孤独な死神と孤独な少女

「仙女様なんでしょ、ねぇ、隠してないでちゃんと言ってよ」


 ナーリアはくすくすと笑いながら私の後ろをついてくる。住処まではまだそれなりに距離がある。私がそうであると認めない限り、どこまでも付いてきそうだ。


 立ち止まり、ナーリアの顔を正面から覗き込む。もう二つの月は私たちの頭上へと登ろうとしていた。夜が更けていく。カウカウの肉の加工の時間が遅くなるのは少しだけ悲しいが、致し方ない。どうにかして彼女をロンザオの村へと帰さなければ。


「仙女様だなんて、私はそんなのじゃないよ、だから家にお帰り。私も着いていくから――」


「やだ!」


 すっかり日の落ちた森の中で、少女は地団駄を踏みながら両手を振り回す。明らかに駄々をこねている動きに、思わず苦笑してしまう。


「嘘つかないでよ。私、他の村の人が話してたこと、聞いたことあるんだから。仙女様はね、ずっと、ずっとずっと遠くからやってきた赤い髪をした女の人なの!」


 あまりにも無垢な彼女の言葉に背筋がぞわり、と逆立つような感覚がした。


 相も変わらず私は余りにも長い時間を生きているのに、知らないことが多すぎる。確かにこのロンザオの周辺には赤い髪をしたヒトは見られない。皆が皆、目の前の少女のように黒い髪をしている。この地のヒトたちに物珍しそうな目で見られるのは慣れていたので気にする事はなかったが、そんな話が伝わっているとは思わなかった。


 だからといって、赤い髪をしていれば皆が皆すべてが仙女様とやらであるはずがない。そして当然、私もそんな大層なものでもない。ただ長く生きているだけの存在だ。ヒトのようでヒトでない。周りの『死』と共にある。それが、それが仙女などと。


「ナーリア――」


 二つの月の光すら届かないほどに暗くなった山道であったが、何故かナーリアの琥珀色の瞳はよく見えた。まるで、月の化身のようだ。どんな夜でも欠かさず私たちを見下ろしている輝きそのもののような目で真っ直ぐ見つめられると、なんだか言葉が出てこない。


 暗闇の中で彼女は私のことが見えているのだろうかわからない。それでも、ナーリアの目に浮かぶ二つのの月がゆらり、と動くのだけはわかっていた。風が奏でる騒めきも、今は聞こえない。まるでこの世界で私とナーリアの二人だけしかいなくなってしまったようだ。


「私も仙女様みたいになりたいの。それで、それでみんなを幸せにするの。じゃないと、私は必要とされないから」


 草木に吸い込まれていく細く高い声は、夜の恐怖を打ち消す為なのか、それとも自身の胸の中にある不安に抗うものなのか。確かにロンザオの村で見たナーリアの周りには両親と思えるような人物は見かけられなかった。確かに彼女はいつも独りだった。村の人々と話している私を見ているときの彼女の目は、どこか寂しげなものだったような気がした。


「ナーリア、キミは――」


「いいの。お父さんもお母さんもいない私を育ててくれたロンザオのみんなには何回ありがとうって言っても足りないぐらいだと思ってる。だからね、貰った分だけ、私が恩返ししないといけないんだ」


 ナーリアの姿はもう輪郭ぐらいしか見ることができない。暗闇から聞こえてくる彼女の声と、二つの瞳の輝きだけが今の彼女の全てだった。


「仙女様みたいになってね、みんなの力になりたいの」


 そう呟くナーリアの言葉はまるで立派な大人そのものであるように感じた。農耕自体がない時代に比べて、明日のことを、明後日のことを考える余裕が産まれている。ヒトが死ぬ理由にのなかに争いという要因が追加されていたとはいえ、飢えで全滅することの頻度が減ったこの世界の中でも些細なことでヒトは死ぬ。その中で親を失った子どもなど、普通は生きていくことはできない。


 彼女を見捨てずに育てたロンザオの村の民の優しさと、それに向き合う少女の強さを認識すると同時に、彼女の願いが真っ直ぐなものであると感じた。孤独でありながら強く生きる少女に、長い時間を共に過ごすヒトのいない、ある意味では孤独な私。カタチは違うが、確かに私たちは『孤独』を共有していた。


「だからさ、教えてほしいんだ。仙女様が知ってること。ロンザオのみんなが、笑って生きていくための方法を」


 彼女の眼の輝きは、ずっと変わることがなかった。流石にそこまで言われては、首を横に振るような薄情な真似をすることはできない。私の頷きを確認できたのか、ナーリアは喜びの声を発した。


「もう一度言うけど、私は仙女なんかじゃあない。でも、私が知ってることを教えることはできる。それでいいかい?」


「勿論! よろしくね、仙女様!」


 彼女の『仙女様』という言葉を聞く度に複雑な気持ちになるのだが、もうこの際小さな娘の言うことだと深く考えないことにする。悪意をもって行っている訳ではないのだから。


 聞こえないようにほんの小さなため息を吐き、再び家に向かって歩き出した私の後ろを、軽やかな足音がついていく。まず最初に教えることは、カウカウの肉の保存方法。それだけは決まっていた。


「これから忙しくなりそうだね」


 私の呟きを聞いていたのは、木々の隙間から顔を覗かせながら銀色の光を放つ二つの月だけだった。

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