振り向いたら負けさ
「なぁ、なぁってば」
一人分だった足音が三倍に増えていた。どうしてこうなったのだろう。ひたすらに後ろを歩いてくる二人組の山賊らしき男たちは、諦める気など全くなさそうだった。
先程のように小突いて昏倒させれば簡単に撒けるだろう。でも、何故か、出来なかった。決して、余りにも脆く弱い二人をもう一度殴れば死んでしまいそうだとかそういったものでもなく、もう彼らに何かをする気が起きないのだ。
こんなにひ弱な男たちがいるなんて思ってもいなかった。カレトのように死が間近にあるならともかく、男という生き物は良くも悪くも力強いものだと、今までずっと認識していた。ジザグとその部下のふたりには活力が溢れている。何かの間違いにしか思えない。
「おーい、さっきは普通に喋ってたじゃねぇかよー。喋れねぇって事はねぇ筈だぜぇ」
彼の言葉を無視して歩く。朽ち果てた枝や枯れた歯を踏み潰す音で返事をするつもりはない。ただただ弱い男の言葉なんて、返す必要性を感じないのだ。
女は強い男に惹かれる。今までずっと、この世界の男と女はそうやって生きてきた。私も知らず知らずのうちに、そんな考えに浸かってしまっていたようだ。
「なぁなぁなぁエドナ姐さん、なぁ、なぁ!」
更には襲ってきた相手にいきなり姐さん呼びとは、友好的というよりは距離感というものが理解できないだけのか。
煩わしいほどに声をかけ続けるジザグの野太い声が後頭部に纏わりついてくるような気がする。返り討ちにされた相手に好意を持つ。普通の考えではまずありえないことだ。普通だったら、尻尾を巻いて逃げ回る筈だろう。
野鳥のやけに間延びした鳴き声が、もうすぐ太陽が沈むことを告げる。
「兄者ー、いつまで付いていくんですかー?」
ジザグのさらに後ろから、うんざりとした声が聞こえてくる。完全にどうでもいいといった感じだ。もうこの男を引っ張って、何処へでも行ってくれればいいのに。そんなことを思いながら、足を進めていく。
「ベェケヤロウ、姐さんが振り向いてくれるまでずっとに決まってるだろうがい!」
すぐに怒鳴り声で返すジザグ。あまりの声量に一瞬だけ山が静まりかえるが、それは迫力によるものではない。ただただ声が大きいだけだ。
溜息をつく。ここまできたら、絶対に振り向いてやるもんか。
「なぁなぁなぁなぁ姐さん、腹、減ってないのか? もうすぐ俺らの住処があるんだよォ、飯ぐらい食ってってくれよ、な! な!」
そういえば山を登り始めてから何も口にしていない。想定の上ではもうとっくに越えていてもおかしくはない筈だったのだが、余計な相手をしていたせいでまだまだ時間がかかりそうだ。自覚をしてしまうと空腹感がお腹の奥底からぐいぐいと上がってくる。
「もうすぐ夜も深くなることだし、な! 『煽ち風のジザグ』の名において、何もしないから! 絶対何もしないから!」
そもそも、その二つ名はなんなんだ。誰が呼び出したんだ。問い詰めたい欲求を意地で塗り潰す。
「そもそも兄者、俺たちが何かしようとしたところでボコボコにされるだけじゃないですかね」
「ハシュ、てめぇは一言余計なんだよ!」
握り拳で部下……ハシュの脳天を殴ったのだろうが、何故か乾いた布が擦れるような音がした。普通は骨と骨がぶつかり合うような鈍い音がするものだが、本当に力そのものが弱いのだろう。そして、そんな一撃で痛そうな声を上げる方も大概だ。
それにしても、野生の小動物にさえ食い殺されそうな程に弱いこの二人は、どうやって今まで生きてこれたのだろうか。自分たち以外の賊になんて出くわしたならばとっくに土の中に埋められているだろう。
「なぁ、なぁ、なぁー!」
まるで構って欲しくて親の周りを駆け回る子供のようだ。言われれば言われるほど振り向く気が減り続けることを理解できないらしい。無視に無視を重ねて、傾きはじめた太陽から遠ざかるように山道を進んでいく。
「いいヴァシュカの肉が取れたんだよ、是非とも姐さんに味わってほしいんだ、だからな、な!」
「アレって昨晩苦労して捕まえたとっておきじゃないですか! 何回死ぬかと思ったか――!」
「喧しい ! 今がそのとっておきを振る舞う時なんだよ!」
歩くスピードを早めていく。時折後ろから何かにつまづいて悲鳴を上げる二人のことなど、気にしてはいけない。それでも口を大きく開けて笑っているだろうジザグに気を取られるほど、間抜けではない。
「……ヴァシュカ?」
それでも、聞いた事のないケモノの名前につい反応してしまう。つい振り向いてしまった先にいるジザグはやはり満面の笑みを浮かべていた。しまった、と思いながら視線を戻すが、ジザグは追いかけるように私の前へと回り込む。先程の愚鈍な動きが嘘のようだ。
「あー、なんていうかな、デカくて黒くて、角が生えた獣だよ。美味いし乳も採れる上に革も骨も使える。最高なヤツさ」
ジザグはどうにかしてヴァシュカという獣のことを説明しようと身ぶり手ぶりも交えながら応える。彼がヴァシュカのことを言っているのだろうが、私にはカウカウのことを言っているようにしか思えない。
カウカウの姿はもうすっかり見なくなった。あの柔らかい肉を味わえなくなって、かなりの年月が経っていた。まさか、まさかこんなところにいるなんて。心臓が暴れ回るような鼓動を刻んでいる。
「もしかして、それってカウカウのことかい?」
猛烈な速度で膨れ上がる期待を見せないように、出来るだけ平静を装いながら問いかける。もう食べることが出来なくなったと思っていた大好物でまともな判断など、出来なくなっている。
「カウカウ? なんだそりゃ。ハシュ、知ってるか?」
「……他ンところではヴァシュカのことを別の名前で呼ぶらしいですよ。うろ覚えですけど、確かにそんな感じだったような」
ハシュの言葉がとどめの一撃だった。もう、後ろを振り向かないだとか弱い男がどうだとか、どうでもよかった。カウカウの肉を口に入れることが出来るかもしれない。それだけで全てがどうでもよくなってしまった。
「案内して」
「はい?」「え?」
二人は理解を超えた出来事に硬直する小動物のような顔をして同時に動きを止める。そんな彼らの反応が何だか面白い。自然に口角が上がりそうになるのを何度か咳払いをして誤魔化した。
「カウカウが食べられるんだろう? 早く、案内しておくれよ」
「え、お、あ、う、え、あ、はい」
何故かしどろもどろになりながら、ジザグは何度も細かく首を縦に振る。私の頭の中は、久しぶりに口にすることの出来るカウカウの味わいで埋め尽くされていた。
「よよよよぉし、急いでいくからな! 付いてきてくれ!」
早く、早く。早くあのカウカウを。食欲に支配された私の頭の中では、ジザグの大きな声も木葉が掠れるほどの微かな声量にしか聞こえなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます