ツルギを持つ大男

「腹が減ってるなら早く言ってくれよ、びっくりしちまったじゃねぇか! がはははははは!」


 まるで獣の咆哮のような大声で笑う髭を蓄えた男は、バルカと名乗った。私の隣に座り、豪快に笑う大柄の男の声を耳に入れる余裕は空腹を極めた今の私には存在していなかった。脂の滴るゴーギの腿肉にかぶりつき、飲み込むと、胸の奥で歓喜そのものが広がっていくのを感じる。カウカウよりも癖の強い味わいも、今の私にとっては食欲を加速させる要因の一つにしかなり得ない。


「いやー、よく食うなぁ。このままだと一頭食っちまうんじゃねぇか?」


 ゴーギは私の背丈より同じか小さいぐらいの大きさの獣だ。骨と内臓を除いたところで、私のお腹の容量を遥かに超えている。流石にその量は無理……と言いたいところなのだが、今の私にとっては普通に入ってしまいそうな気がした。それほどに10日の飢えに対して、身体が食べ物を求めていた。まぁ、実際に入るかどうかは別の話だが。


 骨にこびりついた肉すらも歯で削ぎ落としたい衝動に駆られる。歯が丈夫ならば、骨すら食べてしまいたかったが、それなりに膨れたお腹が私の頭に幾許か冷静さを取り戻していく。


「ありがとう、本当にありがとう。お腹が空きすぎてどうにかなりそうだったんだ。かれこれ10日はロクに食べていなかったから」


 私の言葉にバルカは目玉が飛び出そうな程に驚いた顔をした。その表情を見て、何も考えずに口にしたことを後悔した。普通の人であればまず生きられない程の日数を生きてきたうえに、よくわからない動きで近くまでやってきた女である私に対して、普通は警戒するものだろう。


 だが、代わりに彼の表情に現れたのは感極まったようなものだった。今にも咽び泣きそうな声で、赤くなった鼻頭を押さえていた。


「10日も⁉︎ エドナっていっなぁ、お前さんよくも、よくも生きていてくれたなァ……! それなら尚更食って、力を付けなきゃいけねぇ……! 幾らでも食ってくれ、肉は逃げないからよォ……!」


 バルカの太い毛だらけの腕が突き出される。その手には木を削って作られた串に通した大量の焼けた肉が掴まれていた。彼の好意を無駄にするわけにはいかない。そして何より、すっかり細くなってしまった私の身体に少しでも力を込めたかった。貪るように肉という肉をお腹の中に収めていく。


「いやぁ、ホントにいい食いっぷりだ。10日食ってなかったことを抜きにしても、見てるこっちが気持ちよくなるぐらいだ」


 串にはゴーギだけでなく、カウカウの肉も含まれていた。まさか好物にありつけるとは思ってもいなかった。焼き加減も申し分ない。空腹という味付けもあって、今まで食べたもので一番美味しく感じてしまう。


 バルカが手慣れた手つきで獣の肉に串を通し、火にかけていく。どこにそんな量があったのかと思う程ではあったが、この際考えないことにした。無心で様々肉に立ち向かい、美味に浸っていく。あっという間にお腹の容量は満たされ、心地よい満足感が私の全身に拡がっていく。


「ふぅ、お腹いっぱいになったよ、本当に、本当にありがとう、バルカ」


 恩人に心からの感謝をもって頭を下げる。幾ら死ぬことのない身体だとしても、何も食べないままこれ以上日々を過ごせばどうなるかわからなかった。こうしておいしいものを食べる喜びを実感できたのも、目の前にいるバルカのお陰だからだ。


「気にするなよ、獲物なんか狩れば幾らでも手に入るさ。それよりも、目の前で誰かが死ぬよりずっといい! がはははははははははははは!」


 泣いたと思えば、大きな口を大きく開いて豪快に笑う彼を見ていると、なんだか更に力が湧いてくる。つられて笑いが出てくるが、お腹が膨れて幾らか冷静になった私の頭の一部が腰に繋がれた革製の鞘がやけに気になった。ナイフを入れるには大きすぎる。槍の穂先だけでも収納しているのだろうか。


「コイツか? これはツルギってやつだ。槍よりも近くの相手を斬る……要はデカいナイフみたいなもんだよ」


 私の視線に気づいたバルカは獰猛な獣のような力強い笑みを浮かべたのち、黒く加工された柄に手をかけ、鞘から一気に抜く。夕暮れ時の太陽のような美しい刀身が、私の顔を映し出しそうなほどに煌めいていた。吸い込まれそうな危うさすら感じるほどの造形に、思わず小さく息を吐く。


「石では、ないよね」


「あぁ、素材が気になるのか。これは青銅といってな。銅という鋼材を溶かしたものに錫を混ぜたものだな。斬り方によってはゴーギの毛皮ぐらいならバサバサ斬れるぞ」


 刃渡りは私の腕より少しだけ短いぐらいだろうか。きっと私の腕力では両手でなければ扱えなさそうなそれをバルカは片手で軽々と振り回していた。重量もありそうだが、それ以上に切れ味と耐久性においては石のものより遥かに高そうだ。私が歩き回っている間に、ヒトの技術はここまで進んでいたのかと感嘆する。


「石の斧が懐かしいね」


「石の斧っつーとアレか。木とか刈るやつか」


「いや、大きな獣を狩るときだよ」


 私の言葉に、バルカは再び目を丸くする。どうやらバルカの住んでいるところではもう石斧を使用していないのだろう。あれだけ立派な青銅のツルギを作れるので、考えられる話ではあるが。


「はぇー、爺さんの爺さんあたりが使ってたって聞いたような気がしたけどなぁ」


 顎を擦りながら考えにふける大男に、再び口にしてしまった不用意な言葉に身構える。先程の話もあるが、いくらなんでも油断しすぎだ。長いこと生きていることや、死ぬ事がないことを話したところで信じてくれるとは思ってもないし、碌なことにならないことは十分痛感していた。笑顔で肉を振舞ってくれた男が、急に恐ろしい目をしてこちらを見ることだって有り得るのだ。


「お前さん、もしかして……とんでもないボロ集落の出身か?」


 抱いた不安に対して、バルカの答えは想像以上に間抜けなものだった。思わず崩れ落ちそうになるのを堪えながら、首を縦に振る。なかなかに挙動不審な動きになってしまったが、事実を指摘された恥ずかしさからとる行動と思ってくれれば都合がいい。


「まぁいいさ、とにかく手伝ってくれよ。お前さんが食った肉を、もう一度手に入れなければいかん」


 すぐ手に入るだろ、と呟きながらツルギを鞘に戻したバルカは、肩をぐるりと回しながら立ち上がる。彼の言葉は至極当然であり、受けた恩は返すものだ。私も立ち上がり「勿論」と返すと、大男は歯を見せながら笑みを浮かべた。


「もうすぐ、戦いがあるからな。食って英気を養わないと、な」


 戦いという言葉の意味。私はそれを暫くの間、理解することができなかった。彼の持つツルギは、狩りに適した形をしてはいない。ゴーギならともかく、暴れ回る大型獣の対処は、遠くから投げ槍や弓を使った方が遥かに楽だろう。そうなると答えはひとつしか思い浮かばなかった。


 人と、人の戦いだ。


 焦げた薪の香りが、なんだかやけにはっきりと感じた。

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