ジァン進撃
隠れていた太陽はすぐに登ってきた。トルナイは商売の好機だと言ってどこかに行ってしまったので、私ができることは朝早くにジァンが向かった競技場へと足を運んだ。
武術大会というだけあって血なまぐさいものを想像していたが、実際にはとても和やかなものだ。予め潰された刃が首筋に食い込まれる直前で止められたり、ツルギを叩き壊し力量の差を示して降参を迫ることが殆どのようだ。時折、敗者の腕があらぬ方向に曲がり苦悶の声を上げるような試合もあったが、命を奪うようなこともない。
血が殆ど流れることのない催しに、競技場の外側では沢山の人が見物に訪れていた。これ自体がリマナの国民達の楽しみになっているのだろう。戦争で外貨を稼いでいる国とは思えないほどに、野蛮さから掛け離れた催しだ。
戦士たちはツルギを持っているのが殆どであったが、時折槍や手斧を持ったり、手の甲に装着された爪や二振りの短剣を用いたりする変わった戦い方をする者たちもいた。どうやら、私が思っている以上に自由度の高い催しらしい。
更には戦いの直前には、どちらの戦士が勝つか賭けが行われている。賭けた戦士が勝てば、それに応じた金が手に入る。それは胴元である国と折半する形になっていて、リマナの財源のひとつになっているようだ。出来るだけ死人を出さないようにする形や統一化しない武装などを用いるのも、こういった背景があるのだろう。
「てっきり獅子とか獣と戦うものだと思ってたよ」
拍子抜けしたわけではない。遠い昔に巨大な闘技場で凄惨な戦いが行われていたことを思い出していたのだ。もしかしたらジァンも、と頭の何処かで気にしていたのだろう。血で血を洗うような闘争ではなく、ただただ技を競い合うような『試し合い』を見て、一先ず胸を撫で下ろす。
「なんだそりゃ。いつの時代の話だよ」
私の独り言を耳にしたのか、隣で観戦していた大柄の男が困惑した表情で私を見ていた。右手には葡萄酒が並々と入った杯が握られているが、それよりも左手に握られている香ばしく焼かれた肉の塊に目がいってしまう。形からして鶏肉だろうか。
「そんなことしたら死んじまうじゃねぇか。このリマナの戦士候補たちをこんなところで殺したら勿体ない」
男の紛うことなき正論に思わず頷いてしまうが、私の興味は鶏肉らしき物体に注がれていた。視線に気づいた男が、片眉を上げながら後ろの方を指差した。
「……あっちの売店に売ってたぞ」
指を指す方向には赤い屋根の屋台が見える。威勢よく声をあげているようだが、歓声にかき消されて何を言っているのかわからない。それでも、掲げられた右手に肉の塊が持たれているのは見逃さなかった。無言で席を立ち、屋台へ向かう。
手持ちはそこまで多くないけれど、こういう時ぐらいに騒げるぐらいはある。屋台で鶏肉を買い、先ほどまで座っていた席に近づいてきたあたりで一際大きな歓声が聞こえた。どうやら次の勝負が始まるところらしい。
いつもの杖の代わりに三つに別れた棍を持ちながら辿々しく中心へと歩いていく見覚えのある姿。なかなか出てこないので、そろそろ順番が来る頃だとは思っていたが、やっとお出ましか。
「ジァンだ!」
慌てて先程まで座っていた席まで戻る。隣の男は私のほうを見ずに、舞台の中央に視線を注ぎ続けていた。
対する相手は重厚な金属鎧を着込んだ大男。その手には見るからに重そうな大槌が握られていた。こんなのが当たったならば骨は確実に砕けるし、打ちどころが悪ければ即座に死んでしまうだろう。
「おいおい、あの兄ちゃん足取りが悪い上に相手はあの鉄槌ドンドかよ。こりゃ勝負にならないんじゃねぇのか? 三節棍が鎧に対して効くわけねぇだろ」
隣の男は眉間に皺を寄せながら放たれた呟きは、ジァンの完全なる敗北を予想したものだった。彼は知らないのだ。ジァンの圧倒的な強さを。
「そうだね、すぐに終わるだろうね」
賭けを始める鐘が鳴ると、沢山のヒトが胴元のところに集っていく。再び席を立ち、人の流れに身を任せた私ができることは、ジァンの勝利に手持ちの全財産を賭けることぐらいだ。
倍率はジァンの方が圧倒的に低い。隣の席の男が言っていたように、皆ジァンが勝つことなんて露程も思っていないのだろう。有り金全てを出した私に、周りのヒトたちはみな困惑の表情を浮かべていた。
今に見ていろ。とんでもないことが起きるぞ。
席に戻ると試合が始まる鐘が鳴ると同時にジァンは不思議な武器――三節棍を自分の身体の一部のように自在に動かしドンドを滅多打ちにしていった。まるで竜巻のような圧倒的な手数と衝撃が鎧と兜に何度も何度もぶち当たり、甲高く重い音をまるで旋律のように連続して続けていく。
演奏が止まったと思った瞬間、大槌を振り上げた体勢のまま、ドンドは前のめりに倒れる。鎧は数分前とは比べ物にならないほどに凹み、潰れてしまっていた。
いつの間にか静寂が辺りを包んでいた。優雅ささえあるジァンの戦いに、この場の皆が息を呑み、言葉を忘れていたのだ。まるで御伽話の英雄のように、圧倒的な強さを見せつける。それがこのリマナの民には、ますます印象深く見えたのだろう。
残心を解き、三節棍を畳んで小さく一礼するまで、静寂は続いていった。
数拍後、遅れてきてやってきた割れんばかりの歓声に、なんだか私まで嬉しくなってしまう。鶏肉の塊を突き上げながら、隣の男に向かって誇らしげに笑う。
「ね、言ったでしょ?」
「……とんでもねぇヤツが現れたモンだ」
それからもジァンの快進撃は続いていく。どうやらこの武術大会は勝ち抜き戦であるようで、最後の一人になるまで戦い続ける形式のようだ。つまりは手傷や疲労も重なり続けるなかなか辛いものだったが、ジァンはそんなことなど苦にすることなく、並み居る戦士たちを三節棍や自分の手足で倒していく。
当然、私は増えた分の金も全てジァンにつぎ込んでいた。勝てば勝つほど取り分は膨れ上がり、三戦が終わった頃には今まで持ったこともないような大金が私の手元にやってきた。屋台の食べ物を買い占めても、まだ尚残るほどの金額だ。これで何を食べようか。世話になりっぱなしのトルナイにお礼もできるだろう。
ジァンが戦えば戦うほどに、勝利を重ねるごとに彼を称える声も増えていく。今では会場全てが彼の挙動に目を離せなくなっていた。
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