ニハバルの刃
鳴り響く鐘の音よりも早く、胸の鼓動が暴れ回っている。崩れ落ちる私のことなど、誰も見ていなかった。女と子どもは各々の住処ではなく何処かへと、そして男達は武器を取り門の方へと向かっていく。それは何度も何度も行なってきたかのように慣れた足取りであり、このミティスの村がこのような戦いを繰り返してきたことを示していた。
このままでは確実に二バハルの男達は皆殺しにされるだろう。この枯れ果てた大地に彼らの血が降り注ぎ、首は外の杭に晒される。
生きるために殺すのか、生きるからこそ殺すのか。何も殺さず生きることなどできない。だからといって、見過ごす事などあってはならない。争いを止めるために、ここに来たのだから。
無理やり脚に力を入れ、立ち上がる。打算などない。とにかく前に進まなければ。柵と柵の隙間、唯一開かれた場に向かって走りだす。
息が乱れることなどお構いなしに、一気に外へ出る。先程放り投げていた矢筒はそのままの位置に転がっていた。櫓の方を見ると、先程の男が弓を構えながら遠くを睨みつけていた。
これなら気づかれなさそうだ。なんとか呼吸を整えたあと、出来るだけ音を立てないようにそっと地を駆ける。彼の方をじっと見ながらも、気付かれないようになんとか矢筒を回収できたのは良かったが、それと同時に、男の手から矢が放たれるのが見えた。
矢が届く距離まで、バルカ達が来てしまったのか。櫓は一つだけではない。数多くの矢が雄叫びのする方向に向かって飛んでいく。
雄叫びは一向に収まる気配はない上に、近づいてもいない。違和感に気づいたのは私だけではないようだ。櫓に上っていた男が目を見開きながら叫ぶ。
「罠だ! 本命は違うところにいるぞ!」
「その通りであるが!」
肉食獣の咆哮のような唸り声が風より速く私の耳孔を通り抜けていく。どうやって近づいたかはわからないが、いつの間にかバルカを中心とした小規模な集団が柵の近くまで肉薄していた。バルカの他に10人しかいない一団ではあったが、この瞬間において虚を衝くには十分すぎた。櫓の男は慌てて番えていた矢を放つが、それがバルカの身体に突き刺さることはなかった。
「そぅらァ!」
何故ならば、刹那の間に抜かれていたツルギで放たれた矢を弾いていたからであった。空気を切り裂きながら突き進む矢を叩き斬る。あまりにも出鱈目な光景に、本来とは違う意味で口の中から臓物が飛び出そうなほどに驚嘆してしまう。
「今だ、サザ!」
そんな私のことなどお構いなしに状況は変化していく。甲高い音から一拍遅れて、へし折れた矢が地に落ちる乾いた音が聞こえると同時に、獰猛な声に従い放たれたバルカの従者――サザの矢は一直線に男の首に命中し、男は言葉を発することなく櫓から落ちていった。
「お前さん、何故ここにいる! この地は間もなく死地になるぞ!」
「戦いを止めに来たんだよ! こんなに早く来るとは思ってもいなかった!」
「もう矢は放たれたのだ! どちらかが滅びるまで血は流れる! 最早誰にも止められんのだ!」
バルカ達の脚が止まったのは私の声を聞いた一瞬だけだった。瞬く間に最高速度に戻った男達は、柵をくぐり抜けミティスの村に入り込む。良くない方向に進むと分かってはいたが、争いを止めたい一心で彼らの後ろをついていった。
風のように入口を走り抜けたバルカが無言で弓を構えると同時に、サザと呼ばれた男を含む従者たちも一糸乱れず同じ動作をする。放たれた複数の矢はまるで一つの生き物のように突き進み、ミティスの村の大きな住居の壁に突き刺さった。女達が逃げていった方向にある建物であるそこは、きっと彼女たちが万が一に備えて集まって隠れている場所なのだろう。誰一人として逃がすことはないとでもいうのだろうか。
「紅い髪!? 死神だ! 死神がいるぞ!」
槍を持ったミティスの男達がすぐそこまで迫っていた。私を見ながら叫ぶ男の恐怖が貼り付けられたその表情を見て、バルカはにやり、と口角を大きく上げた。
「ぬはははははははは! 死神、死神か! いいじゃないか! 付いてこいエドナ! このまま突き進むぞ!」
目の前の槍を持った男を戸を開けるような自然な動作で袈裟斬りにし、一歩前に出る。あまりにも堂々とした脚取りに、ミティスの男達は武器を構えたまま後ずさった。
私たちの周りにいるミティスの男達はざっと50人は超えている。数的な不利は依然として変わらない。このままではバルカ達はなぶり殺しにされるだけだ。
「囲め! 10人程度になど!」
放たれた叫びとともに、私たちを取り囲もうとする男たちに向かって喉が破れそうなほどに叫ぶ。どうか、その手を下ろしてくれ。どうか、これ以上誰かの血を流さないでくれ。それだけの願いを込めて。
「みんな、話を聞いてくれ!」
「死神の言うことなど聞くものか!」
心の底からの懇願も彼らには届くことはない。先ほどバルカが叫んだように、矢はもう放たれてしまっていた。私たちを囲うミティスの男たちの目は血走り、今にも槍を突き出してきそうだ。恐怖と敵意が混ざったような数多くの瞳が、私たちを見据えていた。
「そうだ、コイツは死神だ。目に見えた全ての命を喰い尽くすバケモノだ。つまり、死ぬんだよ。貴様らも、俺らも。みんな、みんな」
ぞっとするような低い声だった。自分たちの『死』を含めた何もかもを受け入れた、とてもとても悲しい声。それでも、バルカという男は下を見ることはなかった。前を、前だけを見ていた。
自身が倒すべきヒトを。
自身が殺すべきヒト達を。
「だからよォ」
バルカは小さく息を吐いた後に獰猛な獣が餌場を見つけた時のような不敵な笑みを浮かべた。その表情に、はるか昔に過ぎ去った日々の中で巨大なケモノに立ち向かっていったツカルジの顔が重なって見えた。
命を投げ棄てる時の男の顔――何故、死地に向かう男は、皆このような顔をするのだろうか。彼の周りの男たちも、皆同じような表情をしていた。
「死のうや。俺ら11人と、お前らミティスの全員、な」
サザをはじめとした10人の男たちは各々の武器を手に持つ。先程の弓やバルカと同じツルギだけではなく、青銅製と思われる槍や斧を持つ者もいた。一欠片の恐怖もない。そこにあるのはただの歓喜にも似た殺意だった。
「殺せ。その命が尽きるまで、一人でも多くの命を奪え」
11匹の獰猛な獣が、咆哮を上げた。
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