肉と山賊と嘘つきと

 太陽はぐんぐんと東へと沈み、夜になろうとしている。ジザグたちの案内した住処は、想像したよりもずっとしっかりしたものだった。もっと荒れ果てているのではないかと思っていたが、杞憂だったようだ。


 笑みを絶やさないジザグは手早くカウカウの肉を切り、焚き火の上で熱した鉄の板に乗せていく。肉が焼ける心地よい音と香ばしい香りは、私の舌は期待で唾液を大量に分泌していく。


「すぐ焼けるから、もう少し待っててくれよな」


 ジザグは手早く肉を裏返しては焼き加減を確認している。妙に手際が良いその動きから、彼があまりにも非力だということを忘れそうになる。こうしていれば、ただの普通の男だ。私が強くなったのかと錯覚してしまうほどに、目の前の二人は荒事には不向きであった。


「よっしゃ、焼けたぞ。早く食おうぜ早くゥ」


 簡素な皿に乗せられた肉を受け取る。いつの間にか振りかけられていた香辛料の香りが鼻腔を通り抜け、私の食欲が加速度的に進んでいく。少しでも気を抜くとお腹から空腹を報せる音が鳴りそうだ。


 切られた肉を一切れ、口に運ぶ。食べたことのない香辛料は肉に深みを増すような味付けがされているが、その奥の奥で確かに感じる懐かしい味わいを噛み締めていく。


「早く食べましょうよ、俺ァ腹ン中身が空っぽで」

「姐さんが先だろうがい、おめぇは一番最後だ最後!」


 二人の軽快なやり取りを見ていると、やはりとても山賊の類には見えない。だからこそ、気になってしまう。彼らは今までどうやって、生きてきたのか。山賊になった理由が、思い浮かばないのだ。


 それはそれとして、思考を一旦棚に置く。このカウカウの味に雑念を持ってはいけない。渇望して、いつの間にか諦めていた私の好きな食べ物にようやくありつけたのだ。あんな下らない考えなどで味覚に少しでも影響が出てはいけない。これから先、食べられることがなくなるかもしれないのだから。


「いやしかし、慣れないことはしないほうがいいもんだなぁ……」


 カウカウの噛めば噛むほど滲み出てくる旨味を堪能していると、溜息混じりのハシュの独り言が焔と風の音の隙間から微かに聞こえてくる。まさかとは思うが、この二人は、『山賊』ではなくあの瞬間に『山賊になろうとした』のではないだろうか。


「もしかして、あれが初めてだったのかい?」


 気付けば疑問は口から出ていた。誘導をしたつもりはないが、大男は後頭部を掻き毟りながら、気まずそうに目を逸らす。


「あー、そ……そ、その通りさ」


 大男の顔が真っ赤になっているのは、焔に照らされたせいではなさそうだ。ジザグは追加の肉を焼きながら、身体から想像できないほどの小さく細い声で呟いた。


「……俺たちゃよう、生まれ育った村で縮こまって生きていくのが嫌で飛び出したんだ。もっとでっかいオトコになろう、俺はまだこんなもんじゃないはずだってな」


 ジザグの言葉に耳を傾ける。気付けば彼の隣には瓶(かめ)があり、その中身に口をつけながら大きく息を吐いた。中身はどうやら酒のようだ。あまり飲む機会がなかったが、飲み込んでしばらくすると頭の中だけが浮遊したような感覚になるのがあまり好きではなかった。


 勢いよく酒を飲み続けるジザグは、淡々と言葉を続けていく。息と同じように、止まることはない。そんな彼のすぐ近くで、ハシュがいつの間にか肉を焼いていた。彼の苦笑いが、これがいつもの光景であることを表しているように見えた。


「この山を下って数日歩いたところにでっけぇ街があンだよ。そこのホラーソってヤツがたんまり金を持ってるって話を聞いたんだ。しかもそれは、悪ぃことをして溜め込んだっつー話じゃねぇか。それなら俺たちが頂いちまってもいいんじゃないかってな」


 ホラーソという人名が妙に引っかかる。確か十数年年前に聞いたような気がするのだ。まさかな、と思いながら思ったことを口にする。


「……やってることはただの盗人じゃないかい?」

「違ァァう! 頂いた金は食うのに困ってりゅ奴らに渡しゅんだよ! 俺たちだけで頂くわけにゃねぇっての!」


 酩酊しはじめたジザグはまるで獣のように叫ぶ。あの時にこれぐらいの声を出すことが出来れば、さぞ迫力があっただろう。呂律が回っていれば、だが。


「このあたりは貧富の差が激しいんです。毎日毎日、捨てるほどの肉を食って、溺れるほど酒を飲んで笑ってる奴もいれば、何も食えずに死んでいく奴も多い。兄者はそれをなんとか、なんとかしたいと思ってるんです」


