二バハルとミティス
「おーい、肉持ってきたぞー! 今回も大漁だ! がははははははは!」
あっという間の狩りだった。彼の歩く先にはゴーギの群れや、逃げ遅れたカウカウなどが狙いすましたかのように現れた。それらを水を飲むかのような自然な動作で弓矢で仕留めていく。無駄な矢など一本も使うことはない。吸い込まれるように獣の眉間に突き刺さる矢は、バルカが怪しげな術でも使っているのではないかと思ってしまったほどだ。私が手伝うような状況などなく、瞬く間に大量の獲物を仕留めたバルカは慣れた手つきで解体し、肉だけを毛皮製の袋に詰め込んで彼の住むこの場、二バハルに辿り着いたのだ。
「おぉ、バルカにしては遅かったな」「また沢山狩ってきてくれたなぁ、大地とバルカに感謝を」「姉ちゃんも一緒とは凄いなバルカ、どうやったんだ?」
すぐにバルカの周りに人が集まってくる。皆が皆、楽しそうに、嬉しそうに笑っていた。そこには純粋な羨望があり、彼の人望が尚更強調されていた。半ばもみくちゃにされていく大男から離れ、ニバハルをゆっくりと見回す。
ここはもはや『集落』という言葉は相応しくない。人の数も、家の数も今まで見てきた集落に比べて遥かに多い。そして何より、近くで流れている川の水を引くことによりぬかるんだ地面にて大量の草を育てている異様な光景が目に付いた。人の手で草を育てるなど、考えたこともなかった。見渡す限りの青々と茂る大量の細長い草という、見たことのない光景に思わず息を呑む。ここには、数え切れないほどのヒトの営みが広がっていた。
「凄いね、これは。こんなところが、この大地にあったんだね」
道具や狩りの成果を預け、人だかりを抜け出したバルカがいつの間にか私の隣に立っていた。
「これでもな、不作なんだよ。本当はこの辺一帯がコメの葉の緑色で埋め尽くされるんだ」
コメという聞いたことのない言葉につい「コメ?」とそのまま返してしまう。
「やっぱりボロ集落の出身か? まぁいい、涼しくなってしばらくするとコイツに種が実るんだ。それを炊くとな、腹に貯まる食い物が出来る。んでもって、種だから保存も効くしもう一度撒けばまた芽が出る。つまりは食い物に困らなくなるってワケだな」
気の遠くなるほど生きてきたのに、こんなものが存在するなど全く知らなかった。それは紛れもない事実のため、訝しげなバルカの声はこの際は聞かなかったことにした。彼の言葉が本当ならば、数世代前からきっとこのコメと呼ばれる草は栽培されていたのだろう。私が飢えて歩いていた間にこんなにも便利なものが作られていたのか。
「川の水が干上がっていただろう? コメは育てるのにとにかく水がいる。水がないと、上手く育てられねぇのよ。実際、全然育ってねぇしな」
よく見ると、コメの葉に水を与えている男たちの顔は悲壮感に溢れていた。額から汗を流しながら必死に土を掘り、水を少しでも根に与えようと足掻いているようにも見える。
「更に言うとな、蓄えもあまりねぇ。かなりカツカツだ。このまま冬を越せない者もいるかもしれない。幾ら肉を取ってきたところで限界はある。俺だけ生きたって、どうにもなんねぇしな」
蒸し暑くて嫌になる程だった風が微かに冷めていた。もう間もなく陽は沈み始めるだろう。溜息と同時に、バルカは開かれた自身の両手をじっと見つめている。握ったり戻したりする二つの手は、何を掴もうとしているだろうか。
「川の上流に、ミティスという村がある。そいつらがここを真似てコメを作り出した。奴らが川の水を遮っている限り、このニバハルの民はそのうちみんな死んじまう」
歯を食いしばり、睨みつける彼の視線の先にミティスの村はあるのだろう。川の水を遮るならば、どうにか協力して二つの場を繁栄させる道を選ぶべきなのではないだろうか。部外者の自分が言えたものではないが、何も言わないわけにはいかなかった。
「それなら、そのミティスに話に行こうよ。みんなで力を合わせれば、どうにかなるかもしれない」
「もうとっくに使いの者が行ったさ。次の日に胴体だけ帰ってきたけどな。首はまだ、ミティスの入り口に晒されてる」
月並みでしかなかった私の提案は既に行われていて、更には最悪の結果をもたらしていたようだった。私の耳孔に入り込むバルカの声は、先程まで快活に笑ったり泣いたりしていたとは思えないような、ぞっとするような低いものだった。どうしようもないほどの敵意と殺意をどうにか抑えているような、飛び掛る直前の肉食獣の唸り声のような声。
「皆が飢えないために、死なないために、生きるために、何かを殺す。殺して、その肉を食う。命を、奪う。お前さんもさっき、肉を、命を食っただろう?」
バルカは眼球だけを動かしこちらを見る。黒い瞳は怒りか悲しみか、何を秘めているかはわからなかった。それが何故か深い深い深淵のように見えて、なんだかとても悲しくなる。
「このまま二バハルの民が痩せ細って死んでいくぐらいだったら、奴等の何もかも奪い取らんといかん。水も、血も、肉も、臓物も。それが、この村に生きるものとしての責任ってヤツだ」
男の声にはっきりと覚悟が込められていた。ただ死ぬのを座して待つ。それは生物としての摂理から反しているのは理解出来る。理解はできているからこそ、人が殺すことが善とは思えなかった。それでも、彼らが生きるために何かを殺すという行動に非を唱えることが出来ない。獣と人と私の命の重さに、違いなんてないのだから。
「……私からは何も言えないよ。バルカ、キミには生きていてほしい。でも、人が死ぬのは良くないことだって、キミも言ってたじゃないか」
人が人を殺す。痴情の縺れや食料の奪い合いでそれが行われたことは数多くあったし、ラユッラが私に石の刃を突き立てた時のように、実際に殺意を向けられたこともあった。だがそれは、あくまで一人が一人に対して行われるものだ。多数が多数と殺し合うようなことがこれから実際に行われるなんて、考えもしたことがなかった。
「わかってる、わかってるさ。獣だって、自分が食べる以上には獲物を狩らない。俺たちがやろうとしてることは、獣より下等なことだろうよ。でもな、俺はな、俺たちはな、生きたいんだよ。生きなきゃいけないんだよ」
生きなければならない。私よりずっと短い人生を歩んでいる筈のバルカの言葉が、ざわついた胸の奥に突き刺さった。
「収穫まではまだ時間がある。まだ、やり直せるかもしれないんだ。決行は近い。ここから出るなら早い方がいいぞ、エドナよ」
そう言ってバルカは踵を返し、何処かへと去っていく。彼の力強い足取りを、私は見ていることしか出来なかった。
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