涙で血を洗い流す律動

 今まで見たこともないほどに、セプタという国は大きなものだった。この地独特の強度のある粘土と石で覆われた住居が視界いっぱいに広がっている。往来には数えるのを放棄するほどのヒトで活気づいていて、この国の規模の大きさをまじまじと実感した。


 それよりも気になったのは、中心地にある巨大な建造物だ。都市部の中にあるにはあまりにも巨大で、あまりにも無意味なものに見えた。権力者の住居だとするならば四角錐のフォルムは非効率の極みであるし、逆にそうでないとするならばこんな巨大なものを中央部に置く意味もない。


「あれはな、は、墓、なんだよ」


 ラスーが声を詰まらせながら小さく呟く。いつ頃からだったか、死者を埋めて弔うような風習が出来ていた。大地に還ることにより命を吸い込んだ大地は草木を咲かせる。それを食べる獣と、それを狩る肉食の獣やヒト。連鎖が連鎖を呼び、再び大地へと戻っていく。


「このラプタのけ、権力者があの中に弔われるんだ。こ、この辺りの伝承でね、彼らはし、死んだとしてもいつかふ、復活すると伝えられているんだ」


 どうやら私が思い描いていた世界とは違った光景をセプタの人々は見ていたようだ。地域による死生観の違いはここ最近になって分かたれはじめてきた。長い間生きていると、そういったズレに対応しきれないことが多々あった。


「まさか」


「俺もそう思うよ。死んだらそのまま大地に還る。それだけだ」


 首を傾げる私の隣でハドが頷く。どうやらこの風習は彼らの育った地域にはないもののようだった。


「別に生き返る必要なんてないのさ。大地の下でまた会える。だからさ、どんな事があってもみんな一緒なんだよ。仮に俺が死んだとしても、大地が広がっている限り、ラスーと俺は一緒なんだ。悲しくても、辛くても、別れは一時だ。すぐに会える」


 私の隣をすり抜けていった数多の命たちが、私の足元に広がっている。ならば私はこれからずっと、彼らと会うことはできないのだろうか。死んでいった人々と再び会うことはなかった以上、この国に伝わる伝承を信じることはできなかった。


 あの巨大な建造物の中に何が入っているかなどわからないが、あの中でこの国の権力者達はこれからどれぐらい長く眠り続けるのだろうか。いくら考えても、『死』を乗り越えられるとは思えない。


「……そうだといいね。死ねばそれきりだけど、ね」


 命が連鎖していくこの世界に取り残されてしまっている私の絞り出すような呟きは、風の音に遮られてハドたちには聞こえなかったようだ。


 いつも私の視界の隅で血みどろの影が揺らめいている。影は私が殺した男にとても似ていた。所詮は私の生み出した幻覚だ。


 ヒトを殺す理性なき獣であったとしても、ヒトであることは間違いない。それらを殺した私も、結局同じような存在だ。だからこそ、彼らを殺したことを忘れないでいたかった。片時も忘れないことで、殺したくて人を殺した彼らとは違うと自分を正当化したいだけに過ぎないのに。


「ま、生きてる限り死んだあとのことなんかわかんないよなぁ」


 ハドのどこか脳天気な声は、ある意味本質でもあった。他の存在が何を考えているか分からないように、世の中には知らないもの、知ることが出来ないものが多すぎる。長く生きていても、この世界にはわからないことが溢れている。


 話を切り上げるように、ラスーが小さく咳払いをする。それを見てハドは楽しげに大きく背中を伸ばした。


「さぁて、腹も減ったし辛気臭い話はおしまいだ。飯の種でも得ますかね」


 ハドはウマの背に載せられていた荷物から細長い箱を取り出す。豪華な装飾がされたそれを丁寧に開くと、象牙色をした細長い管が出てきた。同じようなものを何度も見たことがある。宴や祝い事のような行事でよく使われる、美しい音を奏でる笛だ。ハドが手に持ったそれは私が見てきた様々なそれよりも倍ぐらい長く、開けられた穴の数が多い。二つの手、十の指では到底追いつかないような穴の配置に、どういった音が出るのか、どういった旋律が響くのかまったく予想がつかなかった。


