第2話
早朝の境内でのラジオ体操にもまた参加するようになった。近所の田中さんの一軒家の前を通って行くけれど、灯籠のある家の庭には朝顔やヒマワリの花が咲いていて、そこで昔、茶トラのオスネコを飼っていたことを思い出す。王様みたいな貫禄のその猫とミウはむかし恋仲だった。うちのマンションは五階建ての一階でリビングのガラス越しに二匹は愛を語らっていた、という話だ。田中さんところのオスネコは放し飼いで、ある日ミウに恋をして通ってくるようになった。しだいにミウもほだされてしまい、ついには家の隙間から脱走した。追いかけてくるお母さんを尻目に二匹は手と手を取り合って駆け落ちをした。お母ちゃんゴメンね、という風にミウは何度もうしろを振り返りながら。
田中さんの家のオスネコはまだ若かった。発情期を迎え、ミウも誘惑された。オスネコは他のメスネコも追いかけていって、ついには家に帰ってくることはなかったらしい。田中さんの家が今ペットを飼っているかどうかは知らない。
ミウは深窓の姫育ちだけど、むかし平屋に住んでいた時は外にも出していたことがあったらしい。でも、ある時お母さんのあとを追いかけて迷って家に帰れなくなった。自転車で探し回って近くの畑の中から飛び出してくるのを無事に連れ戻したが、どうやら方向音痴の猫らしいのだ。
おもしろいエピソードがある。ときどきミウはどこかに出かけたまま深夜まで家に帰ってこなかった。心配してお母さんとお父さんは近所中を捜してまわる。そうして、ふだん歩かない一角の高い塀で囲まれた家にぶつかる。空にはこうこうと満月が輝き、塀の上には十匹以上の猫たちがすきまなくズラリと。これが噂に聞く猫の集会かと目をパチクリさせたけれど、その中にミウの姿もあった。急いで抱きかかえ帰ったらしいが、ミウの冒険はそれ以来なかった。心配性の両親に外出禁止令をだされたからだ。
小学校の同じクラスに仲のいい女の子がいる。千秋って名前で、やせぎすのわたしと違い体格が良く、家にも遊びに行き来している中だ。お母さんは赤毛のアンの親友ダイアナみたいな女の子だといつも言っている。夏休みに入ってすぐに、千秋ちゃんはうちに遊びに来た。いつもミウと顔をあわせるけれど、あんまり反応がない。彼女いわく動物には好き嫌い以前に関心が薄いらしい。
「うちの家、犬も猫も鳥も金魚も飼ったことないよ、親もあまり好きじゃないんだって。ご飯やトイレの世話もたいへんでしょう?」
なんてこと平気で言う。動物と暮らす幸せを知らないから仕方がない。千秋ちゃんとはラジオ体操でもいつも会う。その帰りにベンチの背にもたれ、思いきり両腕を上げて伸びをした。白々とした空に早朝の陽が射し込みセミの声も樹々の間から聞こえてくる。
「そういえばオタクの猫・・名前なんだっけ?」
いきなり千秋ちゃんに聞かれた。
「ミウ」
「あ、そうそう。元気?」
死にました、とは言いたくなかった。だから、つい無言。
「えー、何かあった?病気とか?」
「そうそう」
「ラジオ体操、来ないから変だと思ってた」
千秋ちゃんは顔をしかめた。
「だからイヤなのよ、病気なんかなったら病院も行かなきゃいけないし、うちの親は死ぬから嫌だって言ってる」
「みんな死ぬんじゃないの、人間だって」
千秋ちゃんは声高に言った。
「だから、いい方法があるんだ。死んじゃうショックを減らすために別のよく似たのを飼ったらいいんじゃない?スペアを持つってグッドアイデアでしょう」
わたしは返答ができなかった。ミウの代わりなんているはずがない。無神経さにだんだん腹もたってきた。
「もう帰る」
わたしは、すくっと立ちあがり千秋ちゃんに背を向けて走り出した。うしろから声が聞こえたけど振り返ることなく。
命にスペアがあるはずないじゃないか。千秋ちゃんは悪気や深い考えなくしゃべっただけかもしれない。人それぞれ、いろいろな考えがあるのだから、自分の考えがベストアンサーじゃない。と、これはお父さんの受け売りだった。
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