 フォローするハシュの差し出した追加の肉を受け取る。ジザグの焼いたものに比べて、火がしっかり通っている。この辺りは彼の気遣いなのだろう。カウカウは半分ぐらい生でも美味しく食べられるし、生で食べていた時代もあったので、私としてはどのような形でも美味に感じるのではあるが。


「へぇ――で、なんで私を襲おうとしたの?」


 カウカウの肉を頬張りながらする簡潔な質問にも、ジザグは表情を何も変えなかった。その代わりにまるで、息をするようにするりと応える。


「……単純に金がにゃいんだ。この酒も麓で農作業を手伝ったら貰ったみょんで、金出して買ったわけじゃねぇ。あのヴァシュカだって、この肉以外は大体売っちまった。背に腹は変えられにぇ。とにかくどんな手を使ってでも金を集めようと決めたのが今日の昼ってワケだ。んでもって最初にかてぃ合ったのが姐さんさ」


 ゆっくりと顔を上げたジザグの表情は、よくわからない。様々なものが混ざりあった結果、目から力が消え失せ、完全な無表情になっているように見えた。尤も、頭がゆらゆらと揺れているあたり酒の作用が殆どのような気がするが。


「なるほど……さっきも言ったけどさ、これから人を襲うようなことはしない方がいいよ。はっきりいって、向いてない」


 少し強めな言葉に、二人はぐうの音も出ないといった感じで黙り込む。ここで反論をしないということは、彼らも薄々気づいていたのだろう。


 暫くの静寂が私たちの間を通り抜ける。肉を噛みながら、なにか気の利いた事でも言おうか、と頭の中を回転させていくと頭の中で閃光が駆け抜ける。


 そうだ。キンベの街のホラーソ。何故忘れていたのか。話に聞いた、あの男を。


「ちょっと待った。さっきホラーソって言ったね。もしかして、山を下ったところにある街ってキンベって名前かい?」

「んぁ!?」


 私の口からキンベの名前が出てくるとは思ってもいなかったのだろう。沈みかけていた首が再び持ち上がり、私の方へと身を乗り出しながら早口で捲し立てはじめた。


「あぁ確かに言った、言ったぜ。俺が話してたのはそのキンベの街のホラーソだ。もしかして、姐さんもホラーソの野郎のことを知ってるのかい?」


 本当のことを言っていいものか、物凄く気が引ける。浅はかな考え方とはいえ、弱々しい男たちが行動を起こしたのだ。それに対して、この現実はあまりにも残酷というか、残念が過ぎる。


「あー……うん。あー、なんて言うか、これ言ってもいいのかな」

「おいおいおいおい、勿体ぶらずに早く言ってくれよ」


 はっきり言って、とても気まずい。先程と状況が逆転してしまった。しかし、ここまで来て何も言わない訳にいかない。とにかく腹を括るしかないのだ。最後の肉を胃袋に収めてから、小さく息を吐いた。


「そう、か。なら落ち着いて聞いてくれよ」


 ごくり、と唾を飲み込む音が焔に負けないほど大きく聞こえた。それはジザグからなのか、ハシュからなのか、それとも両方からなのか。


「えーと……そのホラーソって奴はとっくの昔に死んでるんだよ。確かもう十年は経ってるんじゃないかな」

「は!?」


 ジザグの驚く声も無理もない。ホラーソという適当なことしか言わないとんでもない男がいて、のらりくらりと人生を走り抜けて、その命を終わらせたという話を聞いたのだ。私も旅の途中、笑い話の一つとして聞いた手前、すっかり忘れていた。


「しかも、死ぬ前に『自分は領主を影で操ってた』だの『色んな方法で金を集めた』とか言ってたらしいけど、ホントのホラーソは何も持ってないただの爺さんだよ。ぜーんぶ耄碌した末の妄言ってヤツさ」


 数秒の間。沈黙が続く。まさか風の噂で聞いた『嘘つきホラーソ』の話をこんな所でするとは思わなかった。ジザグは何も言えずに目を見開いて硬直している。彼の心情を代弁する意味もあるだろう。口をあんぐり開いていたハシュが絞り出すように私に問いかける。


「……つまり、キンベに沢山の金があるとか、そういうのは全部その爺さんのデタラメってヤツですか?」

「そ、そう、みたいだね。うん」


 私の言葉の直後に二人の絶叫が夜の山の中に響きわたる。羽根を休めていた鳥たちが、一斉に二つの月へと飛び立っていった。

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