「さぁさぁ皆々の衆、どうかお耳を貸してくれ! これから奏でるは異郷の旋律! 遠く遠くからやってきた、俺たちゃ旅の途中であるが、生きるためには食い物だ! この音楽が気に入ったのなら、ほんの少しで構わねぇ、なにか分けてはくれぬかね!」


 先ほどから詰まり気味に喋っていたとはとても思えない、淀みないラスーの大きな声に辺りにいたセプタの人々が何事かとこちらに向かってくる。あっという間に私たちの中心には人集りが形成されていた。それを見てハドとラスーは頷き合うと、同時に大きく息を吸った。


 まず聞こえてきたのはラスーの力強い歌声だった。言語とはまた違う、腹の底から出てくる地鳴りのような雄々しい叫びが畝るように響き渡り、周りの人々の鼓膜を震わせていく。まるでラスー自信がひとつの楽器になったようだ。ヒトが出しているとは思えない声量でありながら、どこか優美な旋律が小太りの男の喉から発せられていた。


 それに纒わり付くようにハドの長く細い笛の音が合わさる。目まぐるしく動く量の指が創り出す、どこまでも飛んでいきそうな軽やかな高い連続した旋律がラスーの歌声と混ざり合う。


 時には笛の音が主導権を握り、歌声がそれを支えていく。入れ代わり立ち代わり切り替わっていく旋律は、セプタのヒトたちの心を掴むには時間はかからなかった。


 喧騒など一瞬のうちに消え失せてしまった。今このラプタで音を立てているのは、二人の男だけだった。私を含めた全てのヒトが、ハドとラスーが奏でる音楽に無我夢中で聞き入っていた。


 二人はとても楽しげに音を発し続けている。私はそのすぐ隣でただ立っているだけだ。そんな私のことなどまるで気にすることなく、ラプタの住人は演奏に没頭し続けている。


 時には楽しげに、時には悲しげに。

 時には優雅に、時には荒々しく。

 跳ねるように、這い回るように。

 泳ぐように、大地を蹴るように。


 ありとあらゆる事象を表すように目まぐるしく変わっていく旋律を聴いていると、胸の奥が痛いくらいに暴れ回っていく。身体が熱い。鼻の奥が痛い。目の奥から涙が溢れて止まらない。


 気付けば勝手に身体が動き出していた。リズムに合わせてステップを刻む。溢れ出る衝動のままに手を伸ばし、身体を捻る。涙を拭わぬまま、ただひたすらに踊る。


 一瞬だけ驚いた顔をしていた二人であったが、すぐに笑顔に戻る。初めのうちは私を引っ張っていくような旋律から、徐々に律動を転換しながら私に主導させるようなものへと変わっていく。それがなんだか楽しくて、口角が自然と上がっていくのを感じる。それに気づいたのか、二人の笑みはいっそう大きくなった。


 まるで世界で私たち3人しかいなくなったかのような感覚。他には何も見えない。どこまでもいつまでも視界の隅に残っていた男は涙に洗い流されたのか、真っ赤な血液が見えなくなっていた。


 いつしか音楽は最高潮へと向かっていく。自分がもうどういう動きをしているかなど、とうに分からなくなっていた。胸の奥で暴れ回る感情のままに身体を動かし続ける。


 ラスーの歌声の力強さが増していく。負けじと大地を踏みしめ、飛び跳ねる。ハドの笛の奏でる旋律の速度が増していく。くるりと回り、手を伸ばす。


 彼らの音楽に完全に同調していた私は、終わるタイミングすらもはっきりとわかる。はじめて聴くものなのに、何故かとても懐かしく感じていた。最後の音に合わせて右手を一気に高く掲げる。ここで身体中が空気を求めていることに気づいた。全身を激しく動かしていたことによりとてつもない疲労感が私に襲いかかるが、なんだかそれが心地よかった。


 しばらくの沈黙を置いて、割れるような歓声がセプタの街道を包み込む。汗だくになった私たちを、乾いた風すらも声援を送っているような気がした。

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