装填されていた祈り

「いいから早く歩け」


 ウィリアムの声に従い、彼の数歩前を歩いていく。すぐに森に入ったのは、線路を敷設する為に森を切り開いたからなのだろう。乾いた枝を踏み潰す音が、やけにはっきりと聞こえた。そしてその後ろで、遺体を引きずる嫌な音も聞こえている。薄暗い森と異様な音が重なり合い、まるで夢の世界に迷いこんだようにすら思えた。


『なんでコイツも連れてくんだ?』


 少し前、ストリクスに命じられて遺体と夫人を運ぼうとするときにウィリアムは私に同行しろと告げた。それを見たスカーフの取り巻きが片眉を上げながらウィリアムに問いかけていた。


『この女に手伝わせるんだよ。せめて大地に眠らせてやりたいじゃないか』


 ウィリアムは平静そのものといった表情で、それが当然のことのように応えていた。確かに考えてみれば、一人で死体と夫人を運ぶなど重労働が過ぎる。夫人は憔悴しきっていて、気力がなくなっていたからこの状況もどうにかなっていた訳であって、逃げ出そうと思えばすぐに実行出来る状況なのだ。


「もうすぐ傍に行けますからね、あなた……」


 そんなウィリアムの状況に気づくことなく、夫人はずっと涙を流している。無理もない。愛する者を無惨な死体に変えられただけではなく、その骸をすぐ後ろで歩く男に引き摺られているのだ。そんな死に方、扱い方など認められないだろう。


 どんどん森へと進んでいく。もう線路がどこにあるのかもわからない。それでも背後のウィリアムの気配は変わらない。このまま何処までも、何処までも

 歩いていくのだろうか。そう思ってしまうほどに長く感じる道程だった。


「ウィリアム」


 苦し紛れに絞り出した私の声に、彼の足が止まる。背後で彼がどんな表情をしているのかわかるはずもない。


「……あんた、名前は?」


 一拍の沈黙のあと、聞こえてきたのは意外なものだった。確かにジャネットの兄である彼の名前を一方的に言い続けているが、彼は私のことを名前さえ知らないのだ。


「エドナ。歩き続けるものという意味さ」


 名乗ると同時に振り返る。口元をスカーフを隠しているのは先程と変わらなかった。その手が掴む遺体の痛々しさも、何も変わっていない。


「ジャネットは、妹はどうしてる」


 それでも、聞こえてきた声はぶっきらぼうであっても、情愛と慈愛とほん少しの不安が混ざりあった――妹を想う兄のものだった。こんな声を出す男が、出せる男が、あんなストリクスとかいう怪物に従っているとはとても思えない。彼の腕には、未だに遺体が握られているというのに。


「心配してたよ。君がそんな事するはずないって言ってた」

「そうか」


 二つの月が見下ろす闇の中で聞いた彼女の言葉は、兄の無実を信じるものだった。私の口から伝わる妹の言葉を、どう受け止めたのだろうか。一言だけ応えただけでは、何も分からない。


「本当に、殺したのかい?」

「――あぁ。殺した、殺したよ。人ってな、堕ちるときは一瞬だぜ。あっという間にあの悪党の手下だ……笑えるだろ?」


 微かに視線を下げたその瞳から、深い後悔のようなものが見えた。もしかしたら遠い昔、バラナシオが獣だった私をヒトに戻るように諭していたとき、きっとこのような感情を抱いていたのだろう。そう思うと、私は彼に何も言えなくなっていた。


 それ以降、暫しのあいだ沈黙が続く。再び歩こうと足を上げようとした瞬間、遠くで雷が落ちるような音が響いた。あまりの音量に屈みこみ、音の方向へ意識を集中する。その音は私たちが歩いてきた道の逆――つまり、列車の方向から聞こえてきた。木々で隠れてはいるが空は青く、陽の光が降り注いでいる。ならば、あの音は雷ではない。


「始まったか……ならば俺もやることをやらないとな」


 ウィリアムの小さく呟きと、何かが地面に落ちる音。彼の方へ視線を向けると、遺体から手を離し、ホルスターから銃をゆっくりと抜く彼の姿があった。同じ意匠のジャネットのものと違い、しっかりと弾が込められているだろう。


 撃鉄が起こされる。銃口は夫人に真っ直ぐ向けられていた。主人を失ったばかりなのに、全く同じ方法で殺される。そして、その手をウィリアムに汚させることがどうしても許せずに、全てを諦め瞳を閉じる夫人を庇うように一歩前に進もうとした瞬間、彼の人差し指が絞るように動く。


 すぐ訪れるであろう凄惨な光景を想像してしまい、反射的に目を強く閉じる。暗闇の中で響く銃声が続けて二発放たれるが、夫人が倒れる音も聞こえないし、私の身体にも変化がない。恐る恐る目を開けると、ウィリアムが拳銃を空に向けた体勢で私たちをじっと見据えていた。


「二人とも、何処へとなりと消えちまえ」

「え――」


 ウィリアムの言葉は予想もできないものだった。夫人のことも忘れ、間抜けな声で返してしまう。それが彼の苛立ちを助長させたのか、小さく溜め息をつく。


「教えてやるよ。価値のあるものを一つ頂くなんて、言っちまえばストリクスの趣味だよ。俺たちが狙ってたのは、一番前の車両だ。アレにはデクスターで下ろすはずだったカネがたんまりと積まれてんのよ。あそこには銀行があるからな」


 先程まで運んでいた遺体も、彼にとっては『殺す必要のなかった』ヒトなのだろう。ウィリアムは憎々しげに話しながら、銃をホルスターにしまった後、着ていた上着を脱ぎ、銃弾を何発も撃ち込まれている遺体の顔に、静かに被せる。


「もうすぐ警察隊の奴らもやってくる。それまでにカネを持ってずらからないといけねぇんだ。これ以上アンタらの相手をしてる暇なんてねぇんだよ」


 そう言いながらも、ウィリアムは遺体の腕や指を動かし、胸の上で腕を組むような形に変える。上着がなければ、眠るような姿勢になった男を見て、夫人は大粒の涙を零した。


 ヒトの手が入らないこの広い森の中で、肉は獣や大地と一つになっていく。そうすれば、残された者が死んだときに、大地の下でまた会えるからだ。こうして大地の上で眠らせてやることが、今出来る唯一の弔いなのかもしれない。


「ジャネットに伝えてくれ。すぐ戻るってな」


 ジャネットの祈りは、彼に届いているのだろうか。それを確かめる術はない。私が出来ることは、弾の込められていない拳銃を彼に渡すことだけだった。銃弾の代わりに、兄を思う彼女の気持ちが込められたものが手元にあれば、死に急ぐようなことはしないだろう。


 妹の名を口にする時の目の前のウィリアムの眼は、許しを乞うているように見えた。自身の罪を自覚し、殺されることで許されることを望むように。


 だけど、そんなことは許さない。殺さなければ殺されるような状況でない限りは、ヒトがヒトを殺すことは文明を生きていくうえの中での最大の禁忌だ。後悔に後悔を重ねているならば、生きなければならない。生きて生きて生きて、後悔を重ねて生きていかなければならないのだ。それが、唯一の贖罪なのだ。


 私の視界の隅にも、二十八人ものヒトたちがいる。私が殺したヒトは獣だったのかもしれない。怪物だったのかもしれない。だが、ヒトであることは間違いなかった。何年経っても、ふとした拍子に彼らの視線を感じることがある。それはきっと、私が私を認識し続ける限り消えることがないのだろう。彼の視界にも、殺したヒトが何処かに見えている。見えていなければ、気づいていないだけだ。いつか必ず、見える時がくる。ヒトを殺すということは、その命を背負うことに他ならないのだから。


 ヒトを殺した罪は赦されることはあっても、消えることはない。だから、歩き続けなければならない。殺したヒトより多くの人を救う為に、生きなければならない。命を使い果たすまで生き続けなければならない。


「……死なないでくれよ」


 私の呟きにウィリアムは小さく頷くことで返し、列車の元へと駆けていく。それから間もなくして多数の銃声が微かに聞こえてきた。警察隊が到着し、応戦する賊との間で銃撃戦がはじまったのだろう。未だ呆然としている夫人の手を無理やり引っ張り、闇雲に森を走る。


 他の警察隊ならともかく、残る賊に見つからないまま、街に着いたのは奇跡としか言いようがない。茫然自失にある夫人を保安官に預け、私のはじめての列車の旅はやっと終わりを迎えることが出来た。


 水筒の中身を思い出し、口にする。すっかり温かくなった水の温度が、私の身体に吸い込まれて消えていく。生きていく。歩き続けていく。償い続けていく。これから何年続くのかもわからないけれど、私に出来ることを続けていかなければならないのだ。


 その後、ストリクスを名乗る男の一団のことを聞くことはなかった。あの後に捕まったのか、それとも何処かで壊滅したのか。風の噂でも彼らの名前を耳にすることはなかったので、そもそも発足したばかりだったのか、小さいものだったのか。今では確かめることはできない。


 そして、ポーターの町から少し離れたところに大きな牧場が作られたという噂話も聞いた。それがジャネット達が住んでいたところかどうかは、確かめることはなかったし、足を運ぶことはなかった。

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