表示されている。


キャスターのお姉さんはよどみない口調で淡々とこう報せた。



「去年の8月にxx県XY市で起きました乗用車による事故の初公判が、今度行われます。この事故で逮捕されました○x△△被告は、事件当夜、飲酒をした状態で車を運転し、歩道に乗り上げた上、歩行者をはねて重症を負わせたとして、危険運転過失致死傷罪に問われています。公判は2月13日に行われる予定で、検察側は、「被告は事件当夜、酒に酔って運転が正常にできないにも関わらず、車に乗った」、「被告に重度の過失があった」としています。また、被告の弁護人は、「事件の起こった場所は見通しが悪く、被告は運転を誤ったのではなく、前日の雨から路面がぬかるんでいたことで車が滑ったのだ」と主張しています。なお、被害者となった24歳の男性、茅野時彦さんは、事件から6ケ月が経った今も、意識不明の状態が続いています」



私は、驚きに愕然としたまま、そして、“彼は生きている!”と思うと胸がふくらむようで、同時に、「今も意識不明」のままの時彦さんを思うと、動揺が止まらなかった。








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