第5話 私に守護霊は居ないそうです
その日、私は真依と街に遊びに出ようという話になって、自宅でまずお気に入りのワンピースに着替えてから、眉を描いて、マスカラもした。
まだルージュを引く勇気、出ないなあ…。
姿見の前でちょっと前髪を直しながら、青と緑のタータンチェックの切り返しがウエストを締めて、ふわっと広がっているのを見る。
ダイエットしなきゃ。もっと足細くなりたい。
そう思っていると、着替えが終わったことを察知したのか、後ろから時彦さんの声が聴こえてきた。
「出かけるの?」
私が振り向くと、彼はベッドに腰掛けて、自分の膝に肘をついてこちらを見つめていた。
時彦さんが私のベッドに座ってる!
そう思って私はまたドキドキしたけど、何食わぬ顔をつくろって返事をした。
「は、はい、友だちと…」
時彦さんはそれを聞いて、なぜかあまり喜んだ顔をしなかった。
「そう…、気をつけて」
「う、うん…」
まずは舞依と合流して、最初はアイス屋さんに行った。その後はファスフード店。お目当ては真依の好きなアイドルのクリアファイルがついてくるハンバーガーセット。私の分のクリアファイルは、真依にあげちゃった。
「ありがとう〜!持つべきものは友だちだよね!」
ファストフードの店内で両手を広げて大げさなことを言う舞依に、私はクリアファイルを渡して、ジュースを飲む。
「まったく、ゲンキンなんだから」
「そんなことないよ!雪乃になんかあったら駆けつけるもん!」
「ふふ、ありがと」
その後は、喫茶店で一時間くらいおしゃべりをして解散。
その時、舞依とこんな話をした。
「ねえ雪乃。最近さ、何かあった?前は前でちょっと心配になるくらい大人しかったけど、最近はすっごい元気そう。いいことだけど」
どうしよう。私はそう思った。
素直に答えるわけにもいかないし…。それにしても、私、そんなに顔に出ちゃってるんだ。
確かに、「家に帰れば時彦さんがいる」って思うと、自然と元気が出るんだよね。
私は考え込むふうにしながら、舞依に嘘をつかない言い方を考えていた。とは言っても、こんなの嘘をつく以外に方法はない。
仕方がないから、私はこう言った。
「うーん、実は舞依にはあとから話そうと思ってたんだけど…。好きな人がいて、それで、かな。誰なのかとかは話せない。ごめんね」
私がそう言うと、舞依も「うーん」と考え込んでしまった。そして、うつむいて顎に片手を当てたまま、舞依は目で私を見つめる。
「変な人、じゃないよね?不良とか…」
幽霊って…「変な人」なのかしら。
で、でも!時彦さんは優しくていい人なんだから!
「うん、大丈夫。すごく優しい人だよ。だから…」
私は先を言えなかった。でも舞依は急に椅子から身を乗り出す。
「好きなんだ?」
途端に私は、顔が燃えるように熱くなった。
「やめてよ、急にそんなこと言うの!」
私は人前でそんなことを言われるのが恥ずかしくて、思わず真依をにらむ。
「雪乃、顔真っ赤っか」
「うるさいなあ…」
私はなんとかそう言ったけど、舞依は構わずニヤニヤして、ストロベリークリームをストローで吸っていた。
舞依と別れての帰り道、私は家までのローカル線のホームへと向かった。
ホームは階段の下り口からもう割と混雑していて、歩きにくかった。
めずらしいなあ、こんなに混むなんて。やっぱり夕方だからかな。
私は自分の降りる駅で出口が近い乗車口を選んで、黄色い線の内側に立ち、スマートフォンを取り出す。
5分くらいは待たないといけないかな。
振り返った電光掲示板は、そのくらいの列車到着時刻を示していた。
そう思って私がスマホに目を戻した時。
不意に、私の体はがくんっと前に揺らめいた。
その時、確かに誰かが私の背中を押した。
でもそんなことは考えていられない。私は自分の体がホームの下に落っこちるのを止めたくても止められず、恐怖で声も出ないまま、ついにレールの上に身を投げだしてしまうところだった。
でも、また急に体がぐいっと強い力に引っ張られ、今度は体が後ろに飛んでいく。
「きゃあっ!?」
やっとその時に叫べた。そして気がついた時には、私はホームに立っている自動販売機に背中をくっつけて、元のように何事もなく立っていたのだ。
えっ…ええ〜!?何!?今の!!何が起きたの!?
