ツルギを研いで

 ナーリアが私のところにやってきてから、10回冬が来て、春が来た。数えることを辞めてしまったほどの夜を過ごしてきた私にとって、10年という日々は瞬きよりも短い時間であったが、今まで感じたことのないような充足を感じていた。


 初めはただの憐憫だった。身寄りのない彼女を見捨てられずに、長い時の中で得た知識を教えることにした。積極的に人が人を殺すようになったこの大地から目を背けるつもりもあったのかもしれない。それでも、ほんの小さな子どもだったナーリアが成熟した女性へと変質してのを間近で見ていく様を見ていると、なんだか私が彼女の母になったかのような錯覚さえ覚えていた。


 過ぎ行く日々の中で、私が知り得ることを出来るだけ簡潔にナーリアに伝えた。ロンザオの人々の生活の支えになるようなものから、生きるために必要な知識。そして何より、私の横を通り過ぎていった眩しい命たちを。


 そのなかで一番ナーリアが興味を示したのは、青銅器であった。農具や祭具ではなくツルギのような武器の製造方法や加工方法を盛んに聞いてくる彼女に対しては、どうにもバルカ達の凄惨な記憶などが蘇ってしまう為に、肯定の意を口にするにはなかなかに抵抗があったのだ。


「ロンザオが襲われてもさ、いい武器があったならどうにかすることが出来るかもしれないじゃない」


 そうは言っても、人を殺すための武器だ。武器はもう、獣の肉を喰らうために振われるものではなくなっていた。自分の、家族の、仲間の命を守るためにその刃を振るうことはわかっている。理屈は理解していても、未だに納得はできていない。なにかもっと、いい方法はないものか。答えの出ない堂々巡りだけが、何年も何年も続いていた。


「エドナ」


 思考を遮るナーリアの声。もう彼女は私の事を『仙女様』と呼ぶことはなくなったが、何度も何度も聞いた彼女の声だったが、その声は今まで聞いてきたものの中で一番優しげなものであった。


「私ね、思うんだ。人を殺すのは、武器じゃないんだ。武器が無くても、そこいらに落ちてる木の枝で、石で。それすら無くても手で、足で、歯で。人は人を殺せるんだ。殺すのは、結局のところ人なんだ」


 そう言っていた彼女は、いつの間にか鋳型を作り上げていた。ロンザオの村にも小規模であるが青銅器を作る設備はあった。あくまで鋤や鍬といった農具が中心であったが、やること自体は変わらない。鋳型に溶けた青銅を流し込み、冷ますと鋳型の通りの塊が出来上がっている。それを削って形を整えてやればいいだけなのだから。


 あっという間に私の家の近くにロンザオのものとほぼ同じ設備が置かれた。朝早くから準備を始めて、太陽が頭上に昇りきったぐらいには、作業に取り掛かれるような環境になっていた。前もって準備していたのだほうが、ナーリアの手際の良さには関心する。


 それにしても、いつかに比べてヒトが長く生きられるようになったこの時代でも、30年も生きれば上等だ。50年も生きられるのは、余程運と生活に恵まれた存在なのだ。18になったばかりのナーリアは、異性よりも青銅器の方に熱を入れているようだ。現在の価値観においては18になった女はとうに男を受け入れ、子を成し育てている。これに至っては、育てた私に責任があるような気がしてならない。長い時間を生きているからこその価値観を、無意識のうちに彼女に押し付けているのではないのだろうか。そう思ってしまう瞬間は、何度か存在した。


 近くに腰掛け、作業を開始したナーリアをじっと見る。記憶の中を探し回るように、一歩ずつ工程を進めていく彼女の手つきは熟練のものとは言い難いが、それでも辿々しさは感じられなかった。ロンザオでの作業をずっと見ていたのだろう。


「うーん」


 気が付けば基本的な作業は殆ど終わっていた。二つに割られた鋳型から取り出し、冷やされたツルギの原型を見てナーリアはずっと唸っている。遠目から見れば立派なツルギではあったが、このままでは何も斬ることはできない、ただの青銅の塊だ。ここから刃の部分を削り上げていくことになる。


「うーん」


 ナーリアはツルギの原型を石で叩いたりして形を整え、削り、研いでいく。流石にこの作業は知識でどうにかなるものではなく、ひたすらに根気がいるようだ。甲高い音や鋭く擦れる音が連続且つ不定期に山の中で鳴り響いていく。


「うーん」


 それでもナーリアは唸ってばかりいた。初めての作業に手間取っているのか、それとも理想と現実の狭間で揺れているのか。


「ナーリア?」


「うーん」


 声をかけても、帰ってくるのは唸り声だけだった。

 もともと熱中しやすい傾向にあるナーリアはこうなってしまうと、ただただ他を顧みずに作業に没頭するのだろう。私に出来ることといえば、怪我をしないように見守ることしかできなかった。


「うーん」


 日はすっかり落ちていたが、それにナーリアが気付くことはなかった。青銅を溶かすために赤々した焚き火の炎が彼女の周りを照らしていたからだ。薪が燃える音の中で、ゆっくりとツルギが研磨されていく。


「うーん、うまくはいかないね。もう夜も遅いし、そろそろ寝ようか」


 ナーリアはのそりと立ち上がり、ツルギを動物の皮で覆いながら家に戻っていく。どうやら完成するまで、しっかりとは見せてくれないらしい。


 ここからはただひたすらに研磨に研磨を重ねる日々であった。日が昇ってから沈むまで、食事すら忘れるほどの集中力で無言で研磨を続けていく。研げば研ぐほど、ツルギは刃物としての完成度を増し、切れ味を増していく。それは人を殺すための純度を高めていることと同義だ。それでも、武器が人を殺すのではないという彼女の言葉を信じたかった。


「まぁ、こんな感じかな」


 研磨に研磨を重ねたツルギがナーリアの納得するような出来になったのは、3日後の夜のことであった。高々と登っている月たちが、私たちを無言で見下ろしている。私が私である事を認識してからずっと二つの月は私を見ていた。この月と月を見ていると、時折自分が空の彼方に吸い込まれてしまいそうになる。形容のし難い感覚を払い除けながら、目の前で誇らしげにツルギを掲げるナーリアに笑いかけた。


「お疲れさま、朝になったらちゃんと見せてほしいな」


 満足そうに頷くナーリアの笑顔を確認しながら、遅めの夕飯でも用意しようかと腰を上げた瞬間に、違和感に気づく。すぐ近くで燃え盛る炎が作り出したものとは違う、嫌な焦げくさい香りが、うっすら風に乗って私の鼻腔の中に入り込んできていたのだ。


 その風はロンザオのほうからやってきていた。嫌な汗が噴き出るが、それどころではなかった。ナーリアが出来たばかりのツルギを手放さないまま山を駆け降りていったからだ。


「ナーリア!」


 慌てて彼女の背中を追いかける。山の斜面など苦にせず飛び跳ねるように斜面を駆け抜けるナーリアの背中が見失わないようにするだけで精一杯だった。

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