第十一章 アーロン

戦いのあと

 戦争があった。数多の銃弾により、沢山のヒトが死んだ。一発の砲弾が、爆炎とともに何人ものヒトを吹き飛ばす。機銃の掃射がヒトを原型を留めないほどの肉塊に一瞬で変えていく。槍と弓での戦いから、そこまで年月が経っていないというのに、月日が流れるよりも速い速度で武器は兵器として進化していく。明確な勝者が決まらないまま、その戦いは幕を閉じた。


 それから暫くして、また戦争が起きた。前回とは比較にならない数のヒトが死んだ。墓を作る作業が間に合わないほどの速度で死んでいく。技術の進歩は、闘争においても通じていくものだ。一人が殺せるヒトの数が増えれば増えるほど、死者の量が増えるのは当たり前の話なのだから。どんなに優れた戦士でも手にツルギしかないのであれば、一度に斃せるヒトの数などそこまで多くはない。近代化により沢山の屍を生み出した戦争は、世界中の殆どが害を被り、ほんの一部の国が利益を得ただけだ。人々は恐怖し、これ以上の惨劇を生み出してはならないと自戒の日々を送った。


 そんな凄惨極まるような戦争が終わったと思えば、今までのものとは更に比べ物にならない、国と国という括りでは収まりきらないような、大きな大きな戦争があった。

 前のものとは比べ物にならないほどの数の街が戦場になった。絶え間ない技術の進歩で生み出された数多くの兵器たちが、効率性すら持ちながら人々を殺していった。


 無人の兵器が、戦場の兵士どころか老人も子どもも例外なく無慈悲に殺し尽くしていく。冷房の効いた部屋でモニターに映る画面を見ながらコントローラーでその兵器を操作するという現実はただの惨劇でしかなく、ヒトを殺す実感も罪悪感も得ることもなく各々の手を汚しあっていく。


 もはや切っ掛けを覚えている人など、殆ど存在しない。どうして殺すのか。どうして殺されるのか。理由もわからないまま殺し合うという訳のわからない日々に、世界中が加速度的におかしくなっていく。


 そうなってしまえば、ヒトが二十万年続けてきた『歴史の終幕』へと近づくのはあっという間だ。ヒトが絶滅の危機を迎えたのは、何度だってある。だがそれは、あくまで流行り病や気候の変動による外因的なものであり、ヒト自身が自らの暴力によって破滅する。そんなことなど、有り得る筈がないのだ。一秒でも長く種族を生き長らえさせる。意識のない草木ですら持ち得る生物として持ち得る根源そのものの筈だ。


 自身が生きていくために、他の生物を殺し尽くし食い尽くす。それが自然の前提であり、強者生存・適者生存といった生存競争の繰り返しでこの世界は成り立っている。この星が出来てからずっと繰り返されてきた死と生で造られた螺旋の一番下は、同じ種であるヒト同士が殺し合うことで完結するとでもいうのか。


 そうした十年以上続く激しい戦いの果てに、狂気に走り進退が窮まった一人の指導者は、最悪の結論に至った。どうせ死んでしまうなら、何もかも道連れにしてしまおう。彼にはその力があった。とある二つの都市を一瞬で焦土にした恐ろしい爆弾だ。およそ百年のあいだ使われることのなかった禁忌の兵器であったが、抑止力としての研究は盛んに行われていて、威力も性能も当時とは比較にもならない。まさに一発で世界がひっくり返るほどに。


 放たれた禁忌の兵器は、一発で大都市を地図から消した。そしてそれに対する報復で、禁忌に対する禁忌がすぐさま放たれ、狂った指導者は恐怖を感じる間もなく消滅した。


 一度箍が外れてしまえば、もう止まることはなかった。最悪に最悪を重ねたことにより、無慈悲な巨大な爆煙が都市も国も人も、何もかもを吹き飛ばしてしまった。その勢いは止まらず、更なる殺戮と破壊を繰り返していき、急速に文明は崩壊していく。


 ヒトが育んできた文化、生きていた証そのものである様々な建造物。そこで暮らす住人達。ありとあらゆるものが無慈悲に満遍なく瓦礫と壁の染みと化した。


 そこから先は、もはや地獄としか形容ができなかった。核の使用により汚染された大地はあらゆる生命を拒絶し、生き残った僅かな人間たちも飢えと病気に苦しみながら死んでいった。


 核の炎で殆どの国が滅びたことにより、長い長い戦争はいつの間にか終わっていた。世界どころか、この星にすら大きく傷つけた戦いは、地球上の大部分のヒトを殺し尽くした。核の汚染もあって、今もどこかでヒトが死んでいく。


 このまま二十万年続いた人類の歴史が終わってしまうのかもしれない。そうなれば、私はどうなる? 獣だった私はヒトになる為に生きてきて、歩いて、歩いてきた。私の道のりには、いつだってヒトがいた。ヒトと共に、歩いてきたのだ。それがいなくなることを想像するだけでも、とても寂しく、悲しい。


「……どうしたものかな」


 さわり、と私を通り抜けていく風は、昔と大して変わらないように感じる。少し生ぬるいように感じるのは、度重なる破壊によりこの星の気候すらも変動しているからなのだろうか。


 今私が歩いている道は、辛うじて戦争の被害を受けなかったところだ。隣で流れている川は透き通り、太陽の光を反射して眩いぐらいに輝いているし、視界の隅に立っている山々も緑が生い茂っている。


 世界の最先端『だった』都市に比べると、ここは原風景に非常に似通っている。こういった景色が残されている場所など、世界中で数える程しかない。核でほとんどの国土が焼け野原になり消失してしまった世界最大の国……その首都から三千キロメートルほど北上したところにある小さな町で、私は小さく息を吐いた。


 噂によると世界の人口は戦争の前の三パーセント程度まで減ってしまったらしい。食料も圧倒的に不足しているし、汚染による生殖機能の低下により出生率も減少に減少を重ねているという、絶望的な状況に人類は立たされていた。


 国家も存在できなくなり、混沌が秩序を塗り潰してしまうかと思っていたが、生き残った殆どの集落は自身とその周りの身の安全を守る為に、自警と防衛に専念していた。今までの歴史の経験上、物資や食料の余裕を求めて争いが頻繁に起こりそうなものだが、この十年は争いらしい争いは怒っていないようだ。諦念が欲望を超えた瞬間に、ヒトは奪うことを辞める。それほどに、世界は終焉へと近づいている。


 ツカルジが生きていた時代以降、再び訪れることのなかったヒトとヒトが争うことがない時代。それが人類の歴史の黄昏になってやってくるとは。


 ヒトは求めるから、なにかを奪ったのかもしれない。そんなことを考えながらしながら歩き、辿り着いた家のドアを開ける。


「遅かったな、エドナ」


 玄関に迎えにきてくれたのは、背の高い白人の男――アーロンだ。彼の着る紺色の長袖のシャツの左袖が、ゆらゆらと揺れている。彼の話を聞く限り、砲弾の破片が大量に突き刺さり、もうどうにもならなかったのだという。実際アーロンの身体には無数の痛々しい傷跡が刻まれていたし、あと一メートル近づいていたならば死んでいたと笑いながら話す彼の目は、惨状を思い出したのか慟哭しているようにも思えた。


 更には核の汚染も受けていて、内蔵、骨すらもボロボロになっているという彼を放っておけなくて、色々手伝っているうちに気がつけば数年前から彼の家に厄介になっていた。未だに戦争のダメージから回復しきれていない彼の身の回りの世話をしているのが、今の私の現状だ。


「ただいま。少し散歩をしてて、ね」 

「またか。いくらここの治安が良くても、なにが起きるかわからないんだから大人しくしてろよ」


 私の報告に、アーロンは小さくため息を吐く。まるで子供を嗜めるときの大人のような仕草だ。


「人はすぐ死ぬぞ」


 地獄を見てきたアーロンの言葉には、なんとも言えない重みがあったけれど、私が何万年もずっと死なずに生きてきたことを、彼は知らない。言うつもりもなかったし、言ってもデタラメだと思うだろう。私が彼だったら、きっとそう思うから。


「安心して、私は死なないよ」

「……そう言う奴から死んだよ」


 出来るだけ場を明るくしようと軽く返したつもりだったが、アーロンの呟きは重いままだった。数刻の沈黙が玄関先に訪れる。


「――まぁいい、飯にするぞ」


 こんなところでお互いが押し黙るというのもなかなかに滑稽だと思ったのか、アーロンは後頭部を掻きながら、のそり、と奥へと歩いていく。彼の背中は、とても広く大きいものであり、悲惨な目に遭っても、傷が治らなくても、身体の内側が病に冒されていたとしても、彼の命の輝きが陰ることはなかった。


 彼のようなヒトが生きている。それを見ているだけで、希望が持てるような気がしているのだ。


 確かに人類は歴史の最終地点へと辿り着いたのだろう。これからは確実に数を減らしていき、最終的にはゼロになる。それでも、今、この時は。完全に滅びてはいない。これこそが、紛れもない事実であり、現実だ。

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