慌てて周りを見渡したけど、私の周りに居た人たちは、怪訝そうな険しい顔つきで私を見つめて身を引いていて、結局誰も何が起きたかわからなかったみたいだった。
私の背を押した人も、私の体を思い切り引き戻した人も、私は見つけることができないまま、ずっと震え続ける心臓を抱えて家に帰った。
家に着いた時、また時彦さんが「おかえり」と出迎えてくれた。
私はそれで、自分の身に起きたわけのわからないことへの怖さがなくなって、体が軽くなってほぐれる気がした。そのせいか、緊張させ続けていた体の疲れもちょっとわかった。
なんだか、涙が出そう。
そんなふうに心底ほっとして、「ただいま」と言えた。
でもなんとなく、時彦さんには駅で起きたことを話せなかった。だって、そんなこと言い出したら心配させるかもしれないし、それに、そんなふうに頼るような関係じゃないかもしれないと思ってしまったから。
その晩、私は大好きなミートソーススパゲティを食べた。この頃には、食事時にも時彦さんは話に付き合ったりしてくれていた。
「おいしそうに食べるね」
「おいしいです!」
私の目の前で時彦さんは頬杖をついて、私の食べる様子を見ている。
私がある日、「時彦さんはもうお食事できないのに、なんだか楽しそうにしててすみません」と言ったら、時彦さんは悲しそうな顔をして、「君の楽しみを大切にしてくれた方が嬉しい」と言ってくれた。
それから私は、時彦さんの前でも「おいしい」と言えるようになった。
「それにしても、今日はひどい目に遭ったね」
「え?」
私がフォークに巻き付けたスパゲッティを口に入れるのをためらうと、時彦さんはちょっと真剣な顔をして、私を強く見つめた。
「電車のホームでさ。僕が戻さなかったら、危なかった。よかったよ、引き戻すことができて…」
そう言って時彦さんは、思い悩むように、頬杖をついた両手の中に顔を埋めてしまった。
えっ…じゃああの時私、時彦さんに助けられたってこと!?
時彦さんは、今も私の身に起こったことに動揺しているような様子だった。でも私は、彼が助けてくれたんだと思うと、どうしても嬉しくなってしまう気持ちを止められなかった。
でも、やっぱり良くない。時彦さんが心配してるのに。
「ごめんなさい、時彦さん。でも、心配して助けてくれたの、とっても嬉しいです…」
私がそう言うと、時彦さんは顔を持ち上げる。
「もちろん助けるよ」
そう言ってくれるのも、とても嬉しかった。時彦さんが私のことを、もしかしたら妹みたいにしか見てなくても。
でも、次の一言で私は驚愕する。
「君、守護霊もいないし…」
え、今、なんて?
「守護霊…私、いないんですか…?ていうか、守護霊って誰でもいるものなの…?」
「大体誰でも?かな?僕の見た限りだと…。僕もまだ幽霊になって日が浅いみたいで、なんで雪乃ちゃんにはいないのかとかは、知らないけど…」
時彦さんは途中途中で首を傾げながらも、そう話した。
あ、そうなんだ…。
私はあんまりびっくりしてしまったし、なんの知識もない私が何かを言うこともできないので、「そうなんですかぁ」と、適当な相槌を打つことしかできなかった。
その時の私は、本当に大事な、とても大事なことを見落としていた。
Continue.
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