リマナ到着

 リマナに到着したのはあれから九日経った夜の事だった。均一の距離に配置された松明によって照らされた街並みは、二つの月が登っているというのに足元がはっきり見えるほどに明るかった。


「な、なんとか、間に合ったね……!」


 できる限り最速で馬車を飛ばしてくれたトルナイの表情は、疲労の色を隠せていない。同じく疲れきったウマたちを休ませながら荷台を固定する手も、何処か力が上手く入っていないように見えた。


「かたじけない」

「いやいや、気にしないでくれ」


 ゆっくりと馬車を降りたジァンは、改めてトルナイに頭を深く下げた。それを見たトルナイは手をひらひらと動かして謙遜する様子を見せている。例えジァンが見えていないとしても、トルナイは彼に対して身振り手振りをやめなかった。目が見えていていようがいなかろうが、馬車の主の商人には子細無いのだろう。


 すっかり月たちは傾き、朝になったとしてもこのリマナの喧騒は途切れそうにない。ずっと夕方のまま、空が凍りついてしまったようだ。終わらない夜と終わらない喧騒が、この街を包み込んでいた。


「しかし、ここはすごい街だね」

「そうだね。来て正解だったかもしれない。いい商売ができそうだ」


 戦士たちが集まるだけあって、この街には武器だけではなくそれを手入れするもの、そして当然ながら食べるものを売る露店や商人の姿があちこちに見えた。闇が広がるこの夜でも、店を閉じることなくあらゆる物を売り捌きつづけていく。


 このリマナの街はトルナイの中に流れる商人の血を騒がせたようだ。先程まで疲労困憊そのものであった筈の彼の表情は実に楽しそうなものに変わっていた。手伝いを願い出たが、この状況では一人でやるほうが楽だと断られる。確かに何も知らない街では素人がなにかしたところで碌なことにはならないだろう。


 ならばと杖を右手に何処かへ行こうとしていたジァンの方へと駆け寄る。ジァンはあちこちに点在する松明の明かりや行き交う人々のせいか、どうも勝手が違うようだ。杖を動かすことなく、首を左右に振り続けていた。


 とにかくジァンを大会に参加させなければ、わざわざここまでやって来た意味もない。トルナイの苦労も水の泡になってしまう。彼の逞しい腕を掴み、ゆっくりと歩き出す。


 いきなり腕を掴まれたジァンは一瞬だけ驚いた表情を見せる。それに気付かないふりをしながら彼に声を掛けた。


「えーっと、その武術の催しっていうのは何処でやるんだろう」

「……知っているのか?」

「私が知るわけないだろう? この街の存在も知らなかったんだし」

「むぅ、どうしたものか」


 そんな気がしていたが、やはり当たりだったか。ならば動かなければ。ヒトの多いところに行けば、情報を得ることが出来るかもしれない。二人して困っているところ、背後からぬらりと影が揺らめく。振り向くと上半身裸の男が笑顔を見せながら東の方を指差していた。恐らく酒に酔っているのだろう。真っ赤な顔が炎に照らされて、まるで焔の化身のようだ。


「兄ちゃん達、武術大会の場所探してるのか。あっちだあっち。街のド真ん中にある競技場だぜ」

「ありがとう、助かるよ」


 控えめな会釈にさらに気を良くしたのか、大きな腹を震わせながら豪快に笑う。


「 ガハハハハ、いいってことよ。戦士たちの闘いはリマナの華だからな。このまま進めばすぐに着くぜ」


 再び礼を伝えたあと、男の指さした方向へと進んでいく。確かに遠くに大きな建造物が見える。何も言われなければ、王宮と勘違いしてしまうほどに大きなものだ。道の状況にもよるが、ここからならそこまで時間もかからずに辿り着くだろう。


「エドナよ、お主は出ないのか?」

「え?」


 道中、唐突にジァンの口から放たれたまさかの問いかけに、辺に上擦った声が出てしまった。掴みっぱなしだったジァンの左腕に力を込めながら、彼の言葉を否定する。


「出るわけないじゃないか。ただの素人だよ、私は」

「……そうなのか」


 何故かジァンの声は寂しげなものだった。もしかして私が大会に出ると本気で思っていたのだろうか。死ぬことのない身体と折れない木のツルギを持っていたとしても、ジァンに勝つことなど天地がひっくりかえって有り得ないだろう。


「お主がどう戦うか、見てみたかった」

「なんで? 木で出来たツルギが、そんなに珍しいものには思えないんだけれど」


 率直な疑問を投げかける。ジァンは「そうではない」と小さく呟きながら、閉ざされていた瞳をゆっくりと開いていく。


「拙の眼はもう光を見ることは出来ぬ。だが人のカタチは捉えることは出来る。ただ見るよりはっきりと。お主のカタチは、今まで見た事のないものだ。正直なところ、本当にヒトかどうかわからないほどにな」


 ジァンの言葉に心臓が飛び跳ねる。ヒトとかけ離れた命の長さを持つけれど、私は私でしかない。そう結論づけるしかできない。それでも、彼の言葉に答えは詰まってしまうのだ。


「まぁ、お主が何者であるかなど、世界にとっては些細なことだ」


 夜空を見上げるジァンの濁った瞳は、微かに光る星の煌めきを捉えているのだろうか。二つの月の銀色の光を受け止めているのだろうか。変わる世界の中で、この星々だけは変わることがない。今も変わらず、私たちを見下ろし続けている。


 そんな私たちが踏みしめている大地は広く、どこまで行っても限りがない。見渡す限りの大海原や、途方もないほどに高い山脈なども連なっている。未だに私が辿り着いていない場所なんて、まだまだ沢山あるだろう。それに比べれば、私の大きさときたら本当に小さなものだ。


「世界、か……確かに世界に比べたらちっぽけな存在だよね。私も、みんなも」

「そういうことだ。だからこそ、拙はこの世界に爪痕を刻みつけてやるのだ。ジァンという男の存在を、如何なる者にも見落とされることのないように」


 ぎぢり、と拳の握られる音がこちらにまで聞こえてきた。まるで岩のように圧縮された拳が、遠くの炎に照らされて微かに光っているように見えた。


「そろそろ着くようだね。こんな夜中だけれど、まだ受付はやってるのかな?」


 話の終わりは意外にも早くやってきた。二つの月が頭上までやってくるほどに深まった夜のなかでも、ヒトたちが寝静まることはない。戦いの中では昼も夜もないことを、この街全てで表しているようだ。改めてこのリマナという街の活気を通り越した熱気に驚きながら、未だに行われている受付に向かって、ジァンの腕を引っ張った。

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