最終章 エドナ
人類種の終わり
世界中に戦火とともにばら撒かれた汚染物質は、全ての生きとし生けるものに甚大な損害を与えた。食べるものや水も不足し、日々を生きる事すらもままならない。微かな資源の奪い合いすら起きないほどに、疲弊しきったまま数を減らしていく。
最早、この惑星におけるヒトという種族はこの先の繁栄がまず有り得ないような状況になってきていた。先の大戦やその後に訪れた環境により殆どのヒトたちが死に絶え、残りの数も減る一方となっている。
「ここも駄目か……」
荒れ果てた集落だった場所を一通り見回ったあと、取り越し苦労だったことを認めながら大きなため息をつく。
ほとんど瓦礫になった住居の跡には、恐らく家主のものと思われる人骨があった。他の住居も同じようなもので、生き残っている人や有力な情報らしきものは何一つ存在しなかった。
「……お腹すいたなぁ」
どんなに苦しくても、どんなに悲しくても喉は乾くしお腹は空いてしまう。それは私が生きているということであり、生きていかなければならないということでもある。
保存食の備蓄も心許ない。節約に節約を重ねた日々は、想像以上に精神にくる。最後に満腹になったのは、いつの頃だったろうか。
だけど、それ以上に。
アーロンを失ってから、胸の中に大きな穴が空いてしまっている。喪失の痛みを抱えたまま、後悔の日々を過ごしている。
かれこれ三年は生きているヒトを見ていない。あてのなかった筈の旅は、いつの間にか生きたヒトを探すものへと変わっていた。
ボロボロになってしまった外套を翻し、別の場所に向かって歩いていく。どの方向に向かうのかは、その時の気分で決める。
「北、かな」
誰に言うわけでもなく、小さく呟く。独り言でも、なにか口にしていなければ、孤独に押し潰されてしまいそうになる。
時折訪れる諦念は、私の足を地面に縫いつけようとしてくる。『もう意味がない』『見つけたところで何をするのか』『どうせまた死ぬところを見るだけだ』と、耳の後ろで私の声をした誰かが囁く。
それでも、歩き続けなければならない。私の記憶の中で生きている人たちが、私を私として認識してくれているのだから。私は『歩き続けるもの』、エドナなのだから。
荒廃した集落だった場所を抜け、歩いていく。海沿いでもあるこの場所は、かつて煉瓦で造られた街並みが広がる、千年以上の歴史を積み重ねたところであった。しかし広がる戦火により街は壊され、煉瓦は砕かれ、押し寄せた波と風が全てを流し去ってしまった。私の足元にあるのは原型を留めていない煉瓦の破片と、枯れ木ぐらいだ。
乾いた風が巻き上げる砂埃が口の中に入る。不快感は微かにあるが、いちいち気にいていてはこの辺りを歩くことなどできやしない。
それでも空は青い。一時期は分厚い雲がずっと世界を覆い尽くしていたけれど、いつの間にか太陽が再び顔を出していた。柔らかな日差しは、重くなってきた私の足を幾らか前へと進ませる。
煉瓦だった破片を踏みながら進んでいるうちに、辺りは段々と夜へと近づいていく。時折足元を取られながら歩いていたので、思ったより距離を進むことが出来なかった。
太陽が登れば沈み、煌めく星々が頭上に広がる。それは二十万年繰り返されてきた光景。私がヒトと共に生きてきた時間と同じだけ、太陽と星は私をずっと見下ろしてきていた。
「あれ?」
ふと違和感に気付く。雲で隠れている訳でもないのに、【二つあった筈】の月が片方だけしかないのだ。もともと一つしかなかったかのように、少しだけ欠けた満月が銀色の光を放っている。その輝きはいつもより強く、まるで片方の光を吸い取ってしまったみたいだ。
「気のせい、かもね」
そう言っても、一度気になってしまったものはなかなか意識の外に離れてはくれない。何度も空を見上げるが、相変わらず月は一つだけしかない。
二十万年生きてきて、月が無くなるなんて。まさかこんな時代にこんな体験をするとは思っていなかった。
「――痛ッ」
上ばかり見て、完全に油断しきっていた。手の甲に鋭い痛みが走る。どうやら鋭く尖った瓦礫にぶつけてしまったようだ。月明かりでしか傷口を把握することは出来ないが、この衝撃と痛みはかなり派手に切ってしまったかもしれない。指先に滴る血液の感触が、妙に生々しく感じる。
だがそれも、すぐに血は止まって傷は塞がり、数秒後には元通りになる――
筈だった。
「……うん?」
いつまで経っても痛みと血は止まらない。じわりじわりと染み出ていく自身の血液が銀色の光を吸い込みながら、大地に滴り落ちていく。
「どういうこと?」
海の底に長いこと沈んだり、胴の半分をツルギで切り裂かれたり、銃で何度も頭を吹き飛ばしたりした。ただのヒトならば即座に命を落とすような損傷も、直ぐに治癒される私の身体がこんなにも長く出血を続けるなど、今までなかったことだ。もしかして、今度こそヒトになってしまったのかもしれない。じくじくと痛みつづける手の甲の痛みと私をいっそう困惑させていく。
「終わりの時が来たんだよ、⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎。いや、エドナと読んだ方がいいかな?」
真鍮製の鈴のような声が、すぐ後ろから聞こえた。長い時間見ることすら出来ず、焦がれたヒトの声に反射的に振り向くと、積み上げられた瓦礫の上に子供が座っていた。
真っ暗な夜の中、なぜ『子供』と認識できたのか。それはその子が柔らかな銀色の光を微かに放っていたからだ。御伽噺のような光景に、まるでいなくなった月の化身のようにすら思える。私と似ている真っ赤な瞳が、爛々と輝いていた。
「ついさっき、人類の最後の一人が死んだ。これで人類は滅亡したよ」
小さな口から囁くように出てきた声は、とんでもないものだった。そんなことがある筈がない。そう反論したいが、これまでの余りにも悲観的な状況……そして、なによりも、あの声、あの眼、あの姿。存在そのものが絶対的であり、従わなければならないものに感じてしまうのだ。
「お疲れ様、キミの役目はここで終わりさ」
そうだ。
少年とも少女ともとれる顔立ちをした『存在』の声は、私がずっと思い出そうとしていたものだ。
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