炎のなかの獣たち

 それは、あまりにも凄惨な光景だった。


 確かにミティスの男たちはヒトと戦うことには慣れていたのだろう。村の周りに立てられた幾つもの杭がそれを物語っていた。何事もなくあれだけの規模の村を作り出せたとは到底思えない。恐らくそれなりの量の血をもって作り上げたものなのだろう。現に列を組み、矢を番え槍を構える男たちの動きはあまりにも慣れたものであって、ある種の規則性すら感じていた。


 こちらの被害を出来るだけゼロに近づけ、それでいて相手の被害を出来るだけ多くする。後に知ることになるのだが、それが古今東西に共通する戦術の基本というものだ。だが、それはあくまで『ヒト』が相手にした場合に有用な戦術だ。今この場で咆哮を上げながら命を奪い続けているのは、武器を持った獣なのだ。そんな獣に対応するような動きなど、訓練のしようがない。


 ツルギを持った細身の獣は自分の身体に矢が突き刺さろうがお構いなしに刃を翻し、ミティスの男たちの腹を皮の鎧ごと一気に切り裂く。致命傷を負った3人の男が、先に地面に落ちていた彼ら自身の臓腑と血溜まり上に崩れ落ちる。彼の走り抜けた後には死体と死体が折り重なるように作られていた。


「まだだ……!」


 腹の底から出したような低い声は勇ましいものであったが、身体はとうに限界を迎えていた。不意に足がもつれて倒れたところで、多数の槍に串刺しにされた。


 両手に1本ずつ手斧を持った大柄な獣は外見から想像できないほど俊敏な動きで敵の首だけを狙って両腕を振り回し、執拗に叩き斬り続けた。ミティスの男たちの断末魔の叫びが幾重にも戦場に響き渡る。


 新たな獲物を追って血液でぬかるんだ大地を駆け抜けていたところ、不意に大男の側頭頭に矢が刺さる。あまりの衝撃に斧を手放した隙を狙って、ミティスの男たちが肉薄する。


 「があああああああああああ!!」


 だが大男はまだ力尽きていなかった。最後の命を振り絞り、耳の奥が痛くなるほどの声量の雄叫びを上げながら、一人の顔面を陥没するほど殴りつけた後にゆっくりと崩れ落ちた。


 長槍を持った背が高い獣は既に左手を肘の先から切り落とされていた。傷口から血液が吹き出ていて、命を使い果たそうとしている彼の顔面は蒼白を通り越して死者そのものだ。それでも片手で長槍を振り回し、軽やかに、そして地を這うように大地を駆け回る。


「一人でも……二バハルの為に……!」


 あっという間に辺り一面の死体の山を作り上げたが、彼もそう時間を置かずに崩れ落ちてその一部となった。


 死の風に乗って炎の匂いがする。誰が火を付けたのか、どうやって火をつけたのか。それを詮索するような余裕など存在していなかった。炎は瞬く間に燃え広がり、何もかもを焼き尽くす。人が住む家を、備蓄をしている蔵を、命を繋ぐコメすらも。


 死を感じとった女たちの悲鳴。親を探して喚き散らす子供の泣き声。息子や孫に先立たれたことを嘆き苦しむ老婆の絶叫。物言わぬ同胞を抱きながら叫ぶ少年。ありとあらゆる叫び声がこのミティスに響き渡っていた。


「バケモノどもめ……! 死神の手下だとでもいうのか!」


 それでも戦いは終わらない。剣戟の音は未だに鳴り響いているし、それ以上に断末魔の叫び男の嘆きのような叫び。剣を抜き、逃げ惑うことしか出来ない私に向かって突っ込んでくる。反射的に握りしめた青銅ですらない、ただの石のナイフでは分が悪いどころか無駄な抵抗だ。


 私自身、幾ら斬られたところで死ぬことはないが、首を刎ねられたらどうなってしまうのだろうか。今までそんな状況になったこともない為に何が起きるかは分からないが、試す気にもならない。男が振りかざしたツルギが間近に迫る。どうにもならないことを悟った私は目を強く閉じ、もう間もなく訪れる斬撃へと身を強ばらせた。


 暗闇のなかで二つのの物体が落ちる音がした。恐る恐る目を開けると、首のない男が倒れている。離れた首も、先程まで私に向けていた殺意に染った表情のまま少し離れたところで転がっていた。


 大きな影が私に覆い被さる。それがバルカのものであることを理解することに、それほど時間はかからなかった。


「そうか、みんな死んじまったか」


 私に顔を見せることなく、背中を向けたままバルカがどこか悲しそうに呟く。彼の周りにいた他の獣達は既に息絶えていた。数え切れないほどのミティスの命を道連れにして。全身を返り血に染めていたバルカ自身もよく見ると至る所に深い傷があり、赤黒い血を流し続けていた。炎に照らされたその全身からは『死』の気配がすくそこまで迫っているというのに、彼の声だけ力強く響いていた。


 炎は燃え広がり、広かったミティスを焼き尽くしていた。何もかもが灰になり、空へと昇っていく。嘆きも悲鳴も、炎の叫びに掻き消されて聞こえなくなっていた。


「も、もう、ミティスは終わりだ。女も、子供も、老人も、皆、死んだ。貴様のせいだ、死神め……!」


 横たわった老人が呪い殺すような目で私を見上げていた。全身は炎に焼かれ、息も浅く早い。もう間もなく訪れる死から必死に抗いながら吐き出された嗄れた声が、私の耳を伝わり頭の中で反響していく。


「お前さんのお陰だ、エドナ。お前のおかげで、二バハルは生き延びる。俺たちの命で、二バハルを救えたんだ」


 動かなくなった老人のものとは対称的な、死地にいるとは思えないほどに優しい声。二つの声が重なり合い、相殺されるように消えていく。余りにも浅はかで自分勝手な考え。だがバルカの声に今の私は救われている。それだけは確かな事だった。


「俺たちはここまでだ。だからお前さんに、頼みたいことがある」


 血は止まることはない。バルカの命が、地面へと流れ落ちていく。身体のどこにこんな量の血液が収まっているのかわからないほどの量。とっくに限界は超えているのだろう。足は細かく震え、立っていることすら奇跡に近い。それでも、彼の声から力が失われることはなかった。


「ビキシ、ヴロホ、ガイベ、ゲイン、ジョク、ドツ、ザザ、ジョトク、ゴウシラ、ヂホウ――あいつらの名だ。俺たちのことを。忘れないでくれ。出来るなら、伝えてくれ。友に、子に、孫に。ずっと、ずっと」


 首だけこちらを向き、笑うバルカは目も潰れ、頬も削がれた衝撃的なものだったが、私には途轍もなく美しいものに見えた。


「なんと呼ばれようとも、蔑まされようとも、お前さんはお前さんらしく歩め、進め。そして笑え。お前さんはそうしている方が、美しい」


 バルカはツルギを振りかざし、まるで一つになるように炎へと向かって歩いていく。足を引きずりながらでも、力強い足取り。追いかけようと立ち上がるが、もう彼の姿は見えなくなっていた。


「最後の最後に、何を言っているんだよ、死んだら何もないんだよ、バルカ……」


 炎が燃えている。ミティスが燃えていく。命が燃えていく。何もかもを焼き尽くし、どこまでも登っていく炎を。それを見ていたのは二つの月と私だけだった。

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