雨のものがたり

オダ 暁

第1話

 夏休みだというのに、この一週間、わたしは子供部屋に閉じこもっていた。食欲もないし風呂に入るのも面倒だった。時々お母さんが心配そうに部屋をのぞきにきて、そのたびに言った。


「愛子ちゃん、ミウは天国に行ったのよ。今頃きっと神様に迎えてもらって幸せなはず、だってあんなに良い猫だったもの」


 お母さんは一生懸命元気づけようとするけど、わたしが生まれる前から家にいた猫が亡くなって、どこにも見当たらなくなって、心にぽっかり穴があいたみたいだ。お母さんは続けて言った。


「ミウはね、お母さんが結婚してすぐ、うちの玄関の下で雨宿りしてたのよ。今のマンションに越す前の平屋にいた時。まだ子猫でやせっぽちでか細い声で鳴いてたわ。かわいそうで雨がやむまでのつもりが結局十五年も一緒で・・愛子が生まれてからも、あんたたち姉妹みたいだったよねえ」


 ミウはかわいいメスの三毛猫だった。一週間前、眠るように死んでしまった。定期的に動物病院に通っていたけれど、腎臓が悪くて病院食をまずそうに食べていた。亡くなる数日は、それも食べなくなってしまい、病院に預けて点滴をしてもらった。四、五日の入院予定だったけど、ミウは日増しに元気がなくなっていった。ある日お母さんは虫の知らせか、病院に泊まり込みでミウに付き添った。わたしとお父さんは翌朝の電話で病院に駆けつけ、ミウは家族だけでなく先生や看護師さんに見守られて息をひきとった。皆の顔を見て安心したような死に顔だった。


 わたしは十歳だったけれど、死というものに経験がなく、どう反応すべきかわからなかった。田舎の祖父母は父方母方とも健在で、近しい人の葬式も経験がなかった。だから翌日、ペット霊園の焼き場でミウと最後のお別れをして、骨壺に入った彼女と帰宅しても実感がわかなかった。


 でもミウの姿は家のどこにもいない。いつも寝ている場所のどこにも。ミウの食器も片されないまま置きっぱなしだし、カリカリや缶詰も脇にあるのにミウだけがいない。お母さんはミウは天国にいったって言うけど天国の住所を教えてよ、そしたら真っ先に会いに行くから!


 わたしがほんの小さい時、ミウはわたしのちーねちゃん(小さい姉)だった。それからおーねちゃん(大きい姉)になり、おばさまになって、最後におばばさまになって死んだ。人間と猫の、異なった速さで流れた、それぞれの時間。わたしたちが共有してきた時間。ベッドについてから彼女の記憶が思い出されて、つい泣いてしまう。この一週間はほとんど、そんな日々の繰り返しだった。


「夏休みの宿題やったの?ミウのことは仕方ないんだから、自分の勉強はちゃんとやりなさい。天国でミウが悲しむわよ」


 生活が日常に戻ってきて、お母さんの小言も復活してきた。


「日記の宿題も毎年ためて書く癖はやめなさい。日記は日々の出来事の記録なんだから、寝る前にちゃんと書きなさい」


 と言われて、夏休みになって始めの何日かはマジメに書きました。でも段々さぼって結局は三日坊主。そのうちミウの調子が悪くなって日記の存在さえ忘れてしまった。今書けるとしたら、毎日同じ一行。


 もう一度ミウに会いたい、だけだ。

 ミウが亡くなり、お母さんの小言も増え、わたしは部屋に引きこもるのをやめた。


宿題にも取り掛かり、日記も適当に出まかせを並べた。ミウだけはどうしても書けない、というか書きたくなかった